資料7  「嗚呼特殊潜航艇」碑  その建立と除幕式の模様



佐野大和著 「特殊潜航艇」抜粋  「特潜碑除幕式」


特潜碑除幕式 
昭和四十五年八月二十二日 
広島県倉橋島音戸町波多見八幡山神社


(前略)

会場となった呉地方総監部内桜松館には、交通事情最悪の事態にもかかわらず、遺族約九十名、来賓五十三名、元隊員および関係者約二百五十名が参集し、海上自衛隊の音楽隊および儀仗隊を合わせると五百名に近い参列者で、場内にはりっすいの余地もない。

定刻−。音楽隊の越天楽演奏とともに、特潜碑の建つ倉橋島音戸町波多見八幡山神社加藤宮司以下祭員の入場によって祭典は開始された。

全員の国歌斉唱につづいて、まず修祓、次に招魂の儀、献饌、斎主の祝詞奏上と、厳粛の中にも型通りの儀式が進行する。つづいて特潜碑建立委員長八巻悌次氏が、今日の祭典委員長として登壇、うやうやしく霊前に進んで祭文を奏上する。

「本日ここに来賓各位の御臨席をえて、過ぐる太平洋戦争中、海軍に身を投じ、選ばれて特殊潜航艇関係の隊員となり、尊い生命を国に捧げられた三百七十余柱の英霊をおまつりするため、ゆかりのこの地に『嗚呼特殊潜航艇』の碑を建立して、御遺族の皆様とともに除幕ならびに慰霊の式を行なうにあたり、謹んで申し上げます。

顧みますれば、昭和十六年十二月八日、太平洋に戦端が開かれるや、長躯してハワイ軍港に潜入、友軍飛行機隊と呼応し、米国艦隊主力を強襲して緒戰を飾ったものこそ、わが特殊潜航艇・甲標的であり、これ実に今次大戦中の特別攻撃隊の嚆矢でありました。次いで、西方はるかインド洋を越え、アフリカ東岸マダガスカル島のデイエゴスワレス港に英国艦隊を、また南海遠く豪州のシドニー港に米豪艦隊をそれぞれ急襲して敵軍を震撼させ、護国の神と散った第二次特別攻撃隊員ともども、その勇武は当時、全国民の讃仰するところとなったのみならず、敵国側にも深い畏敬の念を払わしめたものであります。

戦局の推移とともに、第三次特別攻撃隊が南太平洋ソロモン海域における米軍の反攻作戦を阻止するために挺身したほか、北はキスカから、南はラバウル、ハルマヘラ、トラック、ミンダナオ、さらには父島、沖縄、高雄と各地に展開して迎撃態勢を整えたのであります。ことにセブ島方面の甲標的隊、沖縄の蛟竜隊はしばしば会敵の機を得て勇戦力闘、つづいて登場した回天の戦果と相まって全軍の士気を大いに鼓舞し、また特運筒も単身よくガダルカナル、ニューギニアの最前線へ決死の補給をし、戦局の退勢をとどめんとしたのであります。さらに戦場のわが近海に迫るにおよび、海竜また急速に戦備を整え、蛟竜、回天ともども本土決戦に満を持したのでありますが、ついに狂瀾を既倒に回すをえず、昭和二十年八月十五日、わが国は建国以来初めての敗戦という結果をもって、その終止符を打ったのであります。

この間、前線各地の戦場で散華せられた英霊のほかに出撃を前にして訓練中、不孝にも海底に消えていった戦友も少なくありません。また整備員、基地員として朝に夕に隊内の苦楽をともにし、あるいは工廠技術関係員として寝食を忘れて兵器の開発と生産に従事しながら、敵機の空襲をうけ、あるいは敵機雷にふれ、戦死された将兵、軍属もさらに多数を数えます。

いま、ここに、これら三百七十余柱の英霊をお迎えして、当時志を同じくして戦った旧友相つどい、瞑目して四半世紀の昔を思えば− 寒風にさらされる監視艇から凧の波切りを追う戦友のひたむきなまなざしが− ハッチから挙手をして別れていった僚友の笑顔が− あるいはジャイロコンパスの整備や、装気、充電に幾夜を徹した誰彼の姿が− 彷彿として、あたかも昨日のことのように、目の前に浮かび上ってきます」

八巻氏の声が突然プツリ、とそこで途切れた。胸の奥の方から、何か熱いかたまりがこみあげてくるのを懸命にこらえているのだ、− と、まわりのものにもうなずかれた。八巻氏は開戦直前から甲標的艇長として、九軍神と訓練をともにし、シドニーの第二次特別攻撃隊に加わって出撃しながら艇の事故のため生き残り、終戦時にはP基地の特攻長としてわれわれの指導にあたっておられた、初期の実験搭乗員を除けば現存最先任搭乗員である。場内は粛然と静まりかえり、遺族席からはすすりなきの声さえ起こった。

