私の履歴書25  謡曲7( 弥 生 会 )    昭和51〜

この会は渡雲会会員のうち練馬近辺に在住の方の親睦謡会であるが、渡雲会の元幹事長の八角菊栄氏、金沢市に移り今は亡くなられた飯田一郎氏が発起人となって、昭和51年3月第1回会合を開いてから毎月ほぼ2回のペースで謡会を開催し、30年余を経過した平成20年2月には633回を迎えようとしている。

初回から八角さんが世話をして下さっていたが、八角さんが亡くなられてからは、長島経治さんが引継ぎ、現在は山田清重さんが世話役をしておられる。当初は会員の鹿島清さんの経営するはま松会館を使わせてもらったが、平成8年からは会館側の都合で会場を練馬文化センターに移し、その後センターの改修に伴い、区立の向山庭園に場所を移した。素人だけの会であるが、お役は地頭を含め順番に割り当てられるので大変勉強になる。

私も当初からメンバーの一員であったが、現役時代は欠席がちだった。定年退職後は出来るだけ出席してきた。時には向山庭園、山口湖畔、飯能の竹寺に出かけ、花や月を愛で竹の器の料理を味わいながらの謡会もあり、渡邊三郎先生が出席されることもあったりして思い出は尽きない。

また、たしか上田守長先生が弥生会と若松会の両方に関係しておられたようで、年に一回合同謡会を開催するようになり、また、練馬区謡曲連盟の五流合同大会にも参加することとなった。他のサークルとの交流はよい刺激となり私たちの励みにもなるばかりでなく、趣味を同じくする人たちの集いはまことに楽しい。

役や地頭は事前に割り当てられる。「弱法師」「藤戸」「唐船」「鉢木」等かなり重い曲のシテや地頭を指名されたときは、冷や汗をかきながら謡った。しかも月二回のペースで回転が早い。しかし、これが結果的には随分自分の勉強になったようで感謝している。弥生会メンバーの技量もこの会のおかげで長足の進歩をしているようで、渡邊先生門下の中でも大きな勢力になっていると思う。

メンバーもだいぶ入れ替わったが、現在も約15名が元気で集まっている。

500回を迎えた時、これを記念して皆さんの文集を作ることを提案し、賛同を得て「やよい」なる記念誌を作成した。私も「謡蹟めぐり、寺社めぐり」なる一文を寄せている。写真編、文集編、資料編あわせて100頁ほどにまとめ関係の方々に喜んでいただいた。


竹寺の山菜料理に添えられた歌

萩が花尾花葛花なでしこの花 女郎花また藤袴朝顔の花  山上憶良

春日野に煙立つ見ゆ乙女らし 春野のうはぎ採みて煮らしむ 山部赤人

秋の野に咲きたる花をおよびおり かきかぞふれば七種の花 山上憶良

弥生会 狭山湖畔 湖畔荘にて (昭和58.4)
弥生会 狭山湖畔 湖畔荘にて (昭和58.4)

弥生会 飯能市 竹寺にて (昭和61.4)
弥生会 飯能市 竹寺にて (昭和61.4)

弥生会 飯能市 竹寺にて (平成10.9)
弥生会 飯能市 竹寺にて (平成10.9)

竹寺にて 竹の器の山菜料理 (平成10.9)
竹寺にて 竹の器の山菜料理 (平成10.9)

竹寺にて 和歌を添えられた山菜料理1 (平成10.9)
竹寺にて 和歌を添えられた山菜料理1 (平成10.9)

竹寺にて 和歌を添えられた山菜料理2 (平成10.9)
竹寺にて 和歌を添えられた山菜料理2 (平成10.9)

弥生会 向山庭園のさくら祭に参加出演 (平成19.3)
弥生会 向山庭園のさくら祭に参加出演 (平成19.3)



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