資料   渡邊三郎先生米寿記念誌「渡雲」より   平成17年10月

          渡雲会40余年回顧


          練馬本部  高 橋 春 雄
     昭和39年入門 54年教授嘱託、「田村」「七騎落」を演能


 米寿まことおめでとうございます。ますます健康に留意されて渡雲会の70周年記念大会、更には先生の白寿、百歳記念をと願っております。私も80歳となり、入門から40年を経過致しました。思い出は尽きませんがその二、三を記してみます。


 ◯ 「猩々」と渉り拍子・・・若い頃の先生の稽古は厳しいことで定評がありましたが、私も舞囃子「猩々」の稽古の際「渉り拍子」が出来なくて、「もう一回」「もう一回」をなんべん繰り返されたことか・・・・


 ◯  中山会長のこと・・・私が入門した昭和39年の頃すでに中山さんは会長でした。全部シテ役で能を13番も舞い、晩年は目を患いしかも90歳を超える身体でしっかりした仕舞を舞っておられました。平成16年1月、98歳で逝去されましたが、築地本願寺での通夜の席では渡邊先生の発声で約40名の方が「江口」を奉謡し、告別式では先生の弔辞を代読させていただき、最後は先生に「融」の一節を謡っていただいたのは忘れ得ない思い出となりました。平成16年春の大会は中山会長追善の会となりましたが、私は中山さんを偲びつつ仕舞「江口」を舞わせていただきました。


 ◯  能「七騎落」・・・平成9年、60周年記念大会では能「七騎落」を舞わせていただきました。最大の感激は、舞台に上がった素人11名のうち9名までが私の出身母体「KDD宝生会」の方々だったことです。私のシテ、岡崎・長島経治、頼朝・石川恭久、立衆・山田清重、米永和人、柳川英夫、太田延男、地謡・佐藤信顕、児玉栄太郎の皆さんです。懇親会には宗家の宝生英照先生、今井泰男先生、金井章先生等最高の顔ぶれも出席いただきました。まさに私の謡曲人生で最良の日でありました。


 ◯  村本脩三さん・秋元亮一さん・・・このお二人のおかげで渡雲会に入門させていただきました。昭和29年、KDD宝生会発足の時秋元さんに誘われ、村本脩三先生に「竹生島」を教わったのが謡曲との最初の出会いでした。この会からは多くの方が渡雲会に入門しておりますが、会自体も健在で昨年、50周年記念大会を開催、記念誌も発行することが出来ました。


 ◯  斉藤基房さんと「安宅」・・・斉藤さんの謡は素晴らしいものでした。昭和63年の半歌仙会では、秋元さんが欠席のためその代役として「安宅」のワキをつとめることとなりました。シテは斉藤元房さん、緊張しました。その時82歳の斉藤さんの「勧進帳」の声が耳に残っています。その時から16年を経て平成16年の春の大会で、独吟「勧進帳」を謡わせていただくことができました。

渡雲会初の舞台写真 「八島」 水道橋能楽堂 (昭和40.5)
渡雲会初の舞台写真 「八島」 水道橋能楽堂 (昭和40.5)
左より児玉、秋元、冨田、長島、高橋

初の能出演「紅葉狩」ツレ 水道橋能楽堂 (昭和44.5)
初の能出演「紅葉狩」ツレ 水道橋能楽堂 (昭和44.5)
左より高橋、冨田、嶋内、丹野(シテ)

「大仏供養」の斉藤さん 渡雲会舞台 (平成7.12)
「大仏供養」の斉藤さん 渡雲会舞台 (平成7.12)
左から長島、石尾、斉藤、高橋、白石

最後の能出演 「七騎落」シテ 60周年記念大会 宝生能楽堂 (平成9.8)
最後の能出演 「七騎落」シテ 60周年記念大会 宝生能楽堂 (平成9.8)
左から高橋、野口、長島、山田、米永、柳川、太田、東川、石川

「翁」シテ西謙一さん(一列目左)と千載の私 宝生能楽堂 (平成12.6)
「翁」シテ西謙一さん(一列目左)と千載の私 宝生能楽堂 (平成12.6)
二列目左より佐藤、白石、澤辺、古瀬 三列目左より三川、今井、渡邊、小林各先生

最後の舞囃子「唐船」(楽) 65周年記念大会 宝生能楽堂 (平成14.6)
最後の舞囃子「唐船」(楽) 65周年記念大会 宝生能楽堂 (平成14.6)



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