資料   「謡舞観巡 別冊3 教授嘱託会二十五年回顧」より  平成15年11月

      ま  え  が  き  


   (「教授嘱託会25年回顧」の作成について)


 新しい年を迎えると私の謡曲歴も、KDD宝生会に入会して50年、渡邊三郎先生の渡雲会に入門してから40年、教授嘱託の免状をいただき教授嘱託会に入会してから25年になります。


 昭和54年3月、嘱託の免状をいただき、KDD宝生会で会員の指導を分担するようになってから、参考資料としてその曲の解説や思い出などを書いて稽古の仲間に差し上げてまいりましたが、平成6年の頃からは「謡舞観巡」(謡曲の自分史)と名付けて、五十音順に曲目を取り上げ、私が訪ねた謡蹟なども載せることにしました。主な曲を100曲程度とりあげほぼ一巡したのですが、平成12年から180曲全曲をめざして前回のものに改訂を加えながら書き進めております。現在88曲目「是界」のところまで進めてまいりました。 


 そして、180曲分が終ったら、個々の曲から離れて私が入会させていただいた、KDD宝生会、渡雲会、教授嘱託会等のこと、謡蹟めぐりのこと、謡曲を通して知り合った方々の思い出なども綴ってみたいと思っておりました。


 しかし、残された曲はまだ90曲以上もあり、これが終るまでにはまだかなりの年月がかかりそうです。79歳を目前にした今日、節目の年を迎えることでもあり、また、悠長にかまえていると気持はあっても、何も出来なくなってしまうのではとも思い、今年に入ってから、先ず別冊第1号として「KDD宝生会五十年回顧」を、次いで別冊第2号として「渡雲会四十年回顧」をまとめてみました。


 今回は別冊第3号として教授嘱託会を取り上げることとしました。参加した沢山の行事の記録や写真、その他長年に亘って書き留めてきた駄文等を中心にまとめてみようと思い立った次第です。資料が多く要領よくまとまりませんでしたが、写真だけでもめくっていただければと願っております。

          平成15年11月

                        高 橋 春 雄




    教授嘱託会二十五年回顧 目次

 

  まえがき(「教授嘱託会二十五年回顧」の作成について)

1 教授嘱託会25年の概観 ・・・・・・・・・・・・・・@

2 教授嘱託会行事参加記録 ・・・・・・・・・・・・・・A

3 教授嘱託会行事参加写真集

  東京支部大会関係 (平成3年〜15年 11頁) ・・・・B

素謡会関係 (平成元年〜15年 10頁) ・・・・・・・・・C

囃子謡研究会関係 (昭和59年〜平成13年 15頁) ・・・・D

全国大会関係 (昭和63年〜平成15年 15頁) ・・・・・・E

夏期講座関係 (平成2年〜15年 9頁)・・・・・・・・・F

謡曲名所めぐり関係 (平成元年〜15年 32頁) ・・・・・G

東北大会関係 (昭和62年〜平成15年 13頁) ・・・・・・H

関東(甲信越)大会関係 (平成元年〜15年 14頁) ・・・I

東海連合大会関係 (平成7年〜15年 5頁) ・・・・・・J

中四国(西日本)大会関係 (平成6年〜15年 5頁) ・・K

4 教授嘱託会関係の思い出 ・・・・・・・・・・・・・・L

  あ と が き

注、詳細目次はA〜Lの仕切紙に掲げました。




     「謡舞観巡 別冊3 教授嘱託会二十五年回顧」より 平成15年11月


       教授嘱託会25年の概観


○ 嘱託免状受領と入会

 昭和54年3月、渡邊三郎先生のお取次で、宗家から嘱託の免状をいただきました。嘱託会にもすぐ入会したような気がしますが、当時はまだKDDに在職中で仕事に追われ、会社の謡曲サークルや渡邊先生の稽古には出席していましたが、嘱託会の行事には殆ど参加しておりませんでした。


○ 囃子謡研究会入会と支部大会

 昭和59年3月、KDDを定年退職、子会社勤務となってから時間的に余裕も出来、その年の囃子謡研究会に入会しました。講師は金井章先生でした。その後、武田喜永、宝生英照、佐野萌、近藤乾之助の各先生と続き、現在は高橋章先生が指導されています。 この講座で習った曲は支部大会で発表するのですが、私は昭和60年の支部大会で、湯澤ヤイ子さんが舞われた「鉄輪」の地を謡ったのが最初で、この時が私の最初の支部大会ともなりました。

