資料12  田中穂積を偲ぶ



九州成仁会翌日の観光では先ず海軍墓地に案内された。ここは日清・日露・太平洋の各戦争のとき海軍に所属し、戦死した人の墓地である。旧佐世保鎮守府の管轄にあった九州・沖縄・四国の軍人・軍属約176,000柱がまつられているとのこと。合葬碑として55基、個人の墓として417基あるというが、その中には母がよく歌っており、私も大好きな歌「美しき天然」の作曲者、海軍軍楽隊隊長、田中穂積先生の墓があったのに驚いた。彼は私たちが海軍でよく歌った軍歌「如何に狂風」の作曲者でもある。

軍楽隊長と軍歌の組合せなら了解出来るが、「美しき天然」の作曲が軍楽隊長というのに興味を覚えて少し調べてみた。

穂積は、安政2年(1855)、現在の山口県岩国市に生まれた。日本三名橋のひとつに数えられる錦帯橋やその下を流れる錦川の清流、城山のうっそうとした森を間近に控える環境で、桑畑を走り回り、近所の子どもたちと笛を吹いたり、太鼓をたたいたりして過ごしたという。

明治6年、志願して海軍の軍楽隊に入り、めきめき頭角を現した穂積は、明治32年には佐世保海兵団の第三代軍楽長に着任した。当時の佐世保は海軍鎮守府が設置されて以来、人口が大きく膨らみ、明治35年市に昇格、その年に将校子女のための私立佐世保女学校が設立された。

設立といっても民家を仮校舎に教師5人、生徒80人でのスタート。私立で、経営も思うに任せず、海軍高官の婦人たちが奉仕として教師を務めるような状況だった。穂積の妻の房子も裁縫の教師として教壇に立った。穂積自身は軍楽長のまま、女学校の音楽の嘱託教師を務めていた。

そのころの女学校では唱歌が必修だった。急速に増える女学校にあわせて新しい唱歌教材の需要が高かったが、日清戦争終了後すぐで、歌といえば軍歌の時代だった。こうした時代背景の中、女学生のために相次いで出版された唱歌集の中には、「荒城の月」や「花」もあった。当然、女学校の音楽教師である穂積も、女学生が歌うにふさわしい唱歌を自分の手で作りたいと考えていたことだろう。

ずっと女学生唱歌にふさわしい歌詞を模索していた穂積が目を留めたのは、雑誌に発表された武島羽衣の詩だった。

穂積は、佐世保へ着任以来、烏帽子岳や弓張岳から眺める九十九島の風景が何より気に入り、時間を見つけては一人で山に登って、島と海が織りなす風景に見入っていたという。だからこそ、佐世保の女学生たちのための唱歌を作るにあたり、その風景の美しさを曲に生かしたいと思ったに違いない。また、子どものころ無邪気に遊んだふるさとの風景も心に残っていたはずだ。穂積にとって「美しき天然」はそのイメージにピッタリの詩であり、自然豊かな風景の美しさを端的に表している詩に、ようやく出合えたという思いだったのだろう。このようにして「美しき天然」のメロデイが生まれた。

この曲は日本人によって作られた最初のワルツ曲とのこと。やがて全国の女学生の間にひろまり、一般の人にも歌われるようになった。

海軍墓地の規模の大きいのと行き届いた管理に感動し、田中穂積の墓や、日露戦争の日本海海戦の司令長官、東郷平八郎の像を見た後、遊覧船「海王」に乗船、穂積が見入ったという九十九島の美しい眺めを約1時間かけて堪能した。

船から降りて観光船乗り場の近くで、田中穂積の「美しき天然」の歌碑を発見、カメラに収めることが出来たのはラッキーであった。碑には歌詞の一番が刻まれ、その前には「明治三十五年佐世保海兵団軍楽隊隊長田中穂積へ九十九島の美しい景色に魅せられ武島羽衣の詩に託して「美しき天然」を作曲した。この曲は佐世保女学校を振り出しに全国民の愛唱歌となりいまに歌いつがれている」と書かれている。

生まれ故郷の岩国市の錦帯橋、ロープウエイ近くの吉香神社の境内にも「田中穂積の胸像と歌碑」があり、歌碑の前に立つと「美しき天然」のメロデイが聞かれる。





はじめに
1  海軍志願から入隊まで
2  大竹海兵団から旅順へ
3  旅順海軍予備学生教育部
4  大竹海軍潜水学校
5  大竹潜水学校 柳井分校
6  倉橋島基地(大浦突撃隊)
7  小豆島基地(小豆島突撃隊)
8  戦後の小豆島・蛟竜艇長第17期会
9  戦友会 − 旅魂会
10  蛟竜艇長第17期会刊行の著作
11  靖国神社・遊就館
12  旧海軍兵学校
13  海軍思い出の地・行事
あとがき
■ 資料 ■
資料1  旅順海軍予備学生時代、 私の「学生(生徒)作業簿」
資料2  「旅魂」編纂に関するアンケート回答
資料3  宇都大尉  餞の言葉  士官の心得
資料4  海軍時代によく歌った歌
資料5  佐久間艇長を偲ぶ
資料6  出陣賦(辞世の和歌集)
資料7  「嗚呼特殊潜航艇」碑  その建立と除幕式の模様
資料8  蛟竜艇長第17期会総員集合  参加記録
資料9  佐野大和著「特殊潜航艇」  抜粋
資料10  旅魂会  参加記録
資料11  鉾立(恒見)教官  訓話
資料12  田中穂積を偲ぶ
資料13  旅魂会  最終回資料
資料14  孫たちに伝え残したいこと
資料15  ハワイ 真珠湾めぐり
資料16  基地の地図

特殊潜航艇「蛟竜」−高橋春雄・海軍の自分史−

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