資料14  孫たちに伝え残したいこと



孫たちに伝えたいこと(「特攻艇長たち 次世代への遺言より)   

高 橋 春 雄 


● 世界的視野に立って日本の歴史を読みなおし、戦争の意味を考えてほしいこと。 


皆さんはもちろん学校で日本の歴史を習った筈ですが、歴史にはいろいろの見方、考え方があることを知ってほしいのです。学校で習ったことだけでなく幅広く沢山の本を読んで、おじいさんたちが若い頃、日本がどうしてあのような大きな戦争をしたのかを知ってほしいし、そして今後日本が、われわれ日本人が国際社会の中でどのように生きて行くべきかを真剣に考えてほしいのです。

おじいさんもこの年になるまで、大東亜戦争についてのいろいろの本を読み考えてきました。大部分の本は処分してしまいましたが、ここ二、三年の間に購読し、手元にあるものだけを末尾に掲げてみました。これらの本の中には戦争についていろいろの意見が書かれています。しかし、大きく分けると次の二つの意見に分かれるように思います。

一つはどんな屈従に甘んじても戦争は絶対にしてはならないとの考え方、
もう一つは譲歩も限界に達した時は、決然として戦うべしとの考え方です。

それぞれの主張にはそれなりの説得力があり、私たち直接戦争に参加した者の中でも意見が分かれますが、おじいさんは後者の考え方で生きてまいりました。この考え方を皆さんに強制しようとは思いませんが、次のような歴史的事実を経て、今日の日本があるということは是非知ってほしいと思います。


・ 世界には白人たちに滅ぼされてしまった原住民が沢山あったこと。

弱い者は歴史から抹殺されてしまうことは歴史が証明しています。例えばアメリカ大陸のインデアン、中南米のインカ帝國、オーストラリアのアボリジニ等の原住民は白人の侵略により抹殺されてしまいました。また、アフリカの黒人は奴隷としてアメリカに連れてこられアフリカは殆どが欧米諸国の植民地になってしまいました。

・ 大東亜戦争前まではアジア、大洋州はほとんど欧米諸国の植民地であったこと。

私が学校で習ったころの世界地図では、インド、ビルマ(現ミャンマー)、セイロン(現スリランカ)、シンガポール、マレー半島(現マレーシア)、オーストラリア、ニュージーランド、カナダは英国領となっており、英国は「日の没することのない国」と誇っていました。また、カンボジア、ベトナム、ラオスはフランス領、インドネシアはオランダ領であり、米国はハワイ、グアム、ウエーク、サモアを奪い、フイリピンをその保護国にしていました。

中国も英仏独日露などによって事実上分割統治されており、主権はないに等しい状態でありました。

・ 明治以降の日本の戰争は白人に支配されないための戦いであったこと。

徳川時代の平和の夢を破ったのは米国の黒船来航です。武力を背景にした強圧により不平等条約を締結させられ、国を開かざるを得なくなったのです。米国だけでなく、ロシヤ、イギリス、フランス、ドイツの諸国もアジアに植民地を求めて進出してきました。

手をこまねいていれば、白人諸国に支配されてしまうことを予見した明治維新における日本の先達は、欧米諸国に追い付く富国強兵の策を選び、日露戦争では辛うじてロシヤの野望を食い止めることが出来ました。

日本は日露戦争によって獲得した権益にもとづいて満州の開発に乗り出したのですが、日本の力がついてくると白人国家はさまざまな圧力をかけてきました。軍部の横暴その他非難さるべき点も多々あったとは思いますが、白人諸国の強引な植民地政策に対して唯一、有色人種の国として「座して死ぬより戦って死すべし」と窮鼠猫を噛む悲壮な覚悟で立ち上がったのが大東亜戦争であると思います。

開戦に際して永野修身軍令部総長は「戦うも亡国かも知れぬ だが戦わずしての亡国は 魂までも喪失する永久の亡国です。たとえ 一旦の亡国になろうとも 最後の一兵まで戦いぬけば、我らの子孫は この精神を受け継いで 必ずや再起三起するであろう」と言っています。そして最後の一兵までとは行かぬが、この戦争で亡くなった方は靖国神社に祀られている方だけでも二一三万余柱にのぼり、非戦闘員を含めるとこの戦争で犠牲になった方は厖大な数にのぼるものと思われます。

私はこの永野軍令部総長の言葉を今の若い人たちに噛みしめていただきたいと思うとともに、大きな歴史の流れの中にあって、あの状況下において日本が下した決断は正しかったと思います。もしあの時日本が立ち上がらずアメリカの要求に屈していたとすれば、おそらく日本だけでなく、アジア全体が欧米諸国の植民地になっていたことは必定と思うからです。

