清水寺

謡蹟めぐり  東岸居士 とうがんこじ

ストーリー

都見物の旅人が、清水寺に参ろうとした途中、白河のほとりで東岸居士に出会ったので、今日はいかなる説法をするかと尋ねたところ、居士は万事全て目に見るままであるから「柳は緑、花は紅」と仏の教えにある通りであると答えます。
更に旅人が目前の橋を指して誰が架けたのかを問えば、先師自然居士が仏縁の無い衆生のために寄進させて渡されたのである、それで私もこうして勧進して歩くのだと言います。また居士は、自分は本来空にして住む家がないので、出家ということもない、それだからこそ髪も剃らず、法衣もつけないでいる、どうぞあなたも悟りの境地に至りなさいと、勧進に加わるようすすめます。
そして居士は、旅人に面白く歌って聞かせ給えと請われるままに、快く舞い、更にまた羯鼓を打って見せ、舞を舞って悟るも、法を聞いて悟るも、帰するところは皆同じと説くのでした。(「宝生の能」平成10年2月号より)

清水寺  京都市東山区清水  (平19・2記)

ワキは清水寺を参詣しようとして、途中白川のほとりで東岸居士に出会う。清水寺の写真は「田村」の項にも掲げたが、ここには昨年11月参詣した時のものを掲げてみる。

清水寺 清水寺 京都市   (平18.11)

白川 大津市、京都市 (平19・2記)

白川は比叡山から如意ケ岳にかけての東山北部の谷から水を集め、 北白川で京都盆地に顔を出し、南行して岡崎へと流れ、祇園の地で鴨川に注ぐ川である。
途中、銀閣寺付近から白川通りに沿うように流れ、南禅寺付近で琵琶湖疎水の本流と合流する。
しかし、 間もなく岡崎の平安神宮前(国立近代美術館前)で琵琶湖疎水と分岐し、南に折れて三条通りを横切り、昔ながらの建物が多く残る繁華街・祇園を流れ、 四条大橋の北側で、鴨川に合流する。

東岸居士の墓碑 名古屋市西区 (平19・3記)

インターネットで調べたら名古屋市西区南堀越に、東岸居士の墓碑があり、「イボ神様」として有名とのこと。すぐ近くに私の弟が住んでいるので写真を撮って送ってもらった。「東岸公民館」がありその敷地内にあるとのこと。「東岸居士の幟」も沢山立てられ、「東岸広場」もあり「東岸」の名が沢山残されている。
墓碑の立札には次のように記されている。
「 東岸居士の墓碑  東岸居士(〜1283)、名は玄寿、東山雲居寺の説教僧。出家もせず僧衣も着用せず妻帯のまま、羯鼓を打ち竹の編木(ささら)をすり念仏踊りをしながら、馬で諸国を説法して回った。
たまたま、当地、堀越に滞在した折、往生をとげた。村人は、その徳を敬い弔ったという。今も「いぼ神様」として人々の信仰をあつめている。毎年八月十三日に盆供養が行われている。
「尾張志」等によれば、東岸の像が近くの宝琳寺にあったという。この墓碑は、以前、東レ(株)愛知工場の中にあったのを移したものである。名古屋市教育委員会  」

東岸居士墓碑 東岸居士墓碑 名古屋市中区南堀越 (平19.3)

東岸公民館 東岸公民館と東岸居士の幟 (平19.3)

東岸広場 東岸広場 (平19.3) 3枚共高橋岩雄撮影


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