資料   「経理部OBだより」より   (平成13年6月)

        ま え が き


 この小冊子を作るきっかけとなったのは、敬愛する大先輩、三輪正二さんが今月6日に逝去され、8日、その通夜に参列したことである。

 一時間ほど遺影の前に腰かけ、あれこれ往時に思いを馳せていた。三輪さんが会計課長の頃、私は財務課にいていろいろご指導をいただいた。仕事の上では仲々厳しい方で、いわゆる経理屋根性ともいうべきものを仕込まれたような気がするが、一歩仕事を離れると一杯やるのが大好きな世話好きのおじさんだったように思う。経理部長から取締役に昇進され、私も長く経理部にいたので種々お世話になったが、取締役退任後の消息は皆目分らなくなってしまった。

 年賀状はかかさず出していたが三輪さんからの便りはなく、誰に聞いてもはっきりしない。親しくお会いして昔話でもしたいものと思い続けていたが、突然の訃報に驚いた。遺影を見つめながら、ふと同友会の会報に何か書いておられたかも知れないと思った。帰宅後早速会報を引っ張り出してみた。手元には昭和51年から平成12年までの25年間のうち、昭和53年と平成12年の2册が見つからぬが、それでも23册が揃った。

 三輪さんの記事を探す過程で懐かしい名前が次々と飛び込んできた。三輪さんの名はとうとう発見出来なかったが、そのかわり経理部におられた方の分だけでもまとめてみようかと思いついた。それなら6月19日に予定されている春秋会に間に合わせたいと思い立った次第である。


 肝心の三輪さんの分が一つも見付からなかったのは誠に残念であった。何かないものかと考えた末、数年前に古い手紙を整理保存したことを思い出した。まだ完全に終了した訳でないが、その中に残っていないか調べてみた。

 その結果、私がニューヨーク事務所に勤務している頃いただいた航空便が3通残っていた。読み返して見ると当時のことが想い出されて、久しぶりにお目にかかったような気がして懐しかった。その頃の三輪さんの心情も述べられており、その後の三輪さんの生き方も偲ばれるような気もするので、巻末に再録させていただくこととした。


 春秋会に間に合わせようと急いだので、ミスが多いと想うが、経理部に職を奉じた先輩の方々を思い出す一助になれば幸いである。


 本書を三輪正二さんはじめ、本書に掲載させていただいたが物故された、秋元亮一、魚崎利三郎、慶野富祐、坂内沢蔵、鈴木三郎、鈴木米房、谷政三、高瀬弘、増田元一、森直治、山岸重孝、米山實の皆様の霊前に捧げる。


                 平成13年6月      高 橋 春 雄




         編 集 後 記 



 作成を思いついてから春秋会の日まで10日ほどしかなく、そのうち謡曲の東北大会で3日間とられてしまったので、本書作成に充分な時間をとることが出来ず、会報からの抜粋洩れ、校正ミスなどがかなりあると思うが、拙速を選んだのでご了承を願いたい。


 何年間も放置されていた会報を取り出しての入力作業は、思いのほか楽しいものであった。会報をめくりながら、春秋会のメンバーを中心に私の記憶に残る経理の方の所に付箋をつけていった。次いでこの付箋をたよりに年次順、五十音順の一覧表を作ったが、35名がリストアップされ、お便りの件数は延べ212件となった。これを五十音順に一人づつ取り上げ、年代順に入力した。初めの頃は字数無制限のため長い文章もあったが、これらは適当な長さで打ち切って省略とし代りに概要を記した。


 会報が配布される都度読んだ筈のものも、同じ方のものを年代順にまとめると感じが違ってくる。一年ごとの動静や考え方が短い文章の中に反映されており、これが何年分か続くと期せずして立派な自分史になっている。


 入力し終えて振り返ってみると、同じくKDDで経理の仕事をした方々であるが、実にさまざまな定年後の暮らし方があるものとしみじみと思った。俳句、山歩き、絵画、園芸、謡曲等それぞれの趣味に生き甲斐を見出している方、地域社会に奉仕されている方、病気と格闘している方、沈黙を守っている方等々、教えられるところが大きかった。


 私の手元には昭和50年以前の同友会会報はない。従ってこれらに収録された経理部OBの消息は知る由もないが、この頃に活躍された先輩も大勢いる筈である。以前に作成した「なつかしのKDD経理部」を取り出して経理部におられた方々を調べてみた。

 森下新、内野与吉、福島栄一、福田謙次、川合務、内山充、野村仙・・・古い同友会会報には載っているかも知れないが、本書には掲載なくしかも既に物故された方々である。一人一人その面影が浮かぶようで想い出は尽きない。


