資料   「定年後の足跡」より  (平成11年9月)

      ま え が き


 本年5月の連休中、久しぶりに喘息の発作を起こし、5月6日から21日まで16日間、飯田橋の東京逓信病院に入院する羽目となってしまった。


 KDD在職中は病気らしい病気をしたこともなかったが、定年退職し、子会社に勤務するようになってから、喘息を患い、昭和62年春はじめて入院、2〜3年の間に、喘息その他で合計6回も入退院を繰り返してしまった。その後喘息が治った訳ではないが、朝晩2回、30分づつの吸入や、10種類ほどの薬のおかげで大きな発作も起こさず10年ほど経過してきた。しかし今回は久しぶりに入院する事態になってしまった。


 入院すると点滴やら吸入、いろいろの検査で慌ただしいが、一段落して呼吸も楽になると時間を持て余すようになる。そんな時に、12年前に入院した時のことを思い出した。あの時も時間を持て余し、「うた」作りをして「病床うた日記」としてまとめた記憶があるので、家内に探して持ってきてもらった。昭和62年4月に入院した時のものと、同年11月に入院した時のものと2冊あった。1冊目の「まえがき」にこんなことが書いてある。


 「この年になるまで、俳句一つ、短歌一つ作ったことのない私ですが、今年の三月頃よりぜんそくの発作が始まり、夜中に寝ていられなくなると起き出す日が続き、どうせ眠れぬなら歌でも作ってみようかと、歌作りの真似ごとを始めました。十七文字、三十一文字に並べるというだけのことで、俳句でも川柳でも短歌でもないようなものですが、それでも何らかの枠におさめるということは、時間つぶしにはもってこいの作業となりました。」


 二度目に入院したときもほぼ同様のことをして過ごしたが、退院が決まった頃の「うた」に

       ぜんそく様 仲よくくらして いきましょう

というのがあり、また、「退院後やってみたいこと」として、次のような項目を「うた」で記している。


(お礼詣り)ふるさとの鎮守様、守り本尊の虚空蔵様、坂東の札所めぐり、
      西国の札所めぐり、朝夕の礼拝

(謡  曲)仕舞、囃子謡のけいこ、自信ある謡の地頭、能・舞囃子を目標に、
      謡蹟めぐり、謡曲調のうた作り、

(ドライブ)妻とゆっくり慎重に、馴れるまでは遠乗りは避ける、
      何時の日か東北・北海道・九州・北陸路をめざす、

(外国旅行)一年に一度は妻と外国旅行、先ず韓国、次ヨーロッパ、
      妻にも見せたいニューヨーク、寒い時のオーストラリア滞在、

(パソコン)「一太郎」「花子」のマスター、パソコンでカラーのお絵描き、
      パソコンで名簿の整理、

(書  道)お習字を始める、通信教育申込み、時間できたら教室へ、



 数えてみるとこの願望を記した時からすでに12年が経過している。ざあっと振り返ってみると、書道はものにならなかったが、その他の項目については、喘息と付き合いながらも、信心と、趣味の謡曲と、クルマと、パソコンと、それに妻に支えられて、かなりいい線を辿ってきたような感じがする。今回は12年前に願ったことがどの程度実現したか検証しながら三度目の「病床うた日記」を作ってみようと思い立った。


 この年まで生きると実に多くの方々にお世話になってきたものとしみじみ思う。在職中はともかく、定年退職後のお付き合いには自分から動き出すことが必要だ。病気を持っているからとて、家にこもってはならないと、出来るだけ外に出ることを心がけてきた私に、周囲の方々は実にあたたかく接してくれた。


 これらの方々に何か感謝の意を表したいと願っていたが、今回の入院を機に「うた日記」をまとめることが出来、またパソコンに入力したカラー写真もなんとか印刷できる見込みが立ったので、「うた」と「写真」を中心に、これに作品と資料も添え、感謝の気持をこめ、迷惑を承知で贈呈させていただくこととした次第である。結果的には自分史の「定年後版」になってしまい、殊に謡曲に無縁の方には興味のない内容になってしまったが、ご理解願いたいと思う。


