11 靖国神社・遊就館
靖国神社には何回お詣りしたか数えきれない。最近では元日、春の桜の咲く頃、8月15日の終戦記念日、12月8日の開戦記念日には大抵出かけている。また、持病の喘息の受診のため、飯田橋の東京逓信病院に毎月のように行くので、そのついでにお詣りすることもある。
また、境内の遊就館には、真珠湾攻撃に参加した「九軍神の写真」や「特殊潜航艇の模型」等も陳列されており、「回天」の実物や、「海竜」の模型等も陳列されている。
思い浮かぶものを若干拾い上げてみよう。
靖国神社 (平成17.4)
◯ 靖国の桜
「同期の桜」の歌の文句に「離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう」とある。春、桜の花が咲く頃になるとどうしても足が靖国神社に向かう。境内の桜は1,000本を数え、染井吉野約600本、山桜が約350本、その他が50本近くあるという。満開の桜花を見ていると、アジア、太平洋全地域で散っていった仲間たちがここに集まって再会を喜び合っているように思われる。そして旬日ならずして又、パッと散って行ってしまうのだ。遊就館には本居宣長の次の歌が掲げられている。
敷島のやまと心を人問はば 朝日に匂ふ山さくら花
靖国神社を一歩出た所には、これも桜の名所「千鳥が渕」があり、さらに「戦没者墓苑」や「北の丸公園」と続き、桜を楽しむことが出来る。
また、境内には古式ゆかしい能舞台があって、桜の時期に「夜桜能」が演じられる
靖国神社の桜 (平成6.4)
千鳥が渕の桜 (平成16.4)
◯ 昇殿参拝
平成11年4月3日、蛟竜艇長第17期会で靖国神社の昇殿参拝を実施した。全国から20名余りが参加した。私も昇殿参拝は始めての経験である。当日の日記を抜粋する。
「先ず、拝殿に通される。式次第の説明のあと、おはらいがあり、君が代の吹奏。厳粛な気分になる。背後からは丁度、「靖国神社の桜の下で同期の桜を歌う会」が終了する時刻となり、「同期の桜」のメロデイが流れてくる。
本殿に通されると宮司らが祝詞奏上。ちゃんと17期会のために綴られた文言が読み上げられる。終って5名の代表の玉串奉奠にあわせて一同礼拝。約40分の行事。初めての体験だけに身のひきしまる思いがした。
終わって、3〜4名づつタクシーに分乗、宿所のグランドヒル市ヶ谷へ、吉田、武田両君と一緒。
戦友ともみなと訪ね来にけり靖国社みやしろへ 同期の桜空に満ちたり
花の下同期の桜歌う会 亡き戦友ともともに歌う心地す
みやしろに登り座りて想うよう ここにいませる友の多きを
」
遊就館前で記念撮影、翌日は明治神宮、東郷神社を参拝、東京駅の「精養軒」で食事のあと解散した。
17期会昇殿参拝受付 (平成11.4)
17期会の昇殿参拝記念 遊就館前 (平成11.4)
◯ 靖国神社の桜の下で「同期の桜」を歌う会
毎年桜の咲く頃になるとこの会合が催されているようである。前項の昇殿参拝の時も丁度この会が開催されていたが、私が最初に見に行ったのは平成7年4月1日の会である。大村益次郎の銅像の下に大きな「日の丸」と「軍艦旗」が掲げられ、江田島の銘酒「同期の桜」の酒樽が供えられていた。
また、会場には、大東亜戦争の正当性を主張する幟が林立していた。
「マッカーサー元帥は、トルーマン大統領に、東京裁判は誤りであったと報告」
「わが国には昭和殉難者こそあれ、A級戦犯は存在しない」
「東京裁判で無罪論を下したパール判事はアジアの侵略者こそ欧米列強と強調」
等々。
参会者には70曲を収めた「同期の桜を歌う会 日本軍歌70曲選集」なる軍歌集が配られていた。殆どが軍歌であるが、「青葉の笛」「船頭小唄」「誰か故郷を思わざる」「赤とんぼ」「さくら」「荒城の月」等の曲も収録されている。
さまざまの方々により歌が披露されるが、きれいどころの女性たちが和服姿に日の丸の旗を持って歌に合わせて舞う姿が人気を集めていた。「同期の桜」はどうやら最後に歌うらしく、この時は聞かずに帰ってしまった。
しかしその後、平成11年、昇殿参拝の時もこの会が開催されており、ちょうど私たちが参拝している時「同期の桜」を聞くことが出来たのは感激であった。
靖国神社の桜の下で「同期の桜」を歌う会 (平成7.4)
江田島の銘酒「同期の桜」
◯ 終戦記念日・開戦記念日
4月の桜もよいが、8月は青葉、12月は銀杏が色づいていて、桜とは違った美しさを見せている。桜の頃の人出も多いが、8月15日、12月8日の記念日になると物凄い人出である。8月は青葉、12月は銀杏が色づいていて、桜とは違った美しさを見せている。それも軍装してラッパを鳴らしながら行進してくる者、軍艦旗を掲げ、第一種軍装で来る者、あるいは右翼らしき数十名のグループ、杖にすがりながらの老人、未亡人とおぼしきおばあさん等々。
