物見の松跡

謡蹟めぐり  熊坂 くまさか

ストーリー

都の僧が東国修行に行く途中、美濃国赤坂で一人の僧に呼び止められます。そして、今日はさる者の命日なので回向をしてくれと、その僧の庵室に導かれます。見ると、その庵には仏像もなく、大薙刀や武具が並べられています。不思議に思って尋ねると、この辺は山賊夜盗が出没するので、通行人の危難を救うための用意だと答え、寝所へ去ります。
旅僧は、草庵が消えて松陰の草むらに座しているのに気がつきます。丁度来合わせた土地の人から、この地で果てた盗賊の頭の熊坂長範の話を聞き、先程の僧が熊坂の幽霊であったと気付きます。旅僧が弔っていると薙刀をかついだ長範の亡霊が現れ、黄金商人三条吉次信高一行を襲った時の有様を再現します。そして長刀で牛若丸と渡り合った末討たれた次第を物語り、その跡を弔ってほしいと願い、松陰に隠れるように消え失せます。(「宝生の能」平成13年10月号より)

赤坂の宿、赤坂港跡  大垣市赤坂   (平成7・9記)

平成4年の謡曲名所めぐりの折、バスで通っただけでゆっくり見学する時間のなかったのは残念であるが、それでも赤坂宿とか赤坂港跡などの文字を見つけたのは嬉しかった。

赤坂港碑 赤坂港跡の碑 大垣市赤坂 (平4.5) 本曲の舞台は美濃国赤坂である

赤坂の宿 赤坂の宿 大垣市赤坂 (平4.5) 「史跡 中山道 赤坂宿」の看板がかかる

熊坂物見の松跡  大垣市青野     (平成7・9記)

本曲の主人公、熊坂がめぼしい旅人を物色するため様子をうかがっていたという「物見の松」といわれる一本の高い松がここにあった由であるが、私たちが訪ねた時はすでに切り倒されてその跡が残っているのみであった。同じ場所に竹内宿弥の墓があり、付近は垂井町指定の「史跡綾戸古墳」となっている。

物見の松跡 熊坂物見の松跡 大垣市青野 (平4.5) 切り倒された松の跡が残るのみである

熊坂物見の松跡碑と熊坂大仏 福井県金津町熊坂 (平成14・3記)

インターネットのホームページで知ったところである。平成13年8月、福井における教授嘱託会の全国大会に出席した帰途訪ねてみた。タクシーで金津町熊坂の部落に入ったが簡単に見つからぬのり、土地の人に訪ねたところその方が丁度「熊坂大仏」のある真ん前の家に住んでいる方で、大仏まで案内してくれ大仏の説明をしてくれた。残念ながら建物の中に安置されている大仏はよく見えず、写真を撮ることも出来なかった。その方はかなり離れてところにある「熊坂物見の松跡」の碑のある所まで案内してくれた。たんぼの中に碑が立つのみであるが、かってここには大きな松の木があり、熊坂長範はこの大木に登り、北陸街道と金津街道を睨んで往来する旅人をうかがっていたという。
この松は江戸時代の嘉永5年(1852)に枯れたので、村人はその幹で仏像を作ったのが熊坂大仏とのことである。

熊坂長範物見松跡 熊坂物見の松跡碑 福井県金津町熊坂 (平13.8) ここに大きな松があり長範は旅人を見張っていた

熊坂大仏 熊坂大仏 福井県金津町熊坂 (平13.8) 物見の松が枯れたのでその幹でこの大仏を作った

熊坂長範屋敷 加賀市熊坂           (平成14・3記)

ここもインターネットで知った。金津町熊坂に隣接して加賀市にも熊坂がある。国道8号線の加賀ICあたりに、「熊坂長範生誕地」と書かれた大きな立て看板が立っており、そこに熊坂長範屋敷がある。長範とその一党の砦を模したもので入口に大きな長範の像があり、資料が沢山展示されている。
案内板の説明によると長範はこの地に生まれた。鼠小僧次郎吉、石川五右衛門と並び称される盗賊で、北陸通を往来する旅人を襲っていたが、次第に勢力を拡げ配下七十余人を率いる盗賊団の首領となって美濃、近江、若桜から京、大阪あたりまで出向き盗みを働くようになった。もともと長範は貧しい民、百姓を救おうと荘園主や豪族を襲ったが、大盗賊となった後も全国津々浦々より集めた財宝をもって貧者を助け、弱きを救うことを忘れなかった。この地では長範は義賊であり、英雄として、人々はこれを祀り、今なお願望成就を祈願する姿が後をたたないという。

熊坂屋敷 熊坂屋敷 加賀市熊坂 (平13.8) 熊坂長範はこの地で生まれたという


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