紅葉狩絵巻

謡蹟めぐり  紅葉狩 もみじがり

ストーリー

秋も半ばの頃、戸隠山中で三、四人連れ立った美女が、宴を催して紅葉狩に興じています。そこへ、鹿狩りに来た平維茂の一行が通りかかります。維茂は興を妨げないようにと、馬から降り、道をかえて通り過ぎようとすると、美女は一樹一河の縁であるからと維茂の袂を引き、酒宴の仲間入りを勧めます。維茂は断りかね、勧めに応じて盃を重ね、美女の舞に見とれます。そのうち維茂は寝入ってしまい、女達はそれを見て「目を覚ますな」と言い捨てて山中に姿を消します。
維茂は、夢中に八幡宮の神より神剣を授かり、美女に化けていた鬼神を退治するよう神勅を受けます。そして目を覚ました維茂は、身支度をして待ちかまえます。やがて稲妻、雷とともに鬼女が現れ襲いかかって来ますが、維茂も神剣を抜いて応戦、激しい格闘の後、ついに鬼女を斬り伏せます。(「宝生の能」平成 10年12月号より)

鬼女紅葉伝説 (平19・7記)

紅葉は貞観8年(866)、平安時代中期、奥州会津の地で産まれ、幼名を「呉葉」といった。呉葉は成長し、その美しさと優れた才覚により、両親とともに上京することとなった。京の都では、名を「紅葉」と改め、源経基(つねもと)のもとに仕えた。経基の寵愛を受けた紅葉は、やがて子をもうけるが、経基の正妻に妖術を使って病にしたことが露呈し、その罪により北信濃の水無瀬の里(現在の鬼無里)に流された。

紅葉は、水無瀬の里で村人に様々なことを教え、妖術により病を治すなどしたので、やがて村人の信望を得た。その一方で、都を懐かしく思う気持ちで、内裏屋敷を構え、東京、西京、二条、五条など都にちなんだ地名をつけたり、加茂神社、春日神社等を祀った。

しかし、だんだん力を得てくるといつか都に向かいたいという気持ちが次第に強まり、次第に盗賊集団のようなものを形成するようになった。やがて、紅葉らは、戸隠の荒倉山中にある岩屋を活動の拠点とし、周囲に出向いて略奪を繰り返すようになった。その悪事は、都に聞こえ、朝廷の命により平維茂がこの地に向かった。紅葉を討伐するため、維茂は上田の別所北向き観音を訪れ、その力を授かった。北信濃のこの地は非常に地形が険しく、紅葉を探すのに難渋したが、維茂は願いを込めて一本の矢を放った。その矢が飛んだ方向に、維茂一行は向かった。

やがて、荒倉山麓へとたどり着いた維茂は、ここで酒宴をする一群と出会う。それが紅葉らであったのだが、維茂はその酒宴に加わることにした。やがて維茂は、毒酒により深い眠りに陥ってしまった。だが、これを案じた八幡菩薩の力により、一差しの刀を得て目を覚ました。力を得た維茂は、様々な難所を突破し、「龍虎が原」で鬼の姿を表した紅葉と最後の決戦に臨み、ついに紅葉を討伐した。

荒倉山、内裏屋敷跡、春日神社  長野市鬼無里、戸隠 (平19・7記)

京都からこの地に流された官女紅葉が最初に住んだのは、荒倉山の隣の鬼無里といわれ、鬼無里にはその住居跡といわれる「内裏屋敷跡」がある。
案内板によると紅葉のために村人たちが建てた屋敷跡で、東西70間、南北120間あったと伝えられている。草むらの中に「内裏屋敷跡」と記された木柱と案内板が立っているが、その後、「鬼女紅葉供養塔」も立てられ、背後には「内裏屋敷跡」と大きな丸い標識もたてられている。

鬼無里には、紅葉が都を偲んでつけたという、東京、西京、二条、五条等の地名が残っており、春日神社も紅葉が京を偲んで建てたものといわれる。加茂神社もある由だがまだ参詣していない。

荒倉山 荒倉山 長野市 鬼無里・戸隠 (平6.10)

内裏屋敷跡 内裏屋敷跡の木柱と案内板 長野市鬼無里 (平6.10)

紅葉供養塔 内裏屋敷跡に立つ鬼女紅葉の供養塔 長野市鬼無里 (平13.5)

春日神社 春日神社 長野市鬼無里 (平13.5)

紅葉の岩屋、朝(あした)ヶ原、山の神  長野市戸隠 (平19・7記)

