能夜討曽我

謡蹟めぐり  夜討曽我 ようちそが

ストーリー

曽我十郎・五郎の兄弟は、源頼朝が催した富士の巻狩に乗じて父の敵工藤祐経を討とうと、富士の裾野にやってきます。兄弟は従者の団三郎と鬼王を膝近く呼びよせ、我等はこの好機を逸せずして父の敵を討ち取る覚悟であると打ち明け、二人を故郷の母のところへ形見の品を持たせて帰そうとします。
しかし団三郎と鬼王は主君と最後を共にしたい、この敵討ちの日のために年来奉公して来たのだと言い張りますが、それが許されないとわかると、二人は刺し違えて死のうとします。十郎は驚いてこれを押しとどめ、故郷の母への使者は二人しかないのだと説得します。そして兄弟は母に文をしたためて、形見を託し団三郎と鬼王を送り出します。
あとに残った十郎・五郎兄弟は首尾よく敵の祐経を討ち果たしましたが、十郎は討たれ、五郎も古屋五郎を斬りますが、御所の五郎丸との格闘の末、生け捕られます。(「宝生の能」平11.5月号より)

思い出  能「夜討曽我」  (平5・1記)

昭和56年渡雲会春季大会に、能「夜討曽我」の十郎役で出演した。「シテ」秋元亮一、「団三郎」中村正巳、「鬼王」丸山乗一、「古屋」児玉栄太郎、「立衆」長島経治、山田元就、「五郎丸」朝倉俊樹の皆さん。

当時稽古に使った謡本を取り出して見た。朱で書き入れた「ツケ」を見ながら読みすすむと、一生懸命稽古した頃の光景が目の前に浮かんでくる。

中村さんの団三郎「いざさらば刺し違よう」
丸山さんの鬼王「尤もにて候」
   ツケ 二人トモ扇ステ組合、小刀ニ手ヲカケル。扇前ヘ置クベシ。右のハダヌグ。
秋元さんのシテ五郎「ああ暫く。これは何事を仕るぞ」
   ツケ シテ見ツケ立行二人ノ間へ両手ヲ入レ下ニ居ツレを見廻ス
私の十郎「やあ兄弟の者帰すまじきぞ、帰すまじきぞ・・・」
   ツケ 十郎立二人ヘ向ケ出謡

お互い気合いを入れて稽古した頃が懐かしい。

ここまで書いてきて、たしかこの能のビデオがあった筈と思い出す。早速探してみると埃をかぶったビデオテープが見つかった。少しだけでもと思って見始めたらとうとう最後まで見てしまった。
地謡には太田延男、井上晃一、西謙一の皆さんも参加されている。地頭は今井泰男先生。幕が上がると私が真っ先に登場する。厚板を着附に着て、白大口をはき、上に掛直垂を着て腰帯をしめ、小刀をさす。そして弓矢を持った姿は馬子にも衣装といったところ。幸い私の役は舞もなく、動くところも少ないので大助かり。その代わり言葉や謡うところは多い。シテ秋元さんの堂々たる謡い方に比べかなり見劣りするが、なんとか立ち往生せずに謡い納めており、今回十三年ぶりに見てもほっとした。
後半に入って、私十郎はすでに討たれてしまっているので、登場しないのだが、秋元さんの五郎が
 「十郎殿、十郎殿。何とてお返事はなきぞ十郎殿・・・口惜しや死なば一所とこそ思いしに・・・」
という場面で私の胸はぐっと詰まりそうな感じがした。今は亡き秋元さんから呼びかけられているように思われたからである。
この曲の前半を一緒に演じた方々、秋元さん、丸山さん、中村さん三名とも13年の間に幽明境を異にしてしまったのである。

能夜討曽我 能「夜討曽我」 宝生能楽堂 (昭56.5)
舞台左より シテ 秋元亮一 鬼王 丸山乗一 団三郎 中村正巳 十郎 高橋春雄

思い出 謡蹟めぐり第1号「曽我寺(曽我兄弟の墓)」 (平5・1記)