何時の時か忘れてしまったが、小泉首相の車が参詣のため到着する所を見たことがある。中国や韓国の声がやかましい時ではあるが、毅然として参拝を続けて欲しいものである。
開戦記念日 (平成2.12.8)
終戦記念日 (平成10.8.15)
◯ 初 詣
ここ数年、靖国神社には初詣もおこなっている。今年は小学校へ上がるという孫を連れて行ったが、境内で大道芸の「猿廻し」をやっており、すっかり面白くなってなかなか離れない。
また、境内には全国の神社から寄せられた「絵馬」や「銘酒の酒樽」が展示されていて正月らしい雰囲気を盛り上げている。また、昇殿参拝などに使う参集所も新しいのが完成していた。
初詣 靖国神社 (平成18.1.1)
初詣 靖国神社 (平成19.1.1)
◯ 遊就館の改修新築
靖国神社の遊就館は平成14年7月に創立130年記念事業の一つとして本館改修新館新築が行われ、展示品にもかなりの変動があった。従ってここに掲げる物でも以前の物は現在は展示されていないものもあるのでご了承願いたい。
◯ 九軍神の写真と特殊潜航艇模型
私たちが訓練を受けたのは、真珠湾攻撃に参加した岩佐中佐以下九軍神の乗った特殊潜航艇の改良型「蛟竜」である。九軍神の写真、潜航艇の模型や、真珠湾攻撃の有様が展示されている。
九軍神と特殊潜航艇模型 遊就館 (平成16.8)
◯ 水中特攻兵器「回天」実物、「海竜」模型
私どもの「蛟竜」より小型になるが、人間魚雷「回天」の実物や「海竜」の模型も大展示室に陳列されている。
「回天」実物 遊就館 (平成16.8)
「海竜」模型 遊就館 (平16.8)
◯ 大西滝次郎海軍中将の遺書
特攻生みの親。昭和20年8月15日、官邸にて自決。その遺書が展示されている。
「特攻隊の英霊に曰す。善く戦いたり、深謝す。最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり。吾死を以って旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす。次に一般青壮年に告ぐ。我が死にして、軽挙は利敵行為なるを思ひ、聖旨に副ひ奉り、自重忍苦するの誠ともならば幸なり。隠忍するとも日本人の矜持失ふなかれ。諸子は国の寶なり。平時に処し、猶ほ克く特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽せよ」
中将は副官に「わが声価は、棺を覆うても定まらず、百年のちまた知己なからん」と語り、特攻について一言も弁解せず、自らの責任を明らかにして自刃した。正に武人の鑑。
大西滝二郎海軍中将の遺書 遊就館 (平成10.8)
◯ 花嫁人形
84歳になった母親が、沖縄で戦死した23歳の息子にあてた手紙とともに神前に花嫁人形を奉納されたという。妻も娶らず逝ってしまった息子にせめてもの願いを人形に込め奉納された母親の気持を思う時胸が熱くなるのを禁じ得なかった。
戦死した23歳の息子に贈った花嫁人形
遊就館 (平成10.8)
◯ ドキュメント映画「私たちは忘れない」
平成15.12.8、遊就館でこの映画が上映されていた。日清・日露の大戦から大東亜戦争までのわが国の近・現代の戦争の歴史を貴重な映像と史実に基づき再現したもので、多大の感銘を受けたので、ビデオを購入してきた。後世に残すべき貴重な記録。
◯ 野外劇「同期の櫻」とそのビデオ
平成16年、日付は忘れたが、遊就館前の庭で野外劇「同期の桜」を見たことがある。特攻志願の風景、予備学生と海軍兵学校出身との対立、出撃風景、遺書など感動の場面の連続であった。この作品をビデオにしたものを旅魂会の大川信男氏から頂戴した。今回改めて再見、これも貴重な記録として保存することとした。
はじめに1 海軍志願から入隊まで2 大竹海兵団から旅順へ3 旅順海軍予備学生教育部4 大竹海軍潜水学校5 大竹潜水学校 柳井分校6 倉橋島基地(大浦突撃隊)7 小豆島基地(小豆島突撃隊)8 戦後の小豆島・蛟竜艇長第17期会9 戦友会 − 旅魂会10 蛟竜艇長第17期会刊行の著作11 靖国神社・遊就館12 旧海軍兵学校13 海軍思い出の地・行事あとがき■ 資料 ■資料1 旅順海軍予備学生時代、 私の「学生(生徒)作業簿」資料2 「旅魂」編纂に関するアンケート回答資料3 宇都大尉 餞の言葉 士官の心得資料4 海軍時代によく歌った歌資料5 佐久間艇長を偲ぶ資料6 出陣賦(辞世の和歌集)資料7 「嗚呼特殊潜航艇」碑 その建立と除幕式の模様資料8 蛟竜艇長第17期会総員集合 参加記録資料9 佐野大和著「特殊潜航艇」 抜粋資料10 旅魂会 参加記録資料11 鉾立(恒見)教官 訓話資料12 田中穂積を偲ぶ資料13 旅魂会 最終回資料資料14 孫たちに伝え残したいこと資料15 ハワイ 真珠湾めぐり資料16 基地の地図