資料   「比翼連理」 金婚記念写真集   平成12年4月

         ま え が き 


 私たちは昭和25年4月15日に結婚したのですが、その時から早くも50年の歳月が流れ過ぎようとしています。思えばとても長いような、また逆にあっという間の短いような気もする50年でした。そして現在二人の子供も健やかに成長し、孫も可愛い顔を見せてくれています。そして子供たちが金婚のお祝いをしてくれるとのこと、こんな嬉しいことはありません。


 金婚を記念して何か思い出を残そうといろいろ考えた結果、私たち家族の50年間の写真記録を作ってみようと思い立ちました。撮った写真は膨大な数にのぼり、アルバムだけで500冊くらいはあると思います。そのうち、新潟のものは「高橋シゲノ 米寿」、栃木のものは「親和会回顧」、自分の定年後については「定年後の足跡」、会社関係は「なつかしの経理部」「元経理屋の昔話」、謡曲関係は「謡舞観巡」、戦友会のは「つわものどもの夢の跡」、クラス会では「八海魚野」「往時渺茫」等を作成する際、かなり収録しましたが、家族関係のものはまだ手つかずの状態にありました。


 家族の分については、いずれの日にか自分史をまとめる時にでもと漠然と考えていたのですが、ちょうど良い機会だから、結婚後の50年分だけでもまとめ、子供たちに一冊づつ進呈したら喜んで貰えるのではと思ったのです。


 二人でアルバムをめくりながらの写真選定、編集もなかなか楽しいものでした。子供たちの誕生の頃から小学校、中学校、大学、社会へと成長して行く過程を追いながら、自分たちの若かった頃、元気だった頃を思い出し、昔話を交えながらの作業は、能率はあがりませんが、共通の思い出をかみしめることができ、とても幸せな時間でした。


 一年分を一頁に収め、数枚の写真と下の部分にはその年、家族がどんな状況で、何処にいたか分かるようにしてみました。写真と見比べていると当時のことがすぐこの間のことのように蘇ってまいります。子供たちの分は最終の学校を卒業し就職するまでとし、その後は親の手を離れたものとして記載しませんでした。また、住所も江原町に移ってからの分は省略しました。


 年表も参考までに作成して見ました。結婚前の分も出来るかぎり調べてみましたが、本当に激動の時期をよく生きてきたものと感慨を深く致しました。



         あ と が き


 もうすこし早く写真集作成に着手すればよかったのですが、小学校同級生の間で喜寿を記念して写真集を作ろうという話が出て、その編集の手伝いをしている過程で、自分たちの金婚記念にも同じように写真集を作ってみようと思いついたのが2月の末頃でした。それから出来れば4月8日に予定されている鎌倉でのお祝いの会に間に合わせようとしたのですから大変忙しいことになってしまいました。


 小学校のはB5版ですが、これでは小さすぎると思い、私たちのものはA4版とし、1年分を1頁に収めて50年分を50頁程度にするつもりでスタートしました。先ず写真の選定ですが、写真は小さくすればかなりの枚数が入りますが、見にくくなります。せいぜい1頁に5〜6枚程度が限度のようです。しかし1年分を5〜6枚の写真に絞るのは難しい作業でした。途中まではこの原則を守ってきましたが、定年後等写真の多い年は1年分に3頁を使うこととしました。


 平成12年分は病気で入院したりして、あまり写真も撮っていないので、ちょうど小学校の写真集のため用意したのが7頁分あったので、これをそのまま使うことにしました。また、一通り終ってみると、結婚前の写真やら、KDDの社内誌に掲載された表紙や記事、自分で作った本のこと、札所めぐりのことなども思い出され、補足の形で追加することとしました。また、年表も二人の分を中心に作成してみました。


 途中パソコンのトラブルで折角入力したのが駄目になったり、プリンターがうまく作動しなかったり、大分苦労しましたが昨日ようやく写真の入った分のコピーを取り終えました。この間、ふさには、写真の選定、年表の作成、校正、写真の格納整理等をやってもらい、まさに共同作業でした。なんとか目標の期日に間に合う見込みとなったのもこの協力のおかげと感謝しています。目下、目次を作成したり、年表をチェックしたりして、最後の仕上げを急いでいるところです。時間に追われてチェックがおろそかになり、記述に誤りがあると思いますが、ご教示いただき修正してまいりたいと思います。


