私の履歴書15      K D D 事 件       昭和54年(歳)

昭和54年7月30日、私が経理部長を拝命して2ヶ月ほどしてこの事件が発生した。10月13日の日経朝刊に、成田空港の税関でヨーロッパから持参の土産品の関税ごまかしが報道されたのをきっかけに、連日マスコミを賑わす大事件になってしまった。

経理部長ということで、私までマスコミに追いまわされる羽目になってしまった。経理部の責任者と言っても、政界とか官界とかの折衝はいっさい社長室で行っていたので、経理部としては社長名で要請される金額を社長室に渡すだけで、具体的にどのように使われているかを知る立場にはなかった。

ある朝警視庁から電話がかかり、これから書類を押収に行くから至急出社して立ち合ってくれと言う。大勢の警官が事務室に入ってきて片っ端から書類や机の中のものを段ボールに詰め込んでゆく。私どもはただ茫然として見守るだけであった。

それから経理部の中からも毎日のように何人か警視庁や地検に呼び出されて取り調べを受けた。国会からも喚問される。私も警視庁、地検、裁判所、それに国会へのお供で何回となく呼び出された。大蔵省からも有価証券報告書の件で呼び出された。私たち経理部の人は何を聞かれても肝心のことは知らないのだからありのまま答えるだけであるが、気の毒なのは秘書課に席を置いた同僚達である。経理部出身の方もいる。上司の命に従ったまでと思うが、そのまま答えられなかったのか、この事件に関連して自ら命を絶った方が3名も出てしまった。なんとも気の毒なことであった。

紙一重の差で私が彼らと同じ立場に立ったことは十分想像できる。あの状況の中で気に染まぬ上司からの指示を、辞任覚悟で果たして「ノー」といえたであろうか。私には全然自信がない。

事件の真相は私には未だ分らないし知りたくもない。事件再発防止には私どもも真剣に取り組んできたし、競争激化の今日、KDDにおいてこのようなことの起きる素地はなくなった。

この事件を通して私が学んだことは、人の上に立つ人は決して部下にこのような思いをさせてはならないこと、また、人に使われていてもいざというときには断固「ノー」と言うだけの気概を持っているべきであると言うことである。


経理部長拝命直後この事件 マスコミまでに追われようとは

犠牲者を3人も出すこの事件 我もし彼の立場なりせば

警視庁地検国会裁判所 ペン先鈍る悪夢なりけり

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「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−