 校正については妻に手伝ってもらったが、その他文字や写真のパソコンの入力、レイアウトなど、すべて私の手作業、見苦しい点はご了承願いたい。


       平成11年8月吉日(74歳)

                        高 橋  春 雄




        目  次


 ま え が き

 人 名 索 引


 日 記 編


年月日  テ ー マ                ページ

平11・5・6入院 ・・・・・・・・・・・・・・・・・1

7  病室、同室の患者さん、長女一家 ・・・・・・・・2

8  眠れぬ夜、長女一家帰国、本日の治療・服薬 ・・・3

9  十二年間回顧、お礼詣り ・・・・・・・・・・・・5

〃  謡曲、ドライブ ・・・・・・・・・・・・・・・・6

〃  外国旅行、パソコン・ワープロ ・・・・・・・・・7

〃  書道、うた日記作成、長女一家帰国・見舞いにくる 8

10 札所めぐりの思い出 ・・・・・・・・・・・・・・9

〃  謡友 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14

11 本づくり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15

〃  家内との外国旅行 ・・・・・・・・・・・・・・・20

12 能を舞う ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22

〃  舞囃子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23

〃  謡曲名所めぐり ・・・・・・・・・・・・・・・・24

〃  戦友会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25

〃  回顧 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30

13 心に残る謡曲の名文句

〃  葵上、阿漕、芦刈、安宅、敦盛、海人 ・・・・・・32

〃  綾鼓、嵐山、井筒 ・・・・・・・・・・・・・・・33

〃  雨月、歌占、善知鳥、雲林院 ・・・・・・・・・・34

〃  江口、烏帽子折、大江山、大原御幸、女郎花 ・・・35

〃  景清、花月、鉄輪、兼平 ・・・・・・・・・・・・36

〃  杜若、通小町、邯鄲、祇王、砧 ・・・・・・・・・37

〃  清経、草薙、国栖、熊坂 ・・・・・・・・・・・・38

〃  鞍馬天狗、黒塚、絃上 ・・・・・・・・・・・・・39

〃  高野物狂、小督、小袖曽我 ・・・・・・・・・・・40

〃  西行桜、桜川、実盛 ・・・・・・・・・・・・・・41

〃  七騎落、石橋、猩々、隅田川 ・・・・・・・・・・42

〃  蝉丸、高砂、忠度、田村 ・・・・・・・・・・・・43

〃  土蜘、経政、鶴亀、天鼓、唐船 ・・・・・・・・・44

〃  東北、融、木賊 ・・・・・・・・・・・・・・・・45

〃  巴、朝長、鳥追 ・・・・・・・・・・・・・・・・46

〃  難波、錦木、錦戸、鵺 ・・・・・・・・・・・・・47

〃  野宮、野守、羽衣 ・・・・・・・・・・・・・・・48

〃  半蔀、鉢木、花筐 ・・・・・・・・・・・・・・・49

〃  班女、雲雀山、百萬、藤 ・・・・・・・・・・・・50

〃  富士太鼓、藤戸、船弁慶、放下僧 ・・・・・・・・51

〃  巻絹、松風、松虫 ・・・・・・・・・・・・・・・52

〃  満仲、三井寺、三山、望月 ・・・・・・・・・・・53

〃  求塚、紅葉狩、盛久、八島 ・・・・・・・・・・・54

〃  山姥、遊行柳、熊野、養老 ・・・・・・・・・・・55

〃  吉野静、弱法師、頼政、羅生門 ・・・・・・・・・56

14 諸会合参加・国内旅行 ・・・・・・・・・・・・・57

〃  謡曲名所めぐり ・・・・・・・・・・・・・・・・64

〃  同 越前・若狭・丹後・丹波路への旅 ・・・・・・65

〃  同 北九州・長門路の旅 ・・・・・・・・・・・・68