 また、この会では順番にシテや地頭をやることになっているようで、私も「猩々」のシテ、「熊坂」の地頭をつとめさせていただきました。


○ 素 謡 会

 私の手元に残っている一番古い番組は昭和62年2月28日のもので、私の名前は印刷されていませんが、「船弁慶」のワキツレを大貫勇さんの代役で謡ったようです。素謡会への参加は現在も続いております。

 平成元年の頃から秋元亮一、古賀圓さんと一緒にこの会の世話役をさせていただきました。その後秋元さんは東京支部長になられたが、平成4年逝去。その後支部の会計を担当することになったのを機会に、鈴木信子さんに代っていただきました。


○ 東京支部の会計担当

 秋元さんが平成3年病気で入院された頃から、支部の会計の仕事のお手伝いをするようになり、彼が亡くなられた後は、支部の副支部長として主として会計事務を担当することとなりました。

 その後、本部の会計や名所めぐりも担当することとなりましたので、平成7年支部の会計を鈴木俊男さんに代っていただきました。


○ 謡曲名所めぐり

 平成元年の「大和路」が最初の参加ですが、興味を覚えその後も引き続き参加してきました。始めの頃針生武巳さんがその担当でした。平成6年の「陸前陸奥」の時から藤本成有さんが担当になったのですが、その藤本さんが病気になったため、その後任の話が私に廻ってきました。大谷理事長に説得され、心ならずも引き受けることとしました。

 平成7年から10年にかけての「越前丹後」「九州長門」「佐渡」「北陸路」を担当しましたが、今にして思うと得難い体験をさせていただいたと感謝しております。興味を覚えて続けていた謡蹟めぐりにも一層拍車がかかり、積極的に全国各地の謡蹟を巡ることが出来たし、ガイドブックや「謡舞観巡」作成の参考にと資料も集めました。おかげで謡蹟めぐりが私の生涯の趣味になったものと思っております。

 「南紀」のガイドブックの骨子を作ったところで箱田俊雄さんに代っていただきました。喘息発作で、11年の「南紀」、12年の「高野山」とも欠席する結果となり、誠に良いタイミングで引き継いでいただいたと箱田さんに感謝しております。


○ 全国大会、東北大会、関東甲信越大会、東海連合大会、西日本大会、夏期講座

 時折、喘息の発作を起こしたり、やむを得ない所用で欠席したこともありますが、余程のことがない限り会の行事には全部参加しようと心がけてきました。

 2月の東海連合大会、5月の名所めぐり、6月の東北大会、7月の支部大会と夏期講座、8月の全国大会、9月の関東甲信越大会、10月の西日本大会、それに毎月1回の囃子謡研究会、年数回の素謡会と全部出ようとすると結構忙しいのです。

 大会に出るとなると何か役を割り当てられるし、全国大会や仕舞の場合には暗記も必要になってきます。少し頭や身体を使えばボケ防止にもなるのではないかと思い、身体と頭の許す限り今後も継続したいものと願っております。


○ 教授嘱託会のますますの発展を願って

 謡を習い始めた頃は何度止めようかと思ったか知れませんが、50年を経過した現在振り返ってみると、継続してきて本当に良かったと思っております。定年退職後20年近く過ぎてしまいましたが、謡曲のおかげで退屈することなく充実した毎日を過ごしております。

 謡の友は仕事の友と違って上下の関係もなければ、地位、名誉、金銭などのしがらみもありません。一緒に謡うだけでも楽しいし、また多くの方と旅をして共に謡い、謡蹟などを訪ねるとその喜びは倍増します。

 職場の謡曲サークルや師匠の渡邊三郎先生の渡雲会の稽古や行事もあり、もちろん大切にしていますが、行事の数や謡仲間の数では教授嘱託会には適いません。全国各地に支部があり、2,600余名の会員を有し、上述のように盛り沢山の行事を実施しております。この会を通して実に多くの方々に巡り合い、一緒に舞い、謡い、教えられ、励まされ、楽しいお付き合いをさせていただいております。

 理事長以下役員皆様のご奉仕に敬意を表するとともに、会員の方々の理解と会員獲得努力により、この会がますます発展することを願っております。

参加記録1

参加記録2

参加記録3



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