資料   「病床うた日記」より   (昭和62.5)

           ま え が き


 思いがけずも気管支ぜんそくということで、4月9日から約1カ月間、飯田橋の東京逓信病院に入院するはめになってしまいました。

 その間、多勢の方々にお見舞いいただき、おかげさまで5月9日に退院し、若干の自宅療養期間を経て、職場に復帰することができました。皆様のおかげと感謝しております。

 入院直後10日位は発作が続き、その時は苦しい思いをしましたが、点滴や薬のおかげでだんだん楽になり、それにつれて時間をもて余すようになりました。新聞・雑誌・謡曲の本等には目を通しましたが、大部分の時間はベッドで仰向けになり、天井とにらめっこをしながら、想い出にふけっておりました。

 この年になるまで、俳句一つ、短歌一つ作ったことのない私ですが、今年の3月頃よりぜんそくの発作が始まり、夜中に寝ていられなくなると起き出す日が続き、どうせ眠れぬなら歌でも作ってみようかと、歌作りの真似ごとを始めました。十七文字、三十一文字に並べるというだけのことで、俳句でも川柳でも短歌でもないようなものですが、それでも何らかの枠におさめるということは、時間つぶしにはもってこいの作業となりました。

 そんな訳で、徒然草の兼好法師ではありませんが、「ひぐらし天井に向かいて、心に浮かぶよしなしごとを、そこはかとなく」書き続けた訳でございます。少年時代のこと、旅行のこと、軍隊時代のこと、外国のこと、謡のこと、酒のこと、病院のこと・・・等、手あたり次第、メモ用紙に書きつけ、一日分をまとめるという日々を送りました。

 慣れるに従って、その数も増えてきましたが、同じテーマをいつまでも追うのは難しく途中で疲れてしまいます。従って、どれもみな中途はんぱの所で打ち切りになってしまいました。

 下手くそなうたを、自分でワープロに打った代物で、人様にお見せするのは誠に恥ずかしい次第ですが、お見舞い頂いた方々に、入院中こんなことを考えながら暇をつぶしていたのかと、お笑いいただければと、お贈りする次第でございます。

            昭和62年5月吉日     高 橋 春 雄



        ( 抜 粋 )


        ( 病気 )

  点滴も吸入もなきいにしえは 長き苦しみさぞつらかりし

  数えよと言われ記せしタンの数 今日一日に百を越すとは


        ( 病室)

  面会に来れない時刻と知りつつも 人影すれば妻かとふり向く

  深夜にもタンの数をば書きおれり 吾子の贈りしライトペンにて


        ( 酒 )

  一ヶ月 お酒なしでも 生きており

  酒想う ほどに病状 回復し


        ( 故郷 少年時代 )

  想い出の糸を手繰れば今宵また 雪のふる里父母います家

  子等はみな縄ないいたりいろりばた 父の話に耳そばだてて






     「続・病床うた日記」より  (昭和62.12)


         ま え が き


 本年4月、気管支ぜん息で一ヶ月程入院した際、暇つぶしに、うたらしきものを作り、退院後、自分でワープロでとりまとめ、「病床うた日記」なるものを作成、お世話になった方々に、失礼をもかえりみず、お届け致しました。

 その時はもう二度と入院などすまい、病院でうたなど作るまいと思っていたのですが、10月頃からまたぜん息がぶり返し、11月13日から28日まで16日間再入院する羽目となってしまいました。

 今度はテレビでも見ながらノンビリしようと思ったのですが、幸か不幸か子供たちが贈ってくれた、小型の携帯用テレビでは電波の関係か、自宅ではよく映るのに、この病室ではよく映らず、長時間見ていると疲れてしまうので、日曜日の大河ドラマを見る程度にとどめ、今回もまた、ほぼテレビ、ラジオなしの生活を送りました。

 テレビ、ラジオなしの生活となりますと、病院での暇つぶしには、うたらしきものを作っているのがどうも一番適しているようです。読書もよいのですが、前回、目まいを起こし、医師より、ワープロや読書など細かいことに余り根をつめないように言われたこともありましたので、読書もほどほどにしておりました。読んだのは、毎日の新聞と「般若心経入門」くらいのもので、暇な時間は天井とにらめっこしながら、うたのネタさがしをしておりました。おかげさまで今回もあまり退屈することなく入院生活を送ることができました。

 会社の方や、謡関係、東京小出会関係の方々に、突然の入院で大変ご迷惑をおかけしまして、申し訳なく思っておりますが、病室で静かにいろいろと考える機会を得られたことは、大変有難く有意義なことであったと感謝しております。

 前回に比べ日数の少ない分を、新聞の切抜きやら、グラフ、写経等でページ数を増やしたような結果となってしまいましたが、私にとっては想い出深いものでございますのでうたとともにご笑覧いただければ幸いでございます。


                昭和62年12月吉日   高 橋 春 雄



           ( 抜 粋 )


           ( 再入院 )

   病室の部屋もベッドも前回と 同じ所にきまる不思議さ

   前回は満開の桜眺めしが 同じ窓よりその紅葉見る


           ( 点滴終了 )

   何時までと見当つかぬ点滴も 今日は終りとききし嬉しさ

   点滴のテープはがせし左手は みみずの如くいたいたしく見ゆ


           ( 母の電話 )

   ふるさとの母より電話ありという 入院のこと知らせざりしに

   とにかくに元気なる声届けんと 院内電話カード差し込む

病床うた日記 昭和62.5 A5判 34頁
病床うた日記 昭和62.5 A5判 34頁

続・病床うた日記 昭和62.12 A5判 36頁
続・病床うた日記 昭和62.12 A5判 36頁



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