2  大竹海兵団から旅順へ



旅 順 駅

旅 順 駅 (平成15年旅順で求めた絵はがき)
旅順到着、出発もこの駅であった。当時の面影を留めているように思う。





昭和19年9月20日、大竹海兵団に入団、身体検査など受けて、9月25日には大竹を出発、下関から関釜連絡船で釜山に上陸、朝鮮半島を貨物列車に乗せられて、9月29日に旅順に到着、海軍予備学生教育部に入隊した。

大竹で5日間、旅行5日間で、それほど変化があった訳でなく、短い期間であるが、詳細に記録した日記が残っており、始めて海軍に入って時の感激がかなり詳細に書かれているので、その中から興味のありそうな部分だけ抜粋してみる。もちろん飛ばしてもらって結構である。



昭和19年9月20日(水) 快晴 大竹海兵団第一日

第一回の身体検査。血沈と血液型判定、レントゲン検査である。・・・学校時代の野外教練の時の廠舎等と違って建物が新しい上に塵一つ残さず綺麗に掃除してあり、とても気持がよい。・・・夕食、軍隊に於ける最初の食事、麦飯乍ら仲々量が多い。東京の丙券どころじゃない。やっと食べた程だ。おかずも素晴しい。魚の大きな肉がごろごろしてゐる。夕食後色々注意があってから部屋を指定され八時就寝す。有意義なる軍隊生活の第一日目であった。

昭和19年9月21日(木) 快晴 大竹海兵団第二日

総員起し十五分前で四時四十五分起床、すぐ毛布をたたみ、顔を洗ひ便所に行って五時表に整列、朝礼を行ふ。・・・宮城遙拝、故郷に対し拝礼、軍人勅諭奉唱、海行かば斉唱の順である。故郷に対して祈念を捧げた時は感無量であった。今まで何遍となく海行かばを歌ったが、今朝程の感激を以て斉唱したことは無い。本当に純一無雑な気持になることが出来た。
身体検査終り。・・懸念した左の目は一・○あった。体重四八・五は情け無い。採血はB体格で落されることはあるまい。・・夕食後入浴、海軍では手拭いを持って湯舟に入ることは絶対許さない。石鹸を包んで鉢巻をして入るのである。だから遅く行っても割合綺麗だ。
夕暮時表へ出て海軍予備生徒として旅順の方へ行って来た人から話を聞いたが、嬉しいやら心配やらである。心配なのは数学、対数、微分、積分、三角函数等が必要だそうであるが、どうも一つも分らず恐ろしい様だ。でも全智全能を傾注してきっと立派にやり通してみせる。任地へついたらすぐ便りを出して数学の参考書を送ってもらふつもりだ。手旗信号、モールス通信もやらせるそうだが、モールスだけは自信があるから、それに費やす時間を数学なり何なりに注ぎたいと思ってゐる。とにかく短剣をもらふと急に忙しくなるそうである。今のうちにうんと英気を養ってをき自分の最善を尽くして努力しよう。小原君とも話すことが出来て嬉しかった。

昭和19年9月22日(金) 快晴 大竹海兵団第三日

午前中学科試験あり。どんな難しい数学が出るかと内心ビクビクであったが、出た問題は採用試験と大体同じ程度で五題、安心した。午後は被服支給、第三種軍装でカーキ色の作業服の如きもの。黒の戦闘帽、これには白線が一本入ってゐる。白靴下三足、巻脚絆一つ、バンド一つである。早速名前を糸で縫ひつけ着用してみる。これでやっと海軍軍人になったといふ気がする。まだ短剣はわたされぬが、これら「短剣」紺サーヂの第一種軍装、靴等は旅順へ行ってから渡されるそうである。・・・