〃  同 佐渡の旅 ・・・・・・・・・・・・・・・・・70

〃  同 北陸路の旅 ・・・・・・・・・・・・・・・・72

〃  同 南紀の旅 ・・・・・・・・・・・・・・・・・75

〃  点滴解放 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・78

15 思い出の方々(渡雲会の方々) ・・・・・・・・・79

16 思い出の方々(教授嘱託会の方々) ・・・・・・・85

17 思い出の方々(KDD宝生会の方々) ・・・・・・90

〃  思い出の方々(東京小出会の方々) ・・・・・・・91

18 思い出の方々(官練同級生の方々) ・・・・・・・93

〃  大腸ポリープの内視鏡検査 ・・・・・・・・・・・96

19 思い出の方々(小学校同級生の方々) ・・・・・・97

〃  退院決定 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・98

20 思い出の方々(春秋会―KDD経理部OBの会―の方々)99 

〃  思い出の方々(蛟龍艇長十七期会の方々) ・・・・101

21 退 院 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・104

作品編



        あ と が き 


 退院してから早くも三ヶ月、漸く一通りの原稿を作り終えた。編集の経過を若干振り返ってみたいと思う。


○ 写真の数、うたの数等

 思いのほか、ページ数が多くなってしまった。改めていろいろの数字を調べてみた。

・ 写真の枚数       190枚

・ 「うた」の数        511首

・ 取り上げた「思い出の方々」  156名 (謡曲関係92名 その他64名)

・ 謡曲の名文句で取り上げた曲数 96曲

・ 謡蹟めぐり一覧表の謡蹟の数 2,000件

・ 作品編に取り入れた作品の数   30点


○ 体  調

 6月21日退院後順調に推移してきたが、8月はじめ調子を崩し、2回ほど臨時に受診した。入院かと心配したが、長時間の点滴を受け、薬も増量してもらい快復した。なんとか原稿が出来たのでホッとしている。


○ 写真の取り込み

 「うた」だけでは物足りないので、なんとかパソコンに入力した写真をカラーできれいに印刷できないか考えていた。退院後、知り合いの印刷会社の那須社長さんにお願いして自分のパソコンの写真がどの程度に印刷されるかテストしてもらった。その結果費用は多少かかるものの満足できる画質が得られることが分かったので実行に踏み切った。取り込みたい写真は無数にあるのでどの程度取り込むか迷った末、100ページ程度にとどめることとした。


○ 謡曲の名文句

 能の稽古、仕舞の地謡等々で謡を暗記した謡の中には名文句が多い。入院中もメモっていたが、退院して他の曲も参照すると捨てがたいものが多い。結局、宝生流現行曲180曲中、約半分の96曲を選んで五十音順に並べ、名文句を記すとともに、出来るだけその曲に関連する謡蹟の写真も掲げてみた。


○ 札所めぐり・神社仏閣詣で

 人間病気をすると神仏に依存する気持ちが強くなるのかも知れない。最初に入院した時、親戚の人にすすめられて、ごく自然に朝夕の読経、写経、お礼詣りするようになった。札所めぐりには出来るだけ家内や長男・長女と一緒に廻るよう心がけた。一生懸命に書いてきた「写経」を納め、般若心経を唱えたあとのすがすがしい気持はまた格別である。

 お正月は大抵家内と七福神廻りをしている。今までに廻った所は都内、近県のおよそ20ケ所となる。神社仏閣にお詣りすると大抵はご朱印をいただいてくるが、これを縮写してアルバムに貼って整理している。平成になってからの、ご朱印の数を数えてみたら、西国、秩父、坂東の札所と七福神関係を除いて400カ所にのぼっていた。

 この歳になってなんとか元気に過ごせるのも神仏のおかげと心から感謝している。


○ 謡曲名所めぐり

 この12年間に最も熱の入ったことといえば、謡蹟めぐりだったかも知れない。西国、坂東、秩父の札所めぐりが一段落する頃から、旅の興味は「謡蹟めぐり」に移っていったようである。

