石廊崎石室神社

謡蹟めぐり  葛城2 役行者関係謡蹟

役(えん)の行者とその謡蹟 (平13・10記)

謡曲の本文中には、役(えん)の行者の名は出てこないが、中入の後、狂言の者が出て語るところにより、役の行者と葛城の神の関係がはっきりしてくる。
その概要を記すと
「 文武天皇の御代に役の行者なる者、生国は大和の国、姓は加茂氏、御名は小角と申して、30余年この山に住み鬼神を自由に使っていた。
行者が考えるに、葛城から大峯までは谷峯を廻り遠いので、岩橋を架けて通路にしようと思い、そのことを葛城の神に命じたが、葛城の神は自分の容貌の醜いのを恥じて、夜ばかり仕事をして昼は恥ずかしや浅ましやと、明けぬ先に姿を消してしまうので、役の行者は怒って葛城の神を蔦葛で縛ってしまう。
葛城の神は帝に訴えるのだが、行者を捕えようとしても、空を走り地を駈けりなかなか捕まらない。それで行者の母を捕えたところ、行者はそれを嘆いて母に替わろうと出てきたところを捕えて島に流してしまった。その後行者は母を鉢に入れ異国へ移したが、なお本性を忘れず、常に葛城山大峯へ通っていると聞いている。また葛城の神は行者のいましめのために今も苦しんでいると聞いている。 」
というのである。

このように、役の行者は神様までも縛ってしまい、しかも空も翔けるといった超能力をもっていたようである。謎の多い人物であるが、舒明天皇6年(634)葛城山麓に生まれ、17歳から葛城山に籠って30年余修行を積み、霊術を体得して日本全国を踏破しあるいは飛翔して足跡をとどめた。
役の行者修行の古蹟ないしは開基の寺は夥しい数にのぼるといわれ、私の訪ねたところはほんの数ケ所しかないが紹介してみよう。

吉祥草寺、役行者産湯の井戸、腰掛けの石   (奈良県御所市)

役の行者は舒明天皇六年(634)葛城山麓で生まれ、その生地は吉祥草寺と言われる。境内には祖師堂、産湯の井戸、腰掛け石などがある。

吉祥草寺 吉祥草寺 奈良県御所市  (平8.9) 役の行者の生誕地といわれる

役行者産湯の井 役の行者産湯の井戸 吉祥草寺 (平8.9)

役行者腰掛け石 役の行者腰掛け石 吉祥草寺 (平8.9)

葛城山、葛城神社、雨乞い石 (静岡県伊豆長岡町)

捕えられた役の行者は伊豆の大島に流されたといわれるが、一説では伊豆大島ではなく、伊豆長岡の葛城山に流されたので、その名も大和の葛城山にちなんで行者がつけたという。ロープウエイで簡単に山頂に行け、山頂には葛城神社がある。
ここでの説明には
「 葛城山山頂付近には、古くから葛城神社が祀られていました。この神社の本体が大和国葛城下郡倭文座(シトリザ)天羽雷命(アマハツチノミコト)神社であることから、葛城神社そして葛城山とよばれるようになったと言われています。祭神は倭人部(シトリベ)の神である萬幡豊秋津師比命(ヨロツハタトヨアキツシヒメノミコト)で織物の神様です。 」とある。
神社の傍らには「役の行者雨乞い石」があり、この地方が飢饉のとき、役の行者が祈祷により大雨を降らせたと伝えられ次のような説明が書かれている。
「 今から千余年前文武天皇の頃、役の行者が罪を得て伊豆に流されこの山にこもって修行をしました。その時大和の国を偲び葛城山と名付けられたと伝えられております。ある年のこと飢饉がおそい作物は枯死寸前となりましたが、行者の祈祷によって恵みの雨を降らせ里人を救ってくれました。その時祀った石が「雨乞石」で豊作の神また繁栄の神として霊験あらたかで、古くから信仰を集めております。毎年8月15日に雨乞い石例祭が行われております。 」
山頂からの360度の展望は素晴しく、眼下には狩野川が流れ、頭をめぐらせば遥かに富士山、すぐ下には三津の入江が見られる。

葛城神社 葛城神社 葛城山(伊豆) (平7.4) 大和の葛城山にちなんで役の行者がつけたという

雨乞いの石 雨乞い石 葛城山(伊豆) (平7.4) 飢饉の時祈祷により大雨を降らせたという

役行者像、蓑掛岩、石室神社 (静岡県南伊豆町石廊崎)