昭和19年9月23日 (土) 快晴 大竹海兵団第四日

秋季皇霊祭にて海兵団の全員が練兵場に集合、軍艦旗を掲揚して皇居遙拝を行ふ。何千人ゐるか知らないが、とにかく多数の人が皆士官服、セーラー服等の立派な服装をし、士官服は白手袋をはめたりして、パッパッと規律正しく敬礼するのが気持よい。
田舎ではお彼岸の中日で佛様をおまつりし、御馳走でもしてゐることであらう。明日あたり旅順に出発するらしいから手紙を書く訳にも行かず、母も心配してゐるだらうが、もう少し待ってもらふ。・・・
旅順まで大体四日かかるとのこと。大陸に渡ったら絶対に水を飲んではならぬとのことだ。大陸は水が悪いので必ず下痢をするそうだ。そして下痢をしたらどんどん国へ送り返してしまふといふ。士官にでもならぬ限り、絶対に田舎へは帰られない。短剣を吊って母の膝下に帰る日を楽しみに大いに頑張らう。午後青木君より数学公式集を借り、日大予科の田崎君とともに少し写す。

昭和19年9月24日(日) 晴 大竹海兵団第五日 旅順へ向け出発

この海兵団とも今日でいよいよお別れらしい。一七時出発準備とか事務室に書いてあった。途中京城と奉天で一泊するとかいふ噂もある。
毎日快晴の続く大竹は実に住みよい所である。・・・然し、本当の海軍魂を鍛えるにはやはり荒波の厳寒の地の方がよいのであらう。丁度寒い最中を旅順でビシビシ訓練出来るのだから有難いと思ってゐる。小さい時百姓をやったおかげで、それでも学校でペンより重いのを持ったことのない連中に比べると大変楽である。食器を二十五組いれた鉄の籠を持っても皆の云う程重いとも思わない。・・ (朝書く)
午後輸送編成を行ふ。僕は第四中隊第十班第二十番である。輸送指揮官は平山中尉及び植田中尉、両人とも仲々はり切ってゐる。いろいろ注意を与えられ、煙草、水筒等を与へられて九時半に整列、十時出発することになった。内地で送る夜も今夜限りで、当分約半年位は外地の生活を送らねばならぬ。
もうそろそろ整列準備となることであらう。  (夜九時)

昭和19年9月25日(月) 晴 下関から関釜連絡船で釜山へ

定刻十時、海兵団を出発して夜の大竹町を声もなく粛々として駅に行進、十二時過ぎ列車に乗って、今朝六時少し前下関についた。そして関釜連絡船に乗込んで今出帆した所である。船の三等室は実にむさ苦しくて暑く、又変な臭ひがしてとても汽車の三等の比ではない。汽車は三等でよいが、汽船は二等でなければならぬと人々がよく云ふが成程と思ふ。軍艦はまさかこれほどでなからうと安心してゐるが、どうも三等には今後乗りたくないものである。・・・(九時)
釜山到着は六時過ぎ、九時間ばかり船に乗ってゐた訳である。海上は今日は特に静かだったそうであるが、海上生活に対する第一印象は良かった。陸軍より海軍を希望してよかった。釜山待合室で、夜中十二時頃まで休み、貨車に乗って北へきたへと輸送を続ける。

昭和19年9月26日(火) 快晴 貨車で釜山→大邱→太田→京城

朝鮮の貨車は大きい。レールが広軌の故であろうが内地のものとは比べものにならぬ。貨車の中に筵を敷いてその上に休んだり、寝たりしてゐるのであるが、五十人が寝ることが出来る広さを有してゐる。
釜山発○一○○頃、○二○○より○三○○まで不寝番になったが、朝鮮の夜空にも星が美しく輝いてゐる。・・・
貨車の旅行も面白いものである。先輩の生徒を中心に車座になって話をしたり、また進行中の列車からジャージャー小便をしたり中々風流な旅行である。・・・
田舎ではお母さんも弟妹達も親類の人達もまさか今頃この辺を貨車に乗って旅順に向け輸送中とは夢にも知らぬことだらう。旅順について入団式でも済んだら、早速手紙を出して安心させてやらう。大分便りがないと心配してゐることと思ふ。
京城に着くまで車内では演芸会も開かれ、歌ふやら踊るやら漫才、落語等面白い旅が続く。長い旅行になると客車より貨車の方が遙かに有難いと感ずる。