 春秋会のメンバーでも若い方々の分が少ないのは当然であるが、若い方はおそらく古い会報を持っておられない方も多いのではないかと思う。本書が同じ職場にいた先輩方の生きざまの一端を知るきっかけとなり、併せて自分の人生設計のヒントでも掴んでいただければ望外の幸せである。 

                         (高橋春雄記)


   


(「経理部OBだより」 平成13年6月 より)



高 橋 春 雄


◯ 昭59 59歳

 本年3月31日に定年を迎え、同友会に入会させていただきました。よろしくお願いいたします。

 また、7月からはKCSに勤務させていただいております。先日は東シナ海における訓練航海に参加させてもらい、KDD丸で数日を過ごしましたが、幸い船酔いすることもなく貴重な体験をさせていただきました。・・・(以下略−定年旅行、車60時間講習中古車購入、KDD宝生会30周年記念誌作成等)


◯ 昭60  60歳

 KCS勤務2年目を迎えましたが、おかげ様でTPC−3敷設工事費の見積り、KDD丸改装工事の契約締結等といった仕事に元気に取組ませていただいております。

 趣味の謡曲の方では、本年6月に私どもが師事している渡邊三郎先生の渡雲会春季大会が、水道橋の宝生能楽堂で開催され、KDDグループは、能「絃上」を演能することとなり、「前シテ」長島 経治、「後シテ」秋元亮一、「姥」太田延男の各氏の仲間に加えていただき「師長」の役をつとめさせていただきました。・・・(以下略−ドライブ、西国札所めぐり、謡蹟めぐり等)


◯ 昭61  61歳

 KCS勤務3年目を迎えましたが、KCSは今年日中ケーブル復旧工事という難工事があり、運航部の方々は大変な苦労をされました。私どももKDD丸の経費節減対策の検討という難問を抱えておりますが、元気に取組ませていただいております。

 趣味の謡曲の方では、私どもの渡邊先生の渡雲会春季大会で、初めて舞囃子なるものをやらせていただきました。・・・(以下略−舞囃子「葛城」、新車購入、ワープロ購入等)


◯ 昭62  62歳

 KCS勤務も3年目になりました。今年もKDD丸第2期改造工事とか、日中間海底ケーブル障害修理工事の実施とか、結構忙しい年でした。今は第3TPC敷設に向けて準備を重ねている状況です。

 今年は1月に長女が結婚いたしました。家ではわがままいっぱいだった娘もなんとかうまくやっているようで安心しています。・・・(以下略−喘息発病入院等)


◯ 昭63  63歳

 4年間勤務させていただいたKCSも6月に定年退職しました。

 昨年はぜんそくや鼻たけ切除で結局3回も入退院を繰り返してしまい、あまりパッとしない年でしたが、今年は薬をのんだり、吸入器を朝晩使ったり、お酒を自粛したりしているものの、日常生活には大きな支障はなく、有難いことと感謝しております。・・・(以下略−吸入器携行で旅行、戦友会や、クラス会、札所めぐり等)


◯ 平1  64歳

 仕事を離れても結構忙しい毎日である。謡の会には積極的に参加、大和路の謡蹟めぐり、富山での全国大会、甲府での関東甲信越大会にも出席、謡と旅を楽しんでいる。

 パソコンも郷土会の会誌編集、祖父の遺墨集作成等に大変役に立ってくれた。クルマも坂東札所めぐり(群馬、茨城、千葉各県)、帰郷等に大いに活躍中。喘息等数病と仲よくつきあいながらも、充実した毎日を送れることを感謝している。


◯ 平2  65歳

 今年の最大の行事は女房ともども3週間の米国旅行をしたことであろう。30年近く前ニューヨーク事務所のあった建物も健在で、家族一同に「ここで勤務していたのだ」と説明、記念写真を撮ってきた。

 国内でも、謡の会、クラス会、戦友会、兄弟会、札所めぐりなどと称して、仙台、新潟、甲府、金沢、谷汲山、伊勢、高野山、京都、花博、摂津、讃岐、小豆島、福岡等を訪ねたが、元気で旅のできることを感謝している。


