縁起絵巻

謡蹟めぐり  道成寺 どうじょうじ

ストーリー

紀伊国道成寺では故あってひさしく撞鐘がありませんでしたが、この度撞鐘が再興されることになり、本堂で厳粛な鐘の供養が営まれている最中、一人の白拍子が現れます。能力の女人禁制だからと咎めると、供養のため舞を舞って供えたいと頼むので、能力は許します。
白拍子が拍子を踏み始めると僧たちは眠りを催し、その隙に白拍子は鐘に近づき、この鐘怨めしやとて竜頭に手をかけて鐘を引き下ろし、その中に跳び入ります。
昔この所に一人の娘がいて、さる山伏に恋い焦がれ、山伏の逃げるのを追いかけ、山伏はこの寺の鐘の中に隠れました。娘は執心のあまり大蛇となって追いすがり、鐘に巻きつくと遂に鐘は溶けて、山伏もろとも消えてしまいます。先の白拍子はその娘の怨霊であろうと、住僧たちが鐘に向かって祈ると、鐘は再び上がれ、鬼女が現れ、僧に挑みかかりますが、祈祷の力に負けて逃げ去って行きます。(「宝生の能」平成13年5月号より)

道成寺  和歌山県河辺町鐘巻  (平9・9記)

本曲の舞台、道成寺は和歌山県御坊市近くの川辺町にある。
寺の正面には朱塗りの仁王門と62段の石段がある。本曲の乱拍子はこの62段の石段をのぼることを現わしたものといわれる。境内には安珍が鐘もろともに焼かれた鐘巻の跡、溶けた鐘と安珍の亡骸を埋めた安珍塚、更には再興鐘楼の跡として4本の柱の跡が残されている。鐘楼跡の立て札には次のように記されている。

「 安珍清姫のことありて後四百年を経て正平拾四年春、源満寿丸寄進の鐘めでたく成就、その鐘供養に際して清姫の怨霊が白拍子と現じて舞を奉納するとて法会を妨害せりと云う。能楽道成寺をはじめ諸々の道成寺芸術は之を扱うなり。その鐘は今京都妙満寺に有り 」

道成寺に再興鐘楼跡があって鐘がなく、その鐘が京都の妙満寺(左京区岩倉幡枝町)にあるのには次のような事情があるとのこと。
鐘は無事鐘楼に引き上げられたが、その鐘は破れた音しか出ず、その上病人は出る、災害は起こるという訳で、この鐘は山林に捨てられた。200年余の後、豊臣秀吉の根来攻めの時、家臣の千石権兵衛が陣鐘に使い、再び行方が判らなくなったのを、後に発見され京都の妙満寺に奉納されたというのである。妙満寺はもと中京区にあったが現在は左京区に移っているとのことである。残念ながらまだ訪ねていない。

道成寺 道成寺 和歌山県川辺町 (平6.5)

道成寺仁王門 仁王門と62段の石段 (平6.5)

鐘巻の跡 鐘巻きの跡 (平6.5)

安珍塚 安珍塚 (平6.5)

再興鐘楼趾 再興鐘楼の跡 (平6.5)

道成寺には道成寺縁起絵巻が備えてあり、お寺の住職さんが面白おかしく解説してくれる。8枚の絵はがきになっているので、その1枚を掲げてみる。
最後の絵巻では、「安珍も清姫もともに蛇道におちたと訴えをきいた道成寺では法華経の供養を施した。その功徳で安珍と清姫は、めでたく天国に結ばれたと、住持に告げてハッピーエンド。熊野権現が安珍、道成寺観音が清姫と現れて、世を誡めたのだ。めでたし!」と記している。

縁起絵巻 道成寺縁起絵巻絵はがき (その7) 安珍の匿れた「鐘」を巻いて竜頭をくわえて尾をもって叩くこと三ときあまり・・

なお、この寺の妻宝極楽の偈に興味をおぼえたので掲げさせていただく。

「 親に孝行
  子に慈愛
  妻宝極楽
  一家繁栄  」

「 主婦は家庭の柱なり
  妻君を家の宝と心して親愛し
  吾妻こそ日本一なりと
  大切になし給えば
  家門の繁栄疑なく
  極楽は西方の遠きのみならず
  家庭即ち妻宝極楽の
  浄土となりぬべし   」

  道成寺管主 小野宏海識 

妻宝極楽偈 妻宝極楽の色紙

佐渡「能楽の里」 ロボットによる能「道成寺」を観る
            新潟県両津市大字あがた  (平9・9記)

佐渡には現存する能舞台が36あるといわれるが、その中でも最も有名なのは本間家能舞台と思う。その本間家能舞台のすぐ前に「佐渡能楽の里」なる新名所が本年4月オープンとなった。能楽舘、能楽資料館、展望大食堂、佐渡物産館等を収容する立派な施設であるが、ここでの最大の見ものは、等身大のロボットによる「道成寺」演能であろう。
鐘まで用意された立派な舞台の上で、人間そっくりのシテ、ワキ、囃子方、地謡のロボットの皆さんが、謡を謡い鼓や笛を奏し、舞を舞うのである。私たち謡曲に親しんでいる者だけでなく、一般の方も充分楽しめるのではないかと思われた。
このほか、入口には巨大な「翁」の能面を掛け、展示室には富士山を背景にした「羽衣」のシテさんや、薄の生い茂る井戸に自分の姿を映す「井筒」のシテさんの大きな作りものを配置するなど、さまざまな趣向がこらされており、まさに「能楽の里」にふさわしい施設となっている。
このほか佐渡には真野町に「佐渡歴史伝説館」があり、ここにもハイテクロボットにより、日蓮、世阿弥、「檀風」の阿新丸など謡曲関係の物語を再現しており、佐渡各地にある本物の謡蹟とともに私どもの目を楽しませてくれる。

能楽の里 佐渡能楽の里 (平9.5)

道成寺ロボット ロボットによる道成寺演能 (平9.5)

安珍堂  白河市根田   (平19・3記)

平成14年、教授嘱託会の謡曲名所めぐりの際訪ねたので概略を紹介する。

安珍堂

安珍堂は道成寺の伝説で名高い安珍の座像を祀っている。この座像は、和歌山県道成寺に所蔵されていたが、道成寺の好意によって、昭和60年東北新幹線上野駅乗入れを記念し、安珍生誕の地根田に里帰りしたもの。安珍堂は市民の浄財によって建立され、手厚く供養されている。
この地に伝わる安珍伝説では、「醍醐天皇の延長6年(928)山伏安珍(19才・・清姫の里の伝説では16才)は、熊野詣の途中和歌山県御坊の真砂(まなご)の庄司の家に宿泊し、その家の娘清姫に恋慕されたが、安珍は幼女の気まぐれと考えて、末の契りに答えてしまう。後にこれが偽りと知った清姫は、激怒のあまりに蛇身と化して安珍を追い、道成寺の