小出郵便局在勤中に逓信局主催の電信競技会に出場することとなり、これをきっかけに長岡郵便局の林繁樹さんにお会いすることができた。競技会終了後も昵懇にしていただき、私の将来についても心配してくれた。
林さんは私に高等科、官練進学をすすめてくれ、母にも言ってくれたようで、幸い弟妹たちも成長してきたこともあって、母は私の高等科受験を許してくれた。幸い合格、17年春に再び上京することになったが、長男の私が弟妹に後を託して東京に出てきたのはなんとも心苦しいことであった。殊にすぐ下の弟澄雄君は私に代わって母の面倒を見、その後ずうっと今日まで実家を支えて来てくれている。感謝の念でいっぱいである。
逓信講習所高等科入学のため上京した日は、丁度東京が始めて空襲を受けた日であった。講習所の教科にも教練が取り入れられ、富士の裾野の演習場に行って軍事訓練を受けるなど、戦時色がだんだん濃厚になってきた。
高等科在学中に逓信官吏練習所の入試を受け、18年3月高等科卒業に引き続き、4月から新しい学校で勉学に励むことが出来た。一年生の時は現在の国立市に新しく建てられた校舎に通った。東京商科大学(現在の一橋大学)がすぐ隣りにあったせいもあり、ここの教授をはじめ、一流大学の教授が大勢教壇に立ってくれたのは有難いことであった。逓信事業に関する授業のほかに、憲法、民法、商法、倫理学、歴史、会計学、簿記などの一般教養科目もあり、特に富倉徳次郎先生、塩田良平両先生の国文学の講義は若い私たちの心に強烈な影響を与えたようだ。源氏物語、平家物語、万葉集、徒然草など、今まで知らなかった新しい古典の世界が目の前に開けたような気がした。
しかし、戦局は日増しに日本に不利となってきた。現在の国立競技場で行われた学徒出陣祭にも送る側として参加したような気がする。そして我々も後に続かなければとの思いを深くしていった。同級生たちも陸軍なら幹部候補生、海軍なら予備生徒といった話が多くなってきた。私は父が海軍軍人だったし、「海軍」という映画に出てくる海軍士官の短剣と白手袋がとてもカッコよかったので、軍人になるなら海軍と海軍予備生徒を目指した。
(官練の思い出については平成11年1月、同級生に呼びかけ「往時渺茫」なる文集を作成した。その中に私も担任の教官だった高橋直服先生にあてた手紙を載せている。学校の勉強の他に何か「余技」を一つ持てと教えてくれた先生である。また官練の入学・進級・卒業試験問題、あるいは官練時代の記録も載せているので参照願いたい)
官練の校舎郊外国立(くにたち)市 富士山見ゆる閑静の土地
古典への道を示せし富倉師 万葉、源氏、平家、徒然(つれづれ)
一橋(ひとつばし)岩田先生簿記講座 平易に語る簿記の原理を
学友も陸軍幹候(幹部候補生)海軍は 予備生徒等選ぶご時世
短剣と白手袋に憧れて 海軍の道選びたる吾
逓信講習所高等科入学記念
高等科での教練 (昭和17)
官練入学記念 (昭和18.4)
富士見通り 官練国立校舎から国立駅方面を望む (昭和18)
逓信官吏練習所 国立校舎 (昭和18)
「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−