資料   日比谷笑談会 「謡曲について」

           資料目次       平成12.3.23


○ 自 己 紹 介 (資料1)・・・・・・・・・・・・・・・・ 1

○ 能・謡曲の予備知識 (資料2)・・・・・・・・・・・・・・ 2

○ 謡曲謡本「高砂」の一部 (資料3)・・・・・・・・・・・・ 3

○ 祝言・追善等の小謡の一部 (資料4) ・・・・・・・・・・ 4

○ KDD誌、平成12年2月号抜粋 (資料5) ・・・・・・・・ 5

  (KDD宝生会の紹介記事)

○ 能「七騎落」の役とシテ・三役の別 (資料6) ・・・・・・ 6

○ 能樂関係のプロの数 (資料7) ・・・・・・・・・・・・・ 7

○謡曲「高砂」と「七騎落」の梗概と謡蹟の一例(資料8)・・・・ 8

○謡曲十五徳 (資料9) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9

○ 難しい謡曲の曲名の読み方 (資料10)・・・・・・・・・・・10

○ 謡曲によく登場する人物、謡曲の出典等(資料11)・・・・・・11

○ 観能の手引き (資料12) ・・・・・・・・・・・・・・・・12

○ 入手しやすい謡曲・能関係の図書 (資料13)・・・・・・・・13

○ 新聞記事 「高砂や」老若男女の大合唱 (資料14).....14

○ 新聞記事 針生武巳「伯父の農民日誌を世に」(資料15)・・・15

○ 公民館会報 及川與一「米寿を越えてますます活躍」(資料16)  16




   (「日比谷同友会会報」 平成12年7月 150号より)


    私の「謡曲について」紹介記事 「第45回日比谷笑談会」
          

 第45回例会を去る3月23日(木)、NTT中野クラブで開催しました。出席者12名でした。今回は、高橋春雄氏(元KDD経理部長、昭59年退)に、「謡曲について」をテーマにお話を伺いました。


 はじめに植木会長から、「四月から介護保険が始まるが、健康を保つにはいろいろな趣味を持つこと、そして笑いもおおいに大切」と笑談会の主旨について挨拶があり、三浦会員の音頭で乾杯し、本題に入りました。


 まずは自己紹介。高橋さんは、昭和19年に官練二行を卒業、直ぐに海軍に入り特攻隊志願、特殊潜航艇艇長講習員として瀬戸内海各地での訓練を経、小豆島で終戦。20年、逓信省に復職し、28年、KDD発足と同時に同社経理部へ。謡は29年、KDD宝生会発足時に始め、その後、プロに師事し宝生宗家から教授嘱託免許を受け教授嘱託会に入会、東京支部及び本部役員を歴任しましたが、今は役職を辞し、専ら謡の会に参加しているそうです。


 引き続き、能・謡曲の予備知識の解説がありました。謡人口は俗に、観世100万、宝生50万、金春・金剛・喜多三流あわせて五○万と言われているそうです。宝生流の謡曲は全部で180曲あるそうですが、ごく短い部分を聞かせる小謡には、高砂(祝言)、江口(追善)、鉢木(送別)などがあり、親しまれています。


 ここで、謡の実習です。先生の後について、「高砂やー・・・」の大合唱、なんとか「住の江につく」ことが出来ました。「暮れの第九」の向こうを張って、「正月の高砂」の大合唱が横浜能楽堂で行われているそうです。謡をやる人の最終目標は能を舞うことだそうですが、高橋さんは、「田村」や「七騎落」のシテ(主役)を演じたことがあるそうです。「謡曲十五徳」というのがありますが、その中から次の五つを特に解説して頂きました。


  不行地名所(行かずして名所を知る)

  不思登座上(思わずして座上に登る)

  在旅得知音(旅に在りて知音を得る)

  不習識歌道(習わずして歌道を識る)

  不望交高位(望まずして高位と交る)


 謡って楽しみ、舞って楽しみ、(能・謡曲を)観て楽しみ、)(謡跡を)巡って楽しむ。この「謡舞観巡」の四文字が生きがいとおっしゃる高橋さん、75歳の今でも、謡に加えパソコンと車もやっているそうです。何か打ち込めるものを持って、これからの人生を楽しく過ごすことが大切と言っています。


 そういう意味で高橋さんが紹介されたのは、同じ謡仲間の大先輩お二人の生き方でした。一人は、九○歳でワープロを独習し、山形県で明治・大正・昭和を生きた伯父の農民日誌を、100歳の大学先輩に励まされながら世に出し、「次は自分史を」という針生さん(毎日新聞、1999年12月11日)。

 もう一人は、謡曲を続けて50有余年、「時間は工夫して作るもの」と、その他にも、歩こう会、海外旅行、高齢者セミナー、老人会と、広範囲にわたってご活躍の及川さん(多摩市公民館発行「こうみんかん」1992年9月15日)。80歳を過ぎてから長年住み慣れた盛岡を離れ多摩に引越し、持ち前の明るい性格と多趣味のお陰で多くの友人を得、ご子息の定年で盛岡へ帰った今でも、自分が謡の会に出たこと、自分のことが新聞に載ったこと、いろんな方から手紙を頂いたことなどを、年二、三回、小さな文集にして親しい方に配っているそうです。96歳になられた及川さん、文集の署名は毛筆で「六九の小老」とあるそうです。因みに九一歳の時は「十九の春」、九二歳の時は「二九の青年」だったそうです。


 今回の高橋さんのお話は、二行同期のクラス会にあたり、高橋さんら幹事が文集をまとめることになり、逓信同窓会会長の勝屋さん(笑談会会員)に巻頭文の寄稿をお願いしたことが縁で実現しましたが、その勝屋会員がやむを得ない事情で欠席されたのがとても残念でした。それでも、謡の会、クラス会、戦友会と、忙しく過ごしておられる高橋さんを囲んで、戦中・戦後の思い出ばなしも尽きない一夜でした。


 なお、今後、矢部清市さんと戸根国彦さんが入会、矢部さんは当会最長老ということになりました。(岩淵鉄雄記)



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