昭和19年8月29日、海軍省から予備生徒採用の通知が届いた。9月20日14時、広島県の大竹海兵団に入団すべしと書かれてあった。同級生の青木忠一、千葉幸一、小原信太郎の皆さんにも同様の通知が届いたそうだ。陸軍の幹部候補生を志願した同級生、小嶋幸一、沓澤富二、上西康夫、澤田新平、吉田彦二、黒木武二の諸君にも合格の通知が来たという。覚悟の上とはいえいよいよ軍隊に実際に入ると思うと身の引き締まる思いがする。
官練の繰上卒業式は9月15日であった。長年の希望であった官練を卒業でき、もちろん嬉しかったが、5日後に控えた入団のことを考えると感傷に浸っている間もなかった。部屋を貸してもらっている山吉叔母さんや、同室の同級生、平、沓澤の両君に壮行会を開いてもらい、翌日には郷里の小出町に帰った。途中、熊谷まで平君と沓澤君が送ってくれた。
郷里でも多くの方に集まっていただき壮行会、いよいよ9月18日は出発の日である。鎮守様で出陣祭、大勢の方に駅まで見送ってもらった。12時7分小出駅発の下り列車に乗る。見送りの人々がだんだん小さくなって見えなくなった時は一抹の寂しさを禁じ得なかった。母は笑顔で送り出してくれたが、内心はどのような気持だったろう。
彦七じいさん、弟の澄雄君、長岡局の林さんが長岡駅まで一緒に来てくれた。長岡駅で待つこと3時間、長岡駅発15時58分大阪行きに乗って出発、いよいよ三人ともお別れして一人になる。柏崎付近で日本海の落日を見ることが出来た。荘厳な光景に涙がとまらなかった。
夜が明けたのは琵琶湖付近、終点の大阪で途中下車して中之島公園まで歩き食事をした。おばあさんが孫のために作ってくれた粽(ちまき)である。その味は今でも忘れられない。10時35分発徳山行きに乗り大竹駅についたのは夜の十時半、旅館も閉まっており駅の待合室で夜を明かす。
当時の日記には「唯今大竹海兵団の前にある休憩所で休んでいる。もう一時間余りで娑婆とも当分お別れだ。力の限り軍務に精励し御国のため、又村の人、親のため頑張ろう。入団前ここまで。」と記してある。
(海軍関係ついては、別にホームページ 特殊潜航艇「蛟龍」(海軍の自分史) に詳細に記述してあるので、そちらを参照願いたい。)
鎮守宮出陣の式おごそかに 村人に誓う一死報国
小出駅歓呼の声に送られて 今ぞ出で立つ国護るとて
乗り換えの宮内駅まで送り来し 祖父の心中思いやられる
北陸線夕陽の沈む日本海 ただ訳もなく涙こぼるる
乗り換えの大阪で降り中之島(公園) 祖母のチマキの味の美味しさ
逓信官吏練習所 卒業記念 (昭和19.8) 前列左から5人目が私
野外教練 冨士山麓滝が原廠舎 (昭和19.8) 前列中央が私
上之山神社(郷里の鎮守様)
上之山神社(郷里の鎮守様) ここで私の出陣祭を行っていただいた。
「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−