資料   「若鮎」小学校同窓誌より   昭和14年夏制作

           男児立志出郷関

                         東京 高橋 春雄 


 拝復 立夏の候と相成り貴君及び同窓諸君にも元気でお暮しの事と推察致します。

 僕も長い間御無沙汰致しましたが相変らず元気です。

 郷里では第二九回卒業生の同窓第一部が発行されるさうですが、大変結構な事と思ひます。

 僕も印刷のお手傳でもしたいのですが、何しろ東京へ来て居る身ですからどうも致し方ありません。同窓の諸君僕の分をもやって下さい。 ― 前文 ―

 同窓の諸君!

 其後いかゞですか。皆が元気で勉学又は仕事にいそしんで居る事と思ひます。

 僕も皆様の御指導に依り無事に逓信講習所の入試に合格させていただく事が出来、今は自彊寮(元の三寮)で一生懸命勉強して居ます。

 思出せば今年の三月前迄は共にあの母校で楽しく暮らして来たのを・・・思出すと本当に懐しくなりますね。


    ○ 男児立志出郷関 ○

 昭和十四年三月廿六日!此れぞ我々にとっては一生忘れるべからざる日である。即ち、我等が懐しの母校を出て社会の荒波に飛込んだ第一日目であるからである。

 それからの僕と云うものを少し述べませう。先づそれより二日は順調に過ぎました。さて廿八日の午前十一時半頃です。講習所より手紙が参りました。

 とうとう東京へ出る様になったので御座います。そして・・・四月二日、思出の深い故郷を後にして上野行きの列車に乗りました。同窓の高橋一夫君、阿達健吾君、柳瀬留作君、那須忠吉君と一緒に、勿論題名の如く

   「男児立志出郷関」・・

の意気込だったのです。然るに上京していざ勉学の道につくと、今度は・・

   「少年易老学難成」です。

 なかなか勉強と云ふものは出来ないものですね。 ― 光陰如矢 ― で、もう三ケ月は忽ち過ぎて終ひました。けれども此の三ケ月で一生の基礎と云ふべきものを教ったのです。即ち、社会の神経系と云ふべき電信です。俗に云ふ「トンツー、トンツー」です。その基礎を習ったのです。僕にとっては非常に大切な三ケ月でもあったのです。

 皆さん今後も一寸の暇をも惜しんで勉学の道に励んで下さい。

 お互いに此の同窓によって非常時国家の有為な人となる様心掛ませう。

 それでは次号に於て又合ひませう。

 東京市目黒区中目黒一ノ六七七 逓信講習所寄宿舎自彊寮十三号室ニテ

                             記 七月 文一

○ 高橋君の成功を祈って居ます ○

○ 春雄君一生懸命同窓の栄ある誇の為に御奮闘下さい。 ― 在郷一同 ―



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