昭和19年9月27日(水) 晴 貨車で平壌→安東→定州

○六三○、平壌に到着、弁当を運び入れ、便所に行ってきてホッとした所である。この辺が太古楽浪郡として文化の栄えた所だと思ふと懐かしい気もする。楽浪古墳博物館も近くにある由。
沿線の田でも稲刈が始まってをり、田舎の農繁期を思ひ出させる。鴨緑江に着いたのは一六○○頃、思ったよりは小さいものであったが、それでも信濃川なんかよりはずっと大きい。鉄橋を渡り切るのに三分十五秒位かかった。新義州の駅は大したものでなかったが、安東の町は赤煉瓦の家が多く、美しい中にも何処か日本ばなれした所があった。此処で大分長く停車、全員体操、洗面等を行ふ。外国の地に始めて第一歩を印した訳である。朝鮮を縦断して満州へ。思えば遠く来たものぞ。

昭和19年9月28日(木) 快晴 貨車で蘇家屯→鞍山→大石橋

昨夜は実に寒かった。とても九月の気候とは思へない。夜中に小便に起きた奴が扉を開くと冷たい空気がスツーと入って来て、とても眠れたものではない。やはり満州だなあと思ふ。・・・
奉天の町を見られないのは残念だ。満州の黒豚も所々に見られた。十一時蘇家屯発、この辺は大平原が拡がり遙か彼方に山々がかすかに連ってゐる。いかにも満洲らしい感じがする。刈取った高梁もとりまとめて乾かしてあり、それが見渡す限り続いてゐる。如何にも穀倉といふ感じだ。・・
鞍山では急行「あじあ」を見ることが出来た。一、二、三等、食堂車連結、とてもスマートな型である。

昭和19年9月29日(金) 晴 旅順到着 海軍予備学生教育部へ

遂に旅順に到着した。○五三○頃、緯度の関係か旅順の六時はまだ暗い。駅に整列して一同目的地たる海軍予備学生教育部に向ふ。薄暗いながらも右手の方に旅順湾口らしきものもみえた。約十五分位で教育部に着き、仮分隊編成を行ひ直ちに朝食。朝食後、後庭に登ってみたところ、白玉山上の表忠塔が手にとる様にすぐそばにみえる。


白玉山

白玉山 表忠塔から旅順湾口を望む
中央の狭い部分が旅順口、湾内の左部分が東港、右部分が西港、
教育部は東港の奥、写真の左端のあたりにあった。







はじめに
1  海軍志願から入隊まで
2  大竹海兵団から旅順へ
3  旅順海軍予備学生教育部
4  大竹海軍潜水学校
5  大竹潜水学校 柳井分校
6  倉橋島基地(大浦突撃隊)
7  小豆島基地(小豆島突撃隊)
8  戦後の小豆島・蛟竜艇長第17期会
9  戦友会 − 旅魂会
10  蛟竜艇長第17期会刊行の著作
11  靖国神社・遊就館
12  旧海軍兵学校
13  海軍思い出の地・行事
あとがき
■ 資料 ■
資料1  旅順海軍予備学生時代、 私の「学生(生徒)作業簿」
資料2  「旅魂」編纂に関するアンケート回答
資料3  宇都大尉  餞の言葉  士官の心得
資料4  海軍時代によく歌った歌
資料5  佐久間艇長を偲ぶ
資料6  出陣賦(辞世の和歌集)
資料7  「嗚呼特殊潜航艇」碑  その建立と除幕式の模様
資料8  蛟竜艇長第17期会総員集合  参加記録
資料9  佐野大和著「特殊潜航艇」  抜粋
資料10  旅魂会  参加記録
資料11  鉾立(恒見)教官  訓話
資料12  田中穂積を偲ぶ
資料13  旅魂会  最終回資料
資料14  孫たちに伝え残したいこと
資料15  ハワイ 真珠湾めぐり
資料16  基地の地図

特殊潜航艇「蛟竜」−高橋春雄・海軍の自分史−

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