渡雲会40余年回顧
練馬本部 高 橋 春 雄
昭和39年入門 54年教授嘱託、「田村」「七騎落」を演能
米寿まことおめでとうございます。ますます健康に留意されて渡雲会の70周年記念大会、更には先生の白寿、百歳記念をと願っております。私も80歳となり、入門から40年を経過致しました。思い出は尽きませんがその二、三を記してみます。
◯ 「猩々」と渉り拍子・・・若い頃の先生の稽古は厳しいことで定評がありましたが、私も舞囃子「猩々」の稽古の際「渉り拍子」が出来なくて、「もう一回」「もう一回」をなんべん繰り返されたことか・・・・
◯ 中山会長のこと・・・私が入門した昭和39年の頃すでに中山さんは会長でした。全部シテ役で能を13番も舞い、晩年は目を患いしかも90歳を超える身体でしっかりした仕舞を舞っておられました。平成16年1月、98歳で逝去されましたが、築地本願寺での通夜の席では渡邊先生の発声で約40名の方が「江口」を奉謡し、告別式では先生の弔辞を代読させていただき、最後は先生に「融」の一節を謡っていただいたのは忘れ得ない思い出となりました。平成16年春の大会は中山会長追善の会となりましたが、私は中山さんを偲びつつ仕舞「江口」を舞わせていただきました。
◯ 能「七騎落」・・・平成9年、60周年記念大会では能「七騎落」を舞わせていただきました。最大の感激は、舞台に上がった素人11名のうち9名までが私の出身母体「KDD宝生会」の方々だったことです。私のシテ、岡崎・長島経治、頼朝・石川恭久、立衆・山田清重、米永和人、柳川英夫、太田延男、地謡・佐藤信顕、児玉栄太郎の皆さんです。懇親会には宗家の宝生英照先生、今井泰男先生、金井章先生等最高の顔ぶれも出席いただきました。まさに私の謡曲人生で最良の日でありました。
◯ 村本脩三さん・秋元亮一さん・・・このお二人のおかげで渡雲会に入門させていただきました。昭和29年、KDD宝生会発足の時秋元さんに誘われ、村本脩三先生に「竹生島」を教わったのが謡曲との最初の出会いでした。この会からは多くの方が渡雲会に入門しておりますが、会自体も健在で昨年、50周年記念大会を開催、記念誌も発行することが出来ました。
◯ 斉藤基房さんと「安宅」・・・斉藤さんの謡は素晴らしいものでした。昭和63年の半歌仙会では、秋元さんが欠席のためその代役として「安宅」のワキをつとめることとなりました。シテは斉藤元房さん、緊張しました。その時82歳の斉藤さんの「勧進帳」の声が耳に残っています。その時から16年を経て平成16年の春の大会で、独吟「勧進帳」を謡わせていただくことができました。
渡雲会初の舞台写真 「八島」 水道橋能楽堂 (昭和40.5)
左より児玉、秋元、冨田、長島、高橋
初の能出演「紅葉狩」ツレ 水道橋能楽堂 (昭和44.5)
左より高橋、冨田、嶋内、丹野(シテ)
「大仏供養」の斉藤さん 渡雲会舞台 (平成7.12)
左から長島、石尾、斉藤、高橋、白石
最後の能出演 「七騎落」シテ 60周年記念大会 宝生能楽堂 (平成9.8)
左から高橋、野口、長島、山田、米永、柳川、太田、東川、石川
「翁」シテ西謙一さん(一列目左)と千載の私 宝生能楽堂 (平成12.6)
二列目左より佐藤、白石、澤辺、古瀬 三列目左より三川、今井、渡邊、小林各先生
最後の舞囃子「唐船」(楽) 65周年記念大会 宝生能楽堂 (平成14.6)
「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−