 平成元年に教授嘱託会の謡曲名所めぐり「大和路めぐり」に参加し、「女郎花」の石清水八幡宮、「井筒」の在原神社、「国栖」の浄見原神社、「三輪」の三輪神社、「玉葛」の長谷寺等々を訪ねたのが、本格的な謡蹟めぐりの最初である。今まで謡本の中で想像してもその曲の光景がなかなか浮かんでこなかったが、実際にその曲の舞台となった所を見た後は、その曲を謡うたびにその光景が脳裏に浮かんで、その曲に対する興味が倍増するのを実感した。

 その後もこの名所めぐりには毎年のように参加するほか、各地で開催される謡の会、戦友会、クラス会等に出席すると、その往復に一、二泊を加えて謡蹟を訪ねるのが習慣のようになってしまった。

 平成7年からは、嘱託会の名所めぐりの担当を仰せつかり、@越前・若狭・丹後・丹波路、A北九州・長門路、B佐渡、C北陸路、D南紀の五つのコースについて、たたき台や、ガイドブックを作成した。参加される方々に見ていただきたい謡蹟はコースの近くに沢山あるのだが、時間、大型バスの制約や参加者の年齢等を考えると、候補地の中から大幅にカットせざるを得ないのが辛かった。

 今までにどのくらい謡蹟をめぐったか数えたこともなかったが、今回一覧表を作成してみた。謡蹟の数え方にもいろいろあることと思うし、何回も訪ねた所もあったりして、もちろん正確な資料とは言えないが、この表に掲げたものだけで約2,000ケ所にのぼったのには驚いた。この全部について写真もあり、一応謡曲との関連についても調べてあるが、あまりに膨大になるので今回は年月と場所のみに留めた。今後時間をかけて分類整理してみたいと思っているので、その方法などについて皆さまからご教示いただければ幸いである。


○ 思い出の方々

 今まで実に多くの方々のお世話になってきたので、その思い出を「うた」に託してみようと思い立ったが、実際に取り組んでみると意外なところで迷うことが多かった。


・ 逝去された方の扱い

 私がすでに74歳になっているのだから、私がお世話になった方々は大抵私より年長の方が多いので、すでに物故された方の数も多い。従って「思い出の方々」と題する以上、これらの方々に触れるのが当然と思われる。

 しかし、本書作成の大きな目的は、現在生存されている方々に本書を差し上げて、今までお世話になったお礼の気持ちを少しでもお伝えしたいことにある。亡くなられた方々の思い出は他日に譲ることとして、今回は生存者に限定させていただいた。

 機会があれば、是非取り上げたいと密かに願っている物故者のご芳名を、敬称略で列挙し、冥福を祈らせていただきます。



渡雲会・KD宝生会 

秋元亮一、阿部理一、伊東史、井上久一、岡安正巳、加児健三、斎藤基房、塚田初恵、中村正巳、松田勇、丸山乗一、三上加奈於、宮嶋仲


KDD親謡会

大野勝三、古池信三、渋谷光、志水精次、谷政三、広島通、古瀬利蔵、町田辰次郎、松尾義久、山本弘二 


青葉宝生会

倉沢岩雄、篠田森太郎、田倉八郎、田近老雄、田辺梅太郎、細野春雄、山田忠次


官練二行22期

石渡進、鈴木勝次、青木忠一、三木武雄、上西康夫、佐々木民司、水上豊、湯川一雄 


戦 友 会   泉喬、上原保郎、大内宏、清原貞夫、都築実、八田巌、村沢秀次 


小 学 校   猪又福一、鬼塚達宗、高橋賢市、山之内泰一


K D D   有竹秀一、笹本昇、増田元一、山岸重孝  


そ の 他   市村譽虎、馬場慎一郎、林繁樹        以上56名



・ 会社関係の方々

 逓信省、電電公社、KDD等に48年間も在職したのだから、この間にお付き合いいただいた方は数え切れない。しかし、会社の仕事から離れて十年以上も経過すると、次第に疎遠になるのはやむを得ないことかも知れない。亡くなられる方も多い。定年退職者で構成する「同友会」も年に1,2回開催されるが、数百名も集まるとじっくり話をする暇もなく、年賀状の交換程度の付き合いになった方が多いのは残念である。