やがて、気をとり直したように、八巻氏の声はかすれながらふたたびつづいた。

「そして、兄等の一死もって国に殉ぜられた崇高な精神が、生き残ったわれわれの胸奥に今も生きていることを確認し、海底深くお互いに一蓮托生の思いをこめて、若い情熱のすべてを捧げて悔いなかった、あの特殊潜航艇を、兄等の御霊とともに永久に記念する、この碑の前に立つとき、万感胸に迫るものがあります。

また参列の御遺族を拝しますのに、お顔に刻まれた深いしわは、最愛の兄等をうしなわれた戦後の長い苦悩の記録であることを思い、また当時、兄等の顔もさだかに覚えぬ遺児の方々が兄等の遺志を継ぎ、これまで立派に成人なされるにあたっては、さぞや幾多の苦難の道をのり越えられたであろうことを思うとき、感慨一入なるものがあります。

しかし、いま、兄等の御霊のお加護により、わが国は歴史上その例を見ぬ復興を成しとげ、紛争の絶えない極東の一角において、よく平和を維持してまいりました。われわれは、さらに将来に向かい、われわれ同胞の生成発展を守るため努力をつづける決意を、ここにあらためてお誓いするものであります。

ふたたび在天の兄等の御霊の前に頭を深く垂れ、その偉業を想起して敬慕の念を捧げるとともに、願わくば、兄等、とこしえに安らかに、お眠りくださいますようお祈りして慰霊の言葉といたします。

昭和四十五年八月二十二日  特潜碑建立委員会々長 八巻悌次」

(中略)

撤饌、昇神の後、中曽根康弘防衛庁長官をはじめとする二十八通の電文披露、特潜碑建立の敷地をこころよく提供して下さった加藤宮司、工事施行に当った中田政雄、今井正文の三氏に対する感謝状の贈呈、特潜碑管理者加藤宮司と祭典委員長八巻氏の挨拶の後、生存者全員が起立して音楽隊演奏のうちに、「同期の桜」「軍艦マーチ」「海行かば」を、英霊も御心ゆるがせて聞きたまえと、心こめて合唱し、昔をしのぶ感激をこめて、慰霊祭のフイナーレを飾ったのであった。

(中略)

除幕式場

修祓に次いで、進行係が除幕の儀を告げると、奏楽のかわりに参列者全員による「海行かば」の大合唱がはじまる。合唱は次第に大きく、力強いうねりとなって、はるかに見える大浦崎から情島、小情島、はては大迫から亀ガ首へと真夏の海原をわたってゆく。

(中略)

全員の大合唱の中で、スルスルと降りてゆく白布の下から、次々にあらわれる「嗚呼特殊潜行艇」の文字−。真夏の強い陽射しをうけて、彫りの深いその六文字が一同の眼の中にくっきりと印象づけられる。揮毫はハワイ攻撃のおりの第六艦隊司令長官清水光美氏の手になるみごとな筆跡である。





はじめに
1  海軍志願から入隊まで
2  大竹海兵団から旅順へ
3  旅順海軍予備学生教育部
4  大竹海軍潜水学校
5  大竹潜水学校 柳井分校
6  倉橋島基地(大浦突撃隊)
7  小豆島基地(小豆島突撃隊)
8  戦後の小豆島・蛟竜艇長第17期会
9  戦友会 − 旅魂会
10  蛟竜艇長第17期会刊行の著作
11  靖国神社・遊就館
12  旧海軍兵学校
13  海軍思い出の地・行事
あとがき
■ 資料 ■
資料1  旅順海軍予備学生時代、 私の「学生(生徒)作業簿」
資料2  「旅魂」編纂に関するアンケート回答
資料3  宇都大尉  餞の言葉  士官の心得
資料4  海軍時代によく歌った歌
資料5  佐久間艇長を偲ぶ
資料6  出陣賦(辞世の和歌集)
資料7  「嗚呼特殊潜航艇」碑  その建立と除幕式の模様
資料8  蛟竜艇長第17期会総員集合  参加記録
資料9  佐野大和著「特殊潜航艇」  抜粋
資料10  旅魂会  参加記録
資料11  鉾立(恒見)教官  訓話
資料12  田中穂積を偲ぶ
資料13  旅魂会  最終回資料
資料14  孫たちに伝え残したいこと
資料15  ハワイ 真珠湾めぐり
資料16  基地の地図

特殊潜航艇「蛟竜」−高橋春雄・海軍の自分史−

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