よく走り続けてきたものと思う。若い若いと思っている中に59歳になってしまった。家内も55歳になったが、まだ小学校で働いている。長女は短大を卒業して銀行に就職した。長男は慶応大学在学中。
家のことなど全部家内に任せきりで会社の仕事一筋に生きてきたが、それでも子供達は親父の背中を見つめながらまともに育ってきてくれた。この家族に支えられながらここまでこれたのだから、せめて定年の時くらい何か感謝の気持を示したいと考えていたが、定年記念の旅行をしようと思いついた。
家族には一度私が青春時代と云っても海軍に行った時代に転々と移り住んだ瀬戸内の各地を見てもらいたいと願っていた。家内と長女は勤めがあるので参加できるところだけ合流してもらい、長男は春休みだったので私と終始行動を共にしてくれた。
呉〜倉橋島〜江田島〜広島〜宮島〜大竹〜岩国〜岡山〜小豆島〜高松〜屋島〜徳島〜小松島〜鳴門海峡〜神戸〜京都(三十三間堂、鞍馬寺、比叡山、銀閣寺、哲学の道、嵐山)〜大阪(大阪城、心斎橋)の各地を訪ねる8泊9日の旅行であった。
倉橋島では私たちの宿舎のあった大迫地区の海岸には「特殊潜航艇基地」の碑が、工廠のあった大浦崎には立派な「嗚呼特殊潜航艇」の碑が建っていた。江田島の旧海軍兵学校資料館前には「特殊潜航艇」の実物が陳列されており、長男にお前の年頃にはこの艇に乗って訓練していたのだと語る。小豆島にも「特殊潜航艇基地跡の塔」や、我々の戦友の「忠魂碑」も建てられていた。
近くには「二十四の瞳」で有名な岬の分教場もあるので訪ねて見る。大竹海兵団・大竹潜水学校跡、かって潜航艇で渡った鳴門海峡なども見てもらい、宮島の厳島神社、屋島の源平古戦場、京都では鞍馬寺、比叡山、嵐山等謡曲に関係ある所も訪ね、それぞれに感銘があったようで私にはとても有意義な旅行であった。
家内にはまだ一度も海外旅行の機会がなかったので、瀬戸内旅行とは別にハワイ旅行に2人で出かけた。成田空港まで子供達2人が見送りに来てくれ、遅ればせの旧婚旅行を楽しんできた。ワイキキの浜、カウアイ島も楽しかったが、ハワイでもやはり特殊潜航艇のことが念頭を離れず真珠湾めぐりの遊覧船に乗り真珠湾を一周。日米開戦当初の特殊潜航艇の活躍を偲んできた。
定年を記念し一家で瀬戸内へ 我が青春の思い出の土地
還ることなき艇(ふね)なりと知りつつも 訓練励む君の年頃
海外へ初めて遊ぶ二人旅 定年記念ワイキキの浜
特殊潜航艇実物 江田島 旧海軍兵学校 長男と (昭和59.3)
小豆島 我々の戦友の忠魂碑建碑記 碑の上部は潜航艇の模型 (昭和59.3)
小豆島 「二十四の瞳 岬の分教場」 (昭和59.3)
京都 哲学の道 (昭和59.3)
ハワイ・カウアイ島 (昭和59.3)
ハワイ 真珠湾めぐり (昭和59.3)
「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−