石廊崎の遊覧船のりばで思いがけなく「役行者の像」を発見した。説明

「      役の行者(えんのぎょうじゃ) 小角(おづ)
1 生い立ち
天智天皇6年(673年)大和国葛城上郡茅原に生れ、神童と称せられた。成長してますます明敏博学特に修験者となり呪術に秀で神通力の持ち主となり修験道の開祖と崇められた。しかしその呪文で世を惑わし秩序を乱したと密告され、時の文武天皇の命令で伊豆に流された。時に文武天皇3年(699年)であった。
2 伊豆に残した足蹟
・ 石室権現を祀り、航海の安全、学問、商売繁盛の守護神とした。石室神社はいわゆる延喜式の神名帳に登録されている式内神社である。(大宝元年707年)
・ アシタバを発見して世に広め、アロエの薬効を研究して住民を疫病から救った。
・ 大瀬海岸にそびえる岩に飛行の蓑をかけたという伝説から蓑掛岩と呼ばれている。
・ その他、変幻出没南伊豆一帯を一本足駄で濶歩した。
後年、第119代光格天皇は寛政11年に神変大菩薩の称号を贈り、その業績を賞賛した。 」

伊豆半島の南端風光明媚な石廊崎、前に訪ねた時は素晴しい眺めと思ったが、役の行者のことは何も知らなかった。蓑掛岩にも気がつかなかったが、役の行者のことを知ってもう一度訪ねてみると、石室神社や蓑掛岩、アロエの植物までが新鮮に見えるのに我ながら驚いた。

役行者石廊崎 役の行者像 静岡県伊豆町 石廊崎遊覧船乗り場 (平6.12) 土地の人々から親しまれたようで立派な像が立つ

蓑掛け岩 簑掛け岩 静岡県伊豆町石廊崎 (平6.12) 役の行者は飛ぶことも出来、この岩に飛行の簑を掛けたという

石廊崎石室神社 石室神社 静岡県伊豆町石廊崎 (平6.12) 役の行者が創始、神社からの眺めである 

江の島第二岩屋  (神奈川県藤沢市江の島)

役の行者は江の島の第二岩屋に参籠したことがあり、内部には役の行者の像が石に刻まれているとのことである。
江の島の岩屋は危険なため長い間立ち入り禁止となっていたが、最近立派な橋や歩道が整備され、一般の人も参観できるようになった。海が静かな日は舟で行けるようだが、私たちが行った時は陸路を通らなければならず、坂道をかなり歩かされた。残念ながら第二岩屋の内部にあるという役の行者の像は見逃してしまった。

江ノ島岩屋 江の島第二岩屋 神奈川県藤沢市江の島 (平6.12) 役の行者が参籠したという

吉野山 (奈良県)

吉野山にも役の行者の開基になる寺も多く、役の行者の像が多く見られる。私が見聞した寺と像の写真を掲げる。

蔵王堂 蔵王堂(金峰山寺) 奈良県吉野町 (平13.7) 役の行者の開基といわれる

東南院 東南院 奈良県吉野町 (平13.7) 役の行者開基、役の行者集院巡りの幟が立っていた

役行者吉水神社 役の行者像 吉水神社 奈良県吉野町 (平13.7)義経弁慶、後醍醐天皇で有名なここも行者の開基、像がある

役行者水分神社 役の行者像 水分神社近く 奈良県吉野町 (平13.7)神社近くの道路脇に安置されているのを発見した

役行者金峰神社 役の行者像 金峰神社ちかく 奈良県吉野町 (平13.7) 神社近くの堂に安置されている

その他役の行者開基の寺など

以上のほか、役の行者の開基になる寺が沢山あるようであるが、私の参詣した所および役の行者関係の塚、祭の写真のみを掲げる。

養老寺 養老寺 千葉県館山市洲崎 (平6.11) 近くには頼朝上陸の碑もある

滝山寺 滝山寺 岡崎市滝山 (平7.2) 本堂隣りに滝山東照宮が建っている

松尾寺 松尾寺 大阪府和泉市 (平10.3) 境内に一の谷合戦の戦死者を弔う首堂がある

祇園祭 祇園祭 役の行者の山 京都市 (平13.7)


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