紅葉は悪事を働くようになってから、紅葉の岩屋と呼ばれる岩窟に移った。荒倉山の山中、断崖の上に聳える巨大な岩屋である。ぽっかりあいた洞穴は不気味でいかにも鬼のすみかに似つかわしい。穴の中はかなり広く、驚いたことに大勢の謡曲の愛好者がここを訪ねて「紅葉狩」を謡ったとみえて、謡の会の名前や個人の名前を書いた札が沢山並んでいた。
鬼の岩屋から里へ出てきたあたりに「朝(あした)ケ原」という平坦地がある。飯綱山から遠くは浅間山まで見渡せる眺望のよい場所で、紅葉は朝な夕なここを散策したという。
その近くには「山の神」がある。紅葉が荒倉山にこもるに当たって、自らまつり祈願したところといい、下駄の歯の跡のついた岩や、維茂が紅葉退治の際残したという「駒の爪跡」がある。

鬼女紅葉の岩屋 紅葉の岩屋 長野市戸隠 (平6.10)

岩屋内部 紅葉の岩屋内の奉謡の札 長野市戸隠 (平6.10)

朝ヶ原 朝(あした)ヶ原 長野市戸隠 (平6.10)

山の神 山の神 長野市戸隠 (平6.10)

将軍塚、安楽寺 上田市別所温泉 (平19・7記)

紅葉を攻め滅ぼした武将の名は平維茂である。維茂は平安末期の武将、鬼女紅葉を退治した功により信濃守に任ぜられた。上田市の別所温泉は維茂の別邸の地で将軍塚と呼ばれる維茂の供養塔があり、安楽寺も維茂の創建とも言われている。

将軍塚 将軍塚 上田市別所温泉 (平6.10)

安楽寺 安楽寺 上田市別所温泉 (平6.10)

柵神社 、鬼無里神社    長野市戸隠、鬼無里 (平19・7記)

維茂は鬼女紅葉退治に出発したが、この地方の地理に明るくなく、紅葉の本拠を探しあぐね、弓矢によって占おうと見晴らしのよい場所に立ち、八幡大菩薩を念じて二本の矢を天に向かって放った。二本の矢は西北の方角に飛び、裾花川を越えてはるか志賀垣の里に落ちた。今この矢の落ちた所に矢先八幡(柵神社)がある。  また、鬼無里神社は維茂が戦勝を祈願したところと伝える。

柵神社 柵神社(矢先八幡) 長野市戸隠 (平6.10)

鬼無里神社 鬼無里神社 長野市鬼無里 (平6.10)

木戸、毒(ぶす)の平、能舞台    長野市戸隠 (平19・7記)

維茂はいよいよ軍勢をととのえて進発した。最初の激戦地は毒の平へ入る急傾斜地、木戸のあたり。上木戸・下木戸とあり嶮しい地形を利用し、木戸を置いて紅葉軍が守りを固めた場所といわれ、攻める側も守る側も入り乱れて戦ったところである。
木戸を突破した維茂軍は勢いを得て更に進撃、そして毒(ぶす)の平で紅葉は維茂軍に討たれたという。
現在この毒の平の地には能楽堂が建てられており、その鏡板には通常松の絵が描かれているが、ここの鏡板には松のかわりに紅葉が描かれている由。

木戸 木戸 両軍の激戦地 長野市戸隠 (平6.10)

毒平 毒(ぶす)の平  紅葉の討たれた所 長野市戸隠 (平6.10)

荒倉能舞台 能舞台 長野市戸隠毒の平 (平6.10)

鬼の塚     長野市戸隠 (平19・7記)

勝利をおさめた維茂は紅葉の遺体を、志垣の里は矢先八幡の近くの小高い丘に埋葬し、五輪の塔を建てて供養した。今ここには「鬼の塚」と呼ばれる立派な五輪の塔と傍らにはその家来の多数の塔が立っている。

鬼の塚1 鬼の塚(紅葉の墓) 長野市戸隠 (平6.10)

鬼の塚2 家来たちの墓 長野市戸隠 (平6.10)

大昌寺     長野市戸隠 (平19・7記)

鬼女紅葉伝説にちなんだ曹洞宗の名刹で、本堂には紅葉と維茂をひとつに祀った位牌が安置され、また狩野派の絵師、三村養益 による伝説鬼女紅葉の図が掲げられている。

大昌寺 大昌寺 長野市戸隠 (平6.10)

紅葉狩絵巻 鬼女紅葉の図 大昌寺 長野市戸隠 (平6.10)

松巌寺  長野市鬼無里 (平19・7記)

鬼女紅葉の守護仏といわれる地蔵尊をまつっている鬼女紅葉ゆかりの寺で、本堂には紅葉観音が祀られ、境内には「鬼女紅葉の墓」および「鬼女紅葉家臣の墓」がある。

松巌寺 松巌寺 長野市鬼無里 (平13.5)

紅葉観音 紅葉観音 松巌寺 (平16.5)

鬼女紅葉の岩屋 鬼女紅葉の墓 松巌寺 (平13.5)

家臣の墓 鬼女紅葉家臣の墓 松巌寺 (平13.5)


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