◯ 平3  66歳

 本年6月宝生能楽堂で、能「田村」を演じたのが何よりの思い出です。約1時間の舞台を、何とか文句を違えず、また立ち往生せずに済みほっとしました。

 前シテは京都の清水寺の童子、後シテは坂上田村麻呂。その謡蹟をたずねて、桜の頃、京都、近江、伊勢の各所をまわってきました。

 おかげで体調もよいので、謡に旅行に郷土会の手伝いと、毎日をいそがしくしています。母が91歳で6月に他界しました。


◯ 平4年  67歳

 敬愛する先輩秋元亮一さんが逝去、仲間と追想録「秋元亮一を偲ぶ」の刊行を企画、原稿をお願いしたところ、90名もの方から追想文がよせられ感激。8月完成墓前に報告。

 謡の師匠渡辺三郎師の渡雲会55周年記念大会を機に「渡雲会催会番組抄録」を作成した。能112番をはじめ、舞囃子、仕舞、謡多数を年月順、個人別に分類収録。先輩、同僚の舞台での活躍ぶりに脱帽する。長男を訪ねて家内とヨーロッパを旅行。


◯ 平5年  68歳

 本年の小豆島での戦友会では、我々特殊潜航艇第17期艇長仲間の回想録「貴様と俺の青春賦」が完成配付された。約100件、300余ページの労作である。翌日は一同本書を携え、山口県柳井の潜水学校跡を訪ねる。奇跡的にも50年前の姿を留めて、崩れかかった校舎跡に立って往時を偲んできた。

 パソコンは昨年暮、マッキントッシュに乗り換えた。金食い虫だが面白い。謡蹟めぐりも楽しみの一つ。最近大江山に行って来た。


◯ 平6  69歳

 古稀記念の小学校のクラス会が郷里で開かれ、改めて年齢を意識させられた。だが、精神年齢にはかなり個人差があるようだ。

 気持ちだけは青春のつもりで、今年も謡蹟めぐりや謡会、戦友会等で、北は下北半島から東北一帯、関東、伊豆、石川、京都、奈良、滋賀、香川、愛媛とかなり広範囲を廻った。幸い謡蹟は無数、会合も多い。旅すれば思いがけぬ発見もある。身体にもよさそうだ。動けなくなるまで旅を続けよう。


◯ 平7  70歳

 40年余り親しんだ謡曲にまつわる思い出を綴っている。謡ったり舞ったりした曲、鑑賞した能・舞囃子・仕舞、謡曲に関する史蹟めぐり等に関する思い出を写真を交えて、謡曲の自分史にしようというものである。昨年度は24曲分をまとめた。宝生流には180曲あるので、1ヶ月に2曲のペースでゆくとあと7〜8年は楽しめる勘定となる。

 今年も謡蹟の写真を求めて愛知、北陸、関西、東北、佐渡、九州等を訪ね廻っている。


◯ 平8  71歳

 最近、思い切ってパソコンを買い替えた。写真を取り込んだり、インターネットに接続しようとしてのことであるが、どの程度器械を使いこなせることやら。パソコンも、町内の回覧板の原稿浄書や、郷土会の名簿整理等思いがけない所で結構重宝がられている。相変わらずの謡曲三昧で、今年も北九州謡曲名所めぐりのお世話、札幌での全国大会や観光参加、先生の会で舞囃子「放下僧」で羯鼓を舞うなど楽しい思い出いっぱいの年となった。


◯ 平9  72歳

 8月31日、師匠渡辺三郎先生の60周年記念大会に、宝生能楽堂で能「七騎落」のシテ役を舞わせていただいた。ご同役は石川恭久、長島経治、太田延男、柳川英夫、米永和人、山田清重と全員KDDの皆さん。地謡の児玉栄太郎、佐藤信顕両氏も同様で、素人の殆ど全員がKDDメンバーでの演能は誠に光栄。KDD 発足の頃、大先輩の村本脩三氏に手ほどきを受けてから、40数年に亘る私の謡曲人生において最良の日であった。


◯ 平10  73歳

 小学校の同級生で文集を作った。有志がワープロ奉仕の手作り作品である。すでに50名が死亡、残った130名のうち80名が原稿を寄せ、写真や資料を含め B5判150頁となった。表紙には郷土の美しい八海山と魚野川のカラー写真を配し、その名も「八海魚野」とされた。6月、郷里に40余名が集まり文集を手にしてのクラス会、70余年の往時を語り合った。翌日は母の命日、実家に寄って兄弟たちと念仏をあげ母を偲んできた。


 ◯ 平11  74歳

 昨年から今年にかけ、官練の同級生に呼びかけ、仲間と「往時渺茫」なる文集を作成した。久しぶりに喘息の発作で連休明けに入院した。12年前退院する時に、退院したらやってみたいこととして書き記したのを発見、退屈しのぎにその実績を検証し、「うた」らしきものにまとめた。幸い16日ほどで退院したので、これをベースにして、写真や、書き溜めたもの、資料等を添え一冊にしてみようと毎日パソコンに向っている。



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