日本武尊腰かけ石

謡蹟めぐり  くさなぎ  日本武尊謡蹟3

東征・帰還 甲信越の謡蹟   (平14・2記)

甲府市の酒折宮は尊の行宮址として知られ、尊が老翁と歌問答をしたことから連歌発祥の地とも言われる。また尊は東征に向かう折伊勢神宮で叔母の倭姫から剱と火打ち石の入った袋をもらい、これで難を逃れたのであるが、その火打ち袋をこの地の者に授け授けて出発した。この火打ち袋を御神体として祀ったのがこの宮の起源であるという。

また、長野県と岐阜県の境、中央高速の恵那山トンネルのあたりの神坂峠も日本武尊の通過地として知られる。往時ここは大和と東国を結ぶ交通の要所であったようである。謡曲「土賊」の舞台ともなっている所であり、日本武尊だけでなく、伝教大師、坂上田村麿、防人の兵士等多くの人々がこの地を通過したと伝えられる。
神坂神社の祭神は、表筒男命(うわづつおのみこと)、中筒男命、底筒男命の三海神の住吉様で、海に遠いこの地には珍しく、昔中央の都との深い関係を考えさせる。

境内にある巨大な杉は日本杉といわれ、もとは二本あったが、一本は以前に折れその年輪は二千年以上といわれ、日本武尊が植えたものと伝えられている。日本武尊手植えとなれば、この杉は私たちの知っている日本の歴史をほとんど見てきている訳である。 神坂神社の境内には大きな「吾妻の碑」があり、次のように記されている。

「 日本武尊が神坂峠の麓にお着きになって、乾飯を召し上がっていると、この坂の魔物が鹿になって尊の行方をふさがれた。尊はすばやく食べ残りの蒜(ひる)をかんでその鹿の近づくのを待って投げ捨てると、その鹿の目にあたって死んでしまった。
(妻神の地名の起り)
やがて尊はこの神坂峠に登られ、東のほうを望まれ駿河湾で死なれた妻のことを思いだし「ああわが妻よ」と嘆かれた。それからこの峠から東のほうを「吾妻(あづま)」と呼ばれるようになった。  日本書紀の中から
      昭和六十一年初秋      夜烏山主□□しるす  」

またここには日本武尊腰掛石がある。日本武尊が東国を征して帰る時、この地で霧におおわれ道に迷い苦しみ、この石に腰をおろして休んでいると、一匹の白い狗がきて尊を導き峠を無事越すことができたといわれる。

酒折宮甲府 酒折宮 甲府市酒折 (平9.7) 尊の行宮址として知られる

神坂神社日本杉 神坂神社日本杉 長野県阿智村園原 (平7.10) 尊の手植えと言われる

吾妻の碑神坂峠 吾妻の碑 長野県阿智村園原 (平7.10) 尊はここから東を望み「ああわが妻よ」と嘆かれた

日本武尊腰かけ石 日本武尊腰掛石 長野県阿智村園原 (平7.10) 尊がここで休んでいると白い狗が出て先導してくれた

尾張帰還 宮簀(みやず)姫関連の謡蹟   (平14・2記)

尾張に帰着した尊は宮簀姫と再会して結婚し、草薙の剣を姫に預ける。草薙の剣は熱田神宮の神体となり熱田神宮の起源となる。
また熱田神宮の摂社に源太夫社がある。曲中に「我は熱田の源太夫が娘、橘姫の霊魂なり」とあり、弟橘姫ほ源太夫の娘となっているが、熱田神宮で発行している「熱田神宮」なる小冊子によると、源太夫社は上知我麻神社の俗称で、この神社の祭神は尾張国造、乎止与(おとよ)命で宮簀姫の父神にあたるとされている。
熱田区旗屋にある断夫山古墳は宮簀姫の古墳と伝えられるが、今は丘となっており、それらしいものは何も見当らない。

熱田神宮 熱田神宮 名古屋市熱田区 (平7.2) 草薙の剱は神体となり熱田神宮の起源となる

源太夫社 源太夫社ー上知我麻(かみちかま)神社 熱田神宮摂社 (平7.2) 源太夫は弟橘姫の父とも宮簀姫の父ともいわれる

断夫山古墳 断夫山古墳 名古屋市熱田区旗屋 (平7.2) 宮簀姫の古墳と伝えられる

伊吹山 尊の薨去関連の謡蹟 (平14・2記)

