経理屋には海外出張など無縁のものと思っていたが、海底ケーブルの建設が始まってからは、海外勤務を命ぜられるし、帰国後も東南アジアに海底ケーブル網が急ピッチで建設されるようになると、当然資金分担の話も必要となり国際会議に引っぱり出されるようになった。
ケーブルの建設には「破棄し得ざる使用権」などといった新しく難しい概念が登場してきて理解するのに苦労した。アメリカが相手の時は先方の話を聞いていれば良かったが、アジアの諸国が相手となると、こちらから説明しなければならない。中国のように通訳の付くところはよいが、大抵の国では英語で説明しなけらばならない。英語のベテランに助けられながらの難行苦行であった。
訪ねたところはシンガポール、マニラ(2回)、上海(2回)台北等である。韓国の時は先方から日本に来てくれた。これらの地域に張りめぐらされたケーブルは現在も活躍していると思う。
会議では苦労したが、仕事の合間の観光などは楽しかった。最初、上海の寒いのには驚いたが、次回4月に行った時は花が咲き乱れ、桃源郷を思わせるよう変っているのにも驚いた。汽車の中で同席の中国の方と漢字を並べあっての筆談で、何とか意志が通じたときは嬉しかった。
台湾では故宮博物館や大魯閤峡谷、アミ族の踊り、マニラでは富豪の大邸宅・郊外の公園の熱帯の花・バンブーダンス、シンガポールでは港のシンボルのマーライオン・独立記念日のパレード等を思い出す。
衛星通信関係でも、ロンドンとニューヨークに出張させてもらったし、電気通信事情調査ということで、西ドイツ、スイス、フランスを訪ねたこともある。スイスの山や湖、ライン河下りなど懐かしい。
会社生活最後の海外出張は生産性本部主催の豪州、ニュージーランド産業調査団に参加して、豪州、ニュージーランド、インドネシア、香港等を廻ったときである。慰労出張をさせていただいたと有難く思っているが、その途中キャンベラの戦時記念博物館に立ち寄った時、思いがけずも、戦時中私ども特殊潜航艇乗りの先輩がシドニー湾を攻撃した時の潜航艇が引き揚げられて陳列されているのにめぐり会ったのには本当に驚かされた。
(中国への出張については、後日、経理部OBの春秋会の皆様に差上げた資料「元経理屋の昔話より」の中の「日中・沖台ケーブル会議余話」にも書いているので参照願いたい。なお、私の海外出張の記録も付記した。)
ケーブル系お金の話打ち合わせ 経理屋も出る国際会議
アメリカに学んだ技法教える立場 アジア諸国が相手の時は
お相手は香港、マニラ、シンガポール 北京、上海、台湾、台北
シドニーを攻撃したりその昔 我らの先輩この艇に乗り
キャンベラの戦争記念博物館 特潜艇にめぐり会うとは
日中ケーブル会議 (上海) (昭和50.12)
フイリピン・シンガポールケーブル会議 (マニラ) (昭和52.9)
沖縄・台湾ケーブル会議 故宮博物館 (昭和52.11)
フイリピン・シンガポールケーブル会議 シンガポール港 マー・ライオン(昭和53.8)
スイス レマン湖 モントルー近くのシロン古城 (昭和54.4)
シドニーにて 豪州、ニュージーランド産業調査団 (昭和57.7)
「日々是好日」 −高橋春雄・私の履歴書−