私の履歴書3 逓信講習所入学・父の死・小出局 昭和14〜16(歳)

小学校高等科の卒業も間近くなった。同級生の中には中学校へ進む者も何人かいたが、我が家の家計では到底望むべくもない。父は自分で若い時に苦労して海軍に入っただけに学問については理解があり、割合勉強が好きだった私になんとか進学させてやりたいと思ったようである。

当時逓信講習所と鉄道講習所というのがあって、ともに卒業後一定期間就職する条件で、学費を支給して養成してくれる制度があった。父は逓信講習所のほうを勧めてくれた。東京に出たいという気持はあったので、喜んで受験することとした。幸い合格することが出来て14年3月に小学校を卒業するとすぐ4月には上京することとなった。

講習所は東京麻布の広尾町にあった。宿舎は中目黒に自彊寮という寄宿舎が用意されていた。父も14歳の子供を独りで上京させるのは心配だったとみえて一緒についてきて寮に一晩泊まってくれた。朝起きて天井を見ると田舎の家と違う。いよいよ東京に来たのだなと思う。父も帰ってしまった。いよいよ一人で何もかもやらなければならない。周りは皆かしこそうな人ばかりである。6畳一間に4人が入る。それも上級生ばかりである。上京して2ヶ月後家族にあてた手紙が残っており、またその頃、小学校の同級生が作った同窓会誌が残っており、それに私が、「男児立志出郷関」と題して投稿しているので掲げてみる。

がらりと変った生活にも次第に馴れて、トンツーの音も聞き分けられるようになった。3月の予定が12月に繰上卒業となって東京中央電信局に配属される。

関東地方一円の郵便局相手にトンツーと電鍵を叩いて電報を送受するのである。少し腕があがってくると結構面白い仕事である。

逓信講習所には高等科があり、その先には逓信官吏練習所がある。友達は殆ど全員これを目指して勉強しているようだ。私も仕事しながら勉強して上の学校の受験を目指していた。

ところが、昭和15年11月、父が交通事故で急死してしまった。その年には二人の妹も死んでいる。1年に3回も葬式を出すなんて・・・長男の私が15歳、その下に3人の弟と1人の妹がいる。皆まだ小学生である。母は4人の子供を抱えて途方に暮れていた。私は東京から郷里の小出郵便局に転勤させてもらいたいと願い出た。願いが叶って16年3月、小出局に勤務できることとなった。                  


父上のすすめで受けし講習所 念願叶い初の上京

トンツーの技術も覚え無事卒業 配属先は東京

妹を二人も亡くしその上に 父上までが事故で死すとは

逓信講習所寄宿舎 自彊寮にて 左端が私 (昭和14.4)
逓信講習所寄宿舎 自彊寮にて 左端が私 (昭和14.4)

新潟県小出郵便局前にて (昭和16) 前列右より3人目が私
新潟県小出郵便局前にて (昭和16) 前列右より3人目が私



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