竜田川

謡蹟めぐり  龍田 たつた

ストーリー

六十余州に御経を広め歩く僧が、奈良の社寺を巡拝し終え龍田明神参詣のため河内国へ急ぐ途中、龍田川に到着します。
すると一人の巫女が現れ「龍田川紅葉乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなん」という古歌をひいて止めます。僧がそれは秋のことで今はもう薄氷の張っている頃なのにというと、更に「龍田川紅葉を閉づる薄氷、渡らばそれも絶えなん」という歌もあると答え、別の道から社前に案内します。そして霜枯れの季節にまだ紅葉しているのを不審に思う僧に紅葉が神木であることを語り、さらに龍田山の宮廻りをするうちに巫女は、自分こそは龍田姫の神霊であると名乗って社殿の中に姿を消します。
その夜、僧が社前で通夜をしていると、龍田姫の神霊が現れて、明神の縁起を語り、あたりの風景を賞美した後、神楽を奏して虚空へと上って行きます。(「宝生の能」平成13年11月号より)

竜田川、竜田神社、 奈良県三郷町 (平18・11記)

曲前段の舞台は竜田川である。川の両岸は整備され立派な公園となっている。往時は紅葉の名所として知られていたが、現在もその名残を留めているようである。途中の石垣に能因法師と有原業平の歌が刻まれていた。

   嵐吹く三室の山のみみじ葉は 竜田の川の錦なりけり  能因法師
   千早ふる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くぐるとは 有原業平

後段の舞台は竜田明神(龍田神社)である。祭神は天御柱命(あめのはしらのみこと)・国御柱命(くにのみはしらのみこと)で、天地間の大気・生気・気・風力を司る神様で「風神」というとのこと。第十代崇神天皇の創建という。

竜田川 竜田川 奈良県三郷町 (平13.7)

能因在原歌碑 能因法師、有原業平の歌碑(平13.7)

龍田神社1 龍田神社 奈良県三郷町 (平13.7)

龍田神社2 龍田神社 奈良県三郷町 (平13.7)

金剛流発祥之地碑 竜田神社 (平18・11記)

竜田神社の境内には「金剛流発祥之地」碑があり、その説明は次の通りである。

「 金剛流は、能楽シテ方の一流で、大和猿楽四座(結崎・円満井・外山・坂戸座)のうちの坂戸座を源流とする。
坂戸座は、その名称を法隆寺周辺部にあった古代郷で、おおむね現斑鳩町の並松・五百井・竜田・小吉田・稲葉車瀬・神南付近を範囲とする坂戸郷に由来し、古刹法隆寺に所属して発展を見た猿楽の一座である。
中世の法隆寺付近には、法隆寺東里・西里が成立しており、その郷民たちの精神的紐帯として祀られた竜田神社を中心に、竜田市が栄えていた。
「法隆寺寺要日記」によれば、覚元元年(1243)にはこの市の守護神として、摂津西宮から夷神が勘請され、その祭礼に郷民自身による猿楽が盛んに演じられたとある。
法隆寺付近の郷民たちは、竜田市の経済力を背景に、強固な自治的な組織を生み育て、祭礼に彼ら自身が芸能を演じて楽しむとともに、彼らの中で法隆寺に所属し、大和一円で活躍した専門の猿楽集団である坂戸座を育てたのである。
よってここに金剛流発祥之地の碑を建てる。 」

金剛流発祥の地碑 金剛流発祥之地碑 龍田神社 (平13.7)


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