 数えてみたらこの写真集に収録した写真の枚数は533枚ありました。私たち二人のものが多いのはもちろんですが、家族のもの、親戚のものも出来るだけ取り入れたつもりです。この写真集が家族、親戚おたがいの理解と親睦にすこしでも役だってくれれば有難いと思っています。


         平成12年4月6日記す      高 橋 春 雄

              


「続 比翼連理」より               平成17年8月


        ま え が き


 5年前の平成12年4月8日、鎌倉で金婚のお祝いをしていただいてから早くも5年余りの歳月が流れました。そして私は80歳の傘寿、ふさ子も76歳で喜寿を迎えようとしています。そして、昨年の9月には栄一、直子さんの家で陽君が誕生、さらに今年の3月には堀内家でも大雅君が生まれました。


 この記念すべき時に一同集まってお祝いの杯をあげるとともに、子供や三人の孫たちに何か書いたものを残したいと次の三部作を作ることとしました。

 1. NY時代1年8カ月の二人の交換書信集

 2. 五分前(海軍の自分史)

 3. 続・比翼連理(春雄傘寿、ふさ喜寿、陽君・大雅君誕生記念)


 当初、4,5月頃お祝いの会合を持ち、その席上でこれらの本を贈呈したいと思っていましたが、入学、引っ越し、私どもの都合などで遅れてしまいました。最近に至ってなんとか集まることが出来そうな状況になってきましたので、「続・比翼連理」の方も8月15日で締めきり取りまとめることとしました。


 5年間の足跡を写真で振り返ってみると、いろいろの事がついこの間のことのように懐かしく思い出されます。四国・小豆島の札所めぐり、旅順・大連への旅行、栄一・直子さんの結婚、日光での披露、陽君・大雅君の誕生等々。それにまとめてみて驚いたのは5年間に28冊もの本を作ったことです。中でも「特攻艇長たち 次世代への遺言」と、その「読後感想文集」は900冊も作っただけに思い出もひとしおです。


 5年後にもう一度「続続・比翼連理」を作りたいと思っていますが、どのようなことになりますやら・・・


         平成17年8月吉日     高橋春雄・ふさ




「比翼連理 V」より               平成20年2月


        ま え が き


 「比翼連理」をはじめて作ったのは、平成12年4月、私たちの金婚記念のときで、私たちの50年間のあゆみを120頁ほどの写真集にまとめお配りしました。


  その後5年を経過して平成17年8月に「続・比翼連理」を70頁ほどにまとめてみました。その時に「5年後にもう一度「続々・比翼連理」を作りたいと書いておりましたので、少しずつ作ってまいりましたが、2年半を経過した現在、100頁近くになりました。一冊にまとめるには手頃の量と思い、昨年末を一応の区切りとして第3冊目を作成しました。


 3年近くを振り返ってみるとさまざまのことがありました。

・栄一一家の宇治への引越し

・堀内一家の札幌への引越しと帰京

・私の左腕の故障とカイロプラクテックとの出会い。

・札幌でのインフルエンザ・肺炎による入院

・ブログ「謡蹟めぐり」の投稿

・ホームページ「特殊潜航艇「蛟龍」(海軍の自分史)」の公開

 その他本も12冊ほど作りました。

 北海道にも2回ほど行ったし、宇治にも何回か寄せてもらいました。


 幸い今のところ二人ともまあまあの健康状態なので、引き続き出来るだけあちこちを歩き廻りたいと思っております。

  ホームページは前に作った自分史「日々是好日」をベースにして、「自分史」に挑戦してみたいと思っております。


 また「比翼連理」第四作も、私たちファミリ―の楽しい記録にしたいものと願っております。どうか健康に留意して仲良く暮らして下さい。そして楽しい写真を提供して下さいね。


 正月早々には仕上げるつもりが若干遅くなったことをお詫びします。


       平成20年2月吉日       高橋春雄・ふさ

比翼連理 平成12年4月
比翼連理 平成12年4月

続・比翼連理 平成17年8月
続・比翼連理 平成17年8月

比翼連理 V 平成19年12月
比翼連理 V 平成19年12月



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