資料   針生さんの話 − 春秋会挨拶    11.11.26

 高橋でございます。

 今年も春秋会の季節となりました。いつも幹事さんにはお骨折りいただき感謝しております。

 前回の春秋会は私が喘息で連休あけに16日ほど入院し、退院後間もない6月に開催されましたので、病気入院中のことやら、喘息とともに過ごした12年間の記録をまとめたいと思っていることなどを話したような記憶があります。

 おかげさまでその後記録作成の方は順調に進み、9月下旬には「定年後の足跡」という題名で完成、200名を少し超える方々に贈呈することが出来ました。皆様のお手元にもお届けしていると思いますが、もし洩れている方がございましたらお知らせ願います。そして多くの皆さんから励ましのお手紙やら電話やらいただいて恐縮している次第でございます。厚く御礼申し上げます。

 沢山のお便りの中には、お言葉とともに、ご自分で作成された自分史や、作品、資料等を送って下さった方が9名もおられたのには驚きました。それぞれ立派な作品ですが、今日ここでご紹介したいのは今年満94歳になられた針生さんという方からいただいたご本とその作成の経過についてでございます。


 針生さんは謡曲の関係で宝生流教授嘱託会の理事長を長年務められた方で、謡の関係で親しくさせていただいている方です。山形県米沢のご出身で、謡曲の方はもちろん大ベテランでございますが、郷里米沢のことについても大変造詣の深い方です。昭和52年に、自分の曾祖父の書かれた幕末の頃の米沢藩の農民騒動の農民側の実態を詳細に綴った本を、苦労して解読され500頁ほどの書物にまとめられております。

 また、昨年3月には、幼年時代自分を非常に可愛がってくれた、伯父の星辰之助氏が明治28年から昭和7年まで、生前40年に亘り書き綴った農民日記のうち、前半の明治の分を3年半かかって解読、ワープロ原稿を作り自費出版されました。1,2巻にわかれ各巻とも約1,000頁の大冊でございます。この時齢すでに93歳、大正・昭和篇は93歳の年齢を考え不可能としておりました。


 ところが、1年半後の本年9月、大正・昭和篇2巻が刊行されたのでございます。この刊行の動機が本夕皆さんにお話したいところでございます。頂戴したご本に記された「刊行の動機」を要約して読み上げてみます。


 「明治篇刊行に当り自分の年齢余生などから考え、続く大正・昭和篇は到底及びもつかないと、涙を呑む気持で断念していた。・・・ところが思わざることから急転した。

 私が謡曲を二十数年来指導してきた鈴木久男氏が、用務で来宅されたので、辰之助日誌の明治篇を贈呈した所、同氏から即座に、この本は農文協図書館に寄贈されたかとの質問があった。・・・

 知らぬ事ゆえ未だと申した所、鈴木さんは、この図書館の常務理事の原田勉氏は、私とごく近い親戚だから帰りに立ち寄り、私に代り寄贈して差し上げますとの事で直ぐ持参して下さった。程なく、原田さんから受領のお手紙が参り「貴方は東大農学部卒の由だが、貴方より五年先輩で農業経済学教室におられた、近藤康男先生をご存じないか、この先生が只今理事長で図書館の館長をしておられる。もし希望されるなら、ご紹介しますとのことであった。・・・

 願いが叶い昨年七月三十一日に、同図書館にお伺いしてお目にかかることが出来た。先生は御年齢白寿の九十九歳、半年後には百歳をお迎えになる訳であるが、毅然とした御姿勢で「辰之助日誌」の事も話題にされて色々の事のお話をして下さった。


 そのお話の途中原田さんから「先生のご通勤は、ご自宅上高井戸から電車バスを利用してですよ」とのお話であった。この一言をお聞きし、私は内心天の声を聞いたようなショックを感じた。「お前は未だ九十三歳ではないか。先生のお年まではまだ六年もある。その歳の二年くらいを費やせば、お前の悲願の辰之助日誌の全篇の完成ができるのではないか。途中で挫折したら、それまでと諦めればよい。頑張れ々々」ここで私の決心はついた。

 私は先生とお別れし途中晴れ々とした気持で帰宅した。その夜から作業を始めた。」


 また「あとがき」に次のようなことも記しておられます。

 「夢が叶って、大正昭和篇も自力で刊行することとしたが、その経費も馬鹿にならず。従って当然前回同様に自力ワープロ打ちをやった。このワープロ機は平成七年三月に明治篇刊行のため求めたもので、私は全くの素人であった。機会に手を触れたこともない。従って何処のメーカーのものがよいかなどは、全然知らなかった。


 平成七年の三月に吉祥寺駅前の「カメラドイ」に冷やかしの積りで立ち寄り、数機種のワープロ機の中で手頃な器械と思い、衝動的に買い求めたのが、今手持ちの機種である。シャープのWD―340書院である。陳列機種中最低価格であったので、値段の69,800円に惹かれたのかもしれない。使い方を指導してくれる人があれば、よかったかも知れないが、それもなく添付のガイドブックで自習を始めた。なかなか進歩せず、果して辰之助日誌の大山を崩すことができるか、全く見当もつかなかった。しかし、手遊びみたいに打っている間に、段々恰好がつき解読作業には入ることが出来た。


 それでも明治篇打字完了に二年半位かかった。正規の講習会に受講しておれば、遙かに早く出来上がったかも知れない。大正昭和篇については、自分の余生なども勘案し、大いに迷ったが、前述の近藤先生ショックで覚悟が決まり、取り掛かった。やってみると過去の苦労が実を結んだか、仕事がおもしろいように運び一年少しで完了した。これは大正二、三年分は打字ずみとか、又原簿紛失(大正十一年分)などで早められ、一方、私の打字技術向上が加わり、また印刷会社の方にフロッピー収録術を教えられ、予想外に早く完成になったと思う。但し、私のワープロ技術は、極めて偏ったものであることは、十分自覚している。しかし、一度も故障を生じた事がなく従順に働いてくれ助かりました。辰之助日記とワープロの係わり合を、お笑草にご披露して置きます。」


 以上が平成七年、今から4年前、針生さん90歳にしてワープロを始め、明治篇2巻、大正・昭和篇2巻、あわせて4冊約4,000頁の本を自分で作られたお話でございます。

 今日は全部、人の褌で相撲をとらせてもらいましたが、すこしでも参考にしていただければ幸いでございます。



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