 結局、会社で謡曲を一緒にやっている仲間と、長年勤めた経理部のOB会「春秋会」の方々のみを取り上げることとした。


・ 謡曲仲間の方々

 現在私が最もお世話になっているのは、謡曲関係の方々である。渡邊三郎先生の渡雲会、宝生流教授嘱託会、KDD宝生会を中心にする謡曲愛好家の活動は実に活発で、これらの会の諸行事に全部参加しようとすると誠に忙しい。

 特に教授嘱託会は宗家より謡曲教授を嘱託された方々の全国組織で全国に約3,000名の会員を擁する大きな組織である。全国大会、地方大会、謡曲名所めぐり等で年に何回も顔を合わせる方も多い。東京支部も会員約300名で、種々の活動を行っている。できるだけ多くの方を取り上げてみたかったが、私自身よく知らない方も多く、特に東京支部の女性の方々の場合、私にとって「うた」にするのが大変難しく、また、どの範囲の方を取り上げるかの判断をつけかね、結果として一人も取り上げなかったことをお詫びする。


・ その他クラス会、戦友会等の方々

 種々様々の会合があるが、10年以上も継続して開催され、それに殆ど出席している会合となると数は少ない。いずれも家族ぐるみの付き合いとなっており一同毎年の開催を楽しみにしている。ただし、親戚関係の方々の思い出は今回はとりあげなかった。


○ 作品編・資料編について

 病院で詠んだ「うた」だけでは一冊にまとめるには淋しいので、これに写真、12年間に書き溜めた作品、札所めぐり・主な会合出席・謡蹟めぐり・謡年表等の資料を添えさせていただいた。

 作品編には主に最近12年間に書いたもので、なんらかの形で公表されたものの中から30点を選び、書いた時期の順に掲載した。内容は大きくわけて、謡曲関係、戦友会関係、親戚関係、会社関係、その他となっているが、掲載書が異なるため、同じ内容が重複している個所もありご理解を得たいと思う。

 資料編についても、この12年間あちこちよく旅行したが、クラス会関係を除き一覧表に整理したものが無かったので、札所めぐり、戦友会等についても整理してみた。また謡蹟めぐり一覧表もこのような表を作ってみて、よくもこんなに廻ったものと自分でびっくりしている。どこへ行けばどんなものがあるか若干でも参考になれば望外の喜びである。

 私自身は作品編、資料編を作成して頭の中が整理されたようで喜んでいる。


○ 終 り に

 今までに本作りも何回か手がけたが、今回のようにカラー写真を取り入れ、自分だけの作品で、250ページもの本にまとめるのは始めてのことである。

 定年後、撮り続けた写真も膨大な数にのぼり、また、書き溜めた作文もかなりの量になっているので、謡曲関係の自分史でも一段落したら、機会を見て整理したいとは願っていたが、まだまだ遠い先のことと思っていた。

 しかし、今回の入院で何時何が起きても不思議はない年齢にさしかかっていることを痛感させられた。入院中にメモった「うた日記」をベースにして、お世話になった方々に、私の人生の中間報告をしてみようという気持になった。興味のない内容を押しつけるようで恐縮千万でございますが、歳に免じてご受納いただければ幸いです。

 この先のことは神のみの知るところであるが、この12年間と同じく、「ぜんそく」と仲良くつきあいながら、気持ちだけは皆さんに迷惑をかけずに、謡曲だけは続けて行きたいと願っております。 今後もどうぞよろしくお願い致します。


            平成11年8月20日     

                           高 橋 春 雄



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