大和から他の皇子が皇太子になった旨を伝えられた日本武尊は、父天皇と策謀を一にする近江の王を奇襲すべく伊吹山に向かった。しかし山の神の毒気にあてられ、とうとう能褒野というところで息をひきとってしまったという。  伊吹山の山頂には日本武尊の像が建っているといい、三重県亀山市には能褒野陵や能褒野神社がある由だがまだ訪ねていない。
滋賀県米原町醒井の井醒の泉、日本武尊腰掛け石は尊がここで休養し、少し回復された所という。ここを訪ねた時は暗くなっていて、泉の写真は撮れず、腰掛け石も良く撮れなかったが参考までに掲げてみる。
日本武尊が臨終間際に残した歌として
     倭(やまと)は 国のまほろば
     たたなづく 青垣 山隠(やまごも)れる
     倭し うるわし
がよく知られる。
大意は「大和の国は、日本の中でもひときわ高く秀でた国だ。青々と樹木が茂った山々が垣根のように重なり合ったその奥に、隠(こも)ったように存在する大和、こんな大和こそ、まことに美しい国なのだ」というものであり、尊の望郷の思いの深さを示すものとされている。

腰掛け石縦 日本武尊腰掛け石 滋賀県米原町醒井 (平13.11) 尊はここで休養少し回復した

白鳥伝説 関連の謡蹟 (平14・2記)

日本武尊の死後、遺骸を葬ったところ、白鳥になった日本武尊が大和を指して飛び立ち、各地に留まっては飛び去ったため、そのたびに白鳥陵が出来たという。私が訪ねた日本武尊の古墳、御陵などを紹介する。
白鳥は先ず宮簀姫がおり、神剣の預けられた尾張の熱田宮に飛んだ。熱田には白鳥御陵があり現在も立派に管理されている。宮簀姫の古墳といわれる断夫山古墳もこの近くにある。
鈴鹿市には白鳥塚古墳があり、古くはここが能褒野に薨じた日本武尊の古墳とされていたが、明治12年に能褒野陵が尊の陵と比定された。古墳の近くには加佐登神社がある。尊が最後までお持ちになられた御笠と御杖をご神体として白鳥御陵の近くにお祀りしたのが御笠殿、今の加佐登神社とのことである。加佐登神社の境内に立派な日本武尊の像が安置されている。

白鳥御陵名古屋 白鳥御陵 名古屋市熱田区白鳥 (平7.2) 白鳥はまず宮簀姫のいる熱田に飛んだという

白鳥古墳 白鳥塚古墳 三重県鈴鹿市上田町 (平7.2) 古くはここが日本武尊の古墳とされていた

加佐登神社 加佐登神社 三重県鈴鹿市加佐登町 (平7.2) 古墳の近くにあり尊を祀る

日本武尊尊像加佐登神社 日本武尊像 加佐登神社 (平7.2) 神社境内に立派な尊の像が建つ

奈良県御所市冨田には日本武尊の御陵があり、羽曳野市古市駅の近くには同じく尊の立派な御陵がある。
堺市鳳には大鳥神社が祀られ、この森は千種の森と呼ばれ白鳥が飛来したとき一夜にして出来たという。

白鳥御陵御所市 日本武尊白鳥稜 奈良県御所市富田 (平8.9) 白鳥伝説の一つの御陵

日本武尊御陵羽曳野 日本武尊陵 大阪府羽曳野市古市 (平10.9) 立派な御陵である

大鳥神社堺市 大鳥神社 堺市鳳 (平10.3) 日本武尊を祀る

その他の日本武尊関連の謡蹟      (平14・2記)

以上の他にも日本武尊を祀る神社や像は沢山あるようだが、金沢の兼六園内に建つ日本武尊像と尊を祀る滋賀県の建部大社のみを紹介する。

日本武尊像兼六園 日本武尊像 金沢市兼六園内 (平9.6) 西南の役で戦死した将兵を祀り明治13年に建立

建部神社大津市 建部大社 大津市瀬田 (平13.10) 日本武尊を祀る

景行天皇・恵心僧都      (平14・2記)

日本武尊の父景行天皇に関しては奈良県天理市にある御陵を訪ねたのみである。
またワキの恵心僧都は「満仲」「頼政」にも登場する人物であり、関係する謡蹟もかなりあるようであるが、私が訪ねたのは、彼が開基したと伝えられる堅田の浮見堂のみである。

景行天皇稜 景行天皇御陵 奈良県天理市渋谷 (平8.9) 日本武尊の父君の御陵

堅田の浮見堂 堅田の浮見堂 大津市堅田 (平10.4) 恵心僧都の開基と伝えられる


−ニュース−

曲目一覧

サイトMENU

Copyright (C) 謡蹟めぐり All Rights Reserved.