・ 極東軍事裁判で日本人全員の無罪を主張した外国人がいたこと。 

戰争は結果的には無条件降伏、極東軍事裁判では日本のリーダーたちは絞首刑となってしまいましたが、アメリカの原爆投下やソ連の不法侵入、強制連行は不問に付されてしまいました。そして日本は侵略国家で、日本は悪いことをしたと謝り続ける国になってしまったのです。

しかし、この裁判でただ一人、敢然と全員無罪を主張した外国人がいたことを是非覚えておいて下さい。それはインドのパール博士です。博士は、その意見書の中で、ハル・ノートにふれ、次のように非難しています。「これと同じ通牒を受け取った場合には、モナコ公国か、ルクセンブルグ大公国のような小国でさえも、アメリカに対して武器を手にして立ち上がったであろう」と。

田中正明著「パール博士の日本無罪論」(慧文社)には、日本が戰争に突入するまでの過程を、外国人として、客観的、詳細に記述しています。皆さんにも是非読んでほしい本です。

・ 日本が戦った結果、アジアから白人の領土が姿を消したこと。

大東亜戦争は敗れてしまいましたが、開戦当初、日本軍にもろくも敗退したイギリス軍を目のあたりにして、アジアの南方諸国は勇気づけられて続々と独立を勝ちとっていきました。その結果、戦後にはアジアから白人諸国の領土は姿を消し、アフリカでも独立が相次ぎました。日本はかってアジア諸国が成し得なかった白人支配に敢然と戦いを挑み、有色人種の意地を見せたのが、大きな引き金になったのではないかと思います。心あるアジアやアフリカの人は喝采を送ってくれているのです。

・ 国家危急存亡の時、一命を抛って特攻を志願した若者が大勢いたこと。

私が学業を途中で抛ち、海軍予備生徒に志願して海軍に入ったのが昭和十九年、十九歳、特攻を志願したのが二十歳になったばかりの頃です。当時の雰囲気としては、国難に際して美しい国土や親兄弟、妻子を護れるのは自分達若者のほかにはいないのだ、当然の責務であると考えていました。今でも国の危急存亡の時には若い者が率先して、危地に赴くべきであると考えております。

特攻で出撃して散った若者たちの遺書を、皆さんに、特に二十歳前後の若い方々に是非自分の目でじっくりと読んでほしいと願っております。

出来れば自分で足を運び、靖国神社の遊就館、鹿児島県知覧の特攻平和会館、広島県江田島旧海軍兵学校資料館、山口県大津島回天記念館等に展示されている実物を見て下さい。
書籍も日本戦没学生記念会編「きけわだつみのこえ」岩波書店発行、靖国神社企画編集「いざさらば我はみくにの山桜」等多数出版されています。 

戰争などないに越したことはないし、あらゆる方策をとって回避するよう努力しなければならないのは当然ですが、理不尽な戦いをしかけられた時や、テロ攻撃を受けた時には決然として受けて立つ覚悟がなければならないと思います。

「戦争放棄、平和」と唱えていれば、自動的に平和になるくらいなら、「地震無用」「台風無用」と憲法に明記したいところです。

世界中どこの独立国を見ても軍隊を持たない国はありません。日本も自衛隊を持っており、これは明らかに軍隊なのです。自衛隊を日陰者にしておいては隊員の志気にかかわります。自衛隊の幹部養成機関はかっての陸軍士官学校、海軍兵学校のように、一高、東大と並んで日本中の若者が狙うような魅力あるものにしなければならないと思います。

・ 海軍の教育には良いところが沢山あったこと。

海軍の士官養成のための教育には良いところが沢山あったと思っています。先ず軍人である前にジェントルマンたるべく躾教育が行われました。五分前の精神、五省、スマート、几帳面、負けじ魂、連帯責任、己に克つ等々は私の精神的バックボーンとして海軍時代に培われたものと思っています。

海軍の艦艇は精神力だけでは動きません。どうしても理数系の学問が必要不可欠、一年間でとにかく特殊潜航艇で敵艦を襲撃するに必要な知識経験を叩き込まれたのは辛かったが貴重な体験でした。

若くて頭も身体も柔軟な時期に、猛烈に勉強し鍛えられる機会を国としても考え、若者も積極的に求めてほしいものです。


● 現在の世相を憂える年輩者が大勢いること


戦後六十年を経てすっかり価値観も違ってしまいました。「老兵は消え去るのみ」かも知れませんが、老兵が集うと話題になることを二、三取り上げてみます。老婆心ならぬ老爺心と思って聞いて下さい。

・ 結婚して子供を少なくとも二、三人は産んでほしいこと。

現在の若者は結婚したがらない、子供を産みたがらないという風潮があるようです。地球上の人口が急増するのは考えものだが、人口が減るようでは日本の行く末が案じられるし、自分達の老後も心配です。今若くとも必ず老いはやってきます。自分たちの老後をカバーしてくれるのは子や孫の他にいない、目先の安逸のみ求めないで長い目で自分たちの将来、日本の行く末を考えて下さい。