前記「夜討曽我」演能に先立って、殊勝にも曽我兄弟に一言挨拶しようと思い立った。
連休の家族サービスで山中湖に行く予定を立てていたので、近くの兄弟ゆかりの地を調べてみた。その結果、富士市の曽我寺に「曽我兄弟の墓」があり、富士宮市に「音止の滝」と「工藤祐経の墓」があることが分かった。
昭和56年5月2日、家内、長男とともに山中湖湖畔荘に一泊。3日には観光バスで富士山五合目、富士五湖などを見て白糸の滝見物。白糸の滝のすぐ近くに曽我兄弟が密議をこらしたという「音止めの滝」があるというのだが、時間の関係で見に行く余裕はないという。「工藤祐経の墓」もすぐ近くらしいが、コースでないため駄目。
仕方ないので、翌4日朝、宿から白糸の滝まで直行して、音止めの滝、工藤祐経の墓を参詣して、曽我寺へ行くこととした。
4日朝、ゴールデンウイークの真っただ中のこととて、山中湖から川口湖方面への道路は大渋滞。何時になればバスがくるか見当もつかない。仕方ないので、反対方向のバスに乗り、御殿場へ出て汽車で沼津、富士を経由、入山瀬駅で下車、曽我寺へ向かった。
曽我寺では曽我兄弟の墓前で演能予定を報告、ご加護を祈った。苦労しただけにこの時のことは今でもはっきり覚えている。ここに着いたのが午後もだいぶ過ぎていた頃で、時間の関係で「音止めの滝」「工藤祐経の墓」は割愛せざるを得なかった。
「曽我兄弟の墓」これがこの旅行で唯一の、しかもその後私がかなりこだわり続けている謡蹟めぐりの第1号である。

曽我兄弟関係の謡蹟  (平19・7記)

曽我兄弟を題材とした曲には、母との別れを謡った「小袖曽我」、箱根権現に仇討ちを誓う「調伏曽我」、末弟国上禅師逮捕の「禅師曽我」があり、それぞれの項で関連の謡蹟を紹介したが、兄弟に共通する謡蹟は「小袖曽我」のところで紹介した。その後兄弟関係の謡蹟を訪ねていないので、ここでは謡蹟の紹介は省略させていただく。
参考までに「小袖曽我」のところで紹介した謡蹟は次のとおりである。

      「小袖曽我」の項で紹介した謡蹟

神奈川県

小田原市 城前寺 ・・・
城前寺、曽我兄弟の遺跡の碑、曽我兄弟の旧蹟の碑、一族四人の墓、曽我兄弟の墓、祐信満江の墓、鬼王兄弟の墓、忍石、五郎の沓石

小田原市 瑞雲寺 ・・・
瑞雲寺、力不動、曽我の春歌碑

小田原市 梅林付近 ・・・
曽我の里、満江御前の墓、曽我祐信宝篋印塔

箱根町 ・・・
箱根神社、曽我神社、 曽我兄弟虎の墓

箱根町 正眼寺 ・・・
五郎槍突の石、曽我堂、曽我兄弟の供養塔

鎌倉市 ・・・
工藤祐経の邸跡、御所五郎丸屋敷跡碑

二宮町 ・・・
知足寺、曾我兄弟と二宮夫妻の墓

大磯町 ・・・
善福寺、虎御前化粧の井戸、化粧坂

大磯町 延台寺 ・・・
宝物館、虎御石、曽我兄弟の木像、虎女の木像、曽我兄弟霊像・虎御石、虎御前祈願の竜神

大磯町 鴫立庵 ・・・
法虎堂、虎御前の木像

静岡県

川津町 川津八幡神社 ・・・
川津八幡神社、川津三郎の力石、川津三郎の像

中伊豆町 ・・・
大見小太郎邸跡、八幡三郎館跡

伊東市赤沢 ・・・
川津三郎祐泰の血塚

伊東市 東林寺 ・・・
東林寺、川津三郎祐泰の墓、曽我十郎祐成の首塚、曽我五郎時致の首塚、伊東祐親の墓

伊東市 ・・・
伊東祐親の銅像、伊東祐親の館跡、奥野の狩場

富士宮市 ・・・
富士の裾野、白糸の滝、音止めの滝、工藤祐経の墓、曽我兄弟隠れ岩、五郎首洗いの井戸、曽我寺、曽我兄弟の墓、虎御前・化粧坂少将の歌碑

東京都

江東区深川 法乗院 ・・・
曽我五郎足跡石

埼玉県

嵐山町 ・・・
菅谷館跡、畠山重忠の像

千葉県

八日市場市 ・・・
曽我兄弟・鬼王・団三郎の墓碑

茨城県

勝田市 ・・・
虎塚、十五郎穴

新潟県

分水町 ・・・
国上寺


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