・ 周りの人を思いやる心、感謝の心、「公」の観念を大事にしてほしいこと。

人間は一人で暮らして行けない、必ず他人との関わりが生じてきます。自分の主張だけを通そうとすると摩擦が生じます。相手の人の気持を考えれば大抵のことは妥協できるはず。また、自分の周囲をよく見廻せば平和な国土、健康な身体、四季の変化に富んだ自然、便利な生活等々有難いことばかりです。みんなで決めたことは、いやでも我慢して協力する気持を持って下さい。

・ 自分自身の考え方をしっかり持ってほしいこと。

私が若い頃には軍国主義一辺倒の教育を受けてきました。しかし、現在は情報過多の時代。いろいろの意見に惑わされることも多いと思うが情報が多いのは有難いこと。自分なりにじっくり検討して自分自身の人生観、国家観を確立して下さい。そしてその過程でこのおじいさんの考え方を少しでも参考にしてもらえれば嬉しい限りです。


● 参考文献   ○印は私が推奨する本

著者       題 名 出版社

○ 前野  徹  わが愛する孫たちへ伝えたい  戦後歴史の真実 KK 経済界

○ 太平洋戦争史シリーズ  甲標的と蛟竜  学習研究社

○ 市販本    新しい歴史教科書  扶桑社

○ 中條 高徳  おじいちゃん戦争のことを教えて  致知出版社

○ 日高 義樹  アメリカ軍が日本からいなくなる  PHP研究所

○ 瀬島 隆三  大東亜戦争の実相  PHP研究所

  河合  敦  目からウロコの太平洋戦争  PHP研究所

○ 中曽根康弘、石原慎太郎  永遠なれ、日本  PHP研究所

  神坂 次郎  特攻隊員の命の声が聞こえる  PHP文庫

  阿川 弘之  日本海軍に捧ぐ  PHP文庫

○ 戦中派遺言出版会編  二十一世紀への遺言  善本社

  宇佐見 寛  人間魚雷「回天」  善本社

○ 西尾 幹二  国民の歴史  産経新聞社

○ 渡部昇一ほか 日本の正論 二十一世紀日本人への伝言  産経新聞社

○ 瀬島龍三回想録 幾山河  産経新聞社

  小林よしのり  戦争論  幻冬舎

○ 小林、福田、佐伯、西部  国家と戦争  飛鳥新社

○ 福田 和也  すべての日本人に感じてほしい 魂の昭和史  小学館文庫

  岩井忠正・忠熊特  攻新日本  出版社

  田  英夫  特攻隊だった僕が若者に伝えたいこと  リヨン社

  靖国神社編  いざさらば我はみくにの山桜  展転社

  読売新聞社編 二十世紀太平洋戦争  中公文庫

  蝦名 賢造  海軍予備学生  中公文庫

  陰山 慶一  学徒出陣よもやま物語  光人社NF文庫

  森本 忠夫  特攻 外道の統率と人間の条件  光人社NF文庫

  写真太平洋戦争 十巻  潜水艦作成、終戦時の帝国艦艇  光人社NF文庫

  小島 光造  回天特攻  光人社

  森山 康平  図説 特攻  河出書房新社

  吉田 俊雄  日本海軍のこころ  文春文庫

  石原慎太郎、田原総一郎  勝つ日本  文春文庫





はじめに
1  海軍志願から入隊まで
2  大竹海兵団から旅順へ
3  旅順海軍予備学生教育部
4  大竹海軍潜水学校
5  大竹潜水学校 柳井分校
6  倉橋島基地(大浦突撃隊)
7  小豆島基地(小豆島突撃隊)
8  戦後の小豆島・蛟竜艇長第17期会
9  戦友会 − 旅魂会
10  蛟竜艇長第17期会刊行の著作
11  靖国神社・遊就館
12  旧海軍兵学校
13  海軍思い出の地・行事
あとがき
■ 資料 ■
資料1  旅順海軍予備学生時代、 私の「学生(生徒)作業簿」
資料2  「旅魂」編纂に関するアンケート回答
資料3  宇都大尉  餞の言葉  士官の心得
資料4  海軍時代によく歌った歌
資料5  佐久間艇長を偲ぶ
資料6  出陣賦(辞世の和歌集)
資料7  「嗚呼特殊潜航艇」碑  その建立と除幕式の模様
資料8  蛟竜艇長第17期会総員集合  参加記録
資料9  佐野大和著「特殊潜航艇」  抜粋
資料10  旅魂会  参加記録
資料11  鉾立(恒見)教官  訓話
資料12  田中穂積を偲ぶ
資料13  旅魂会  最終回資料
資料14  孫たちに伝え残したいこと
資料15  ハワイ 真珠湾めぐり
資料16  基地の地図

特殊潜航艇「蛟竜」−高橋春雄・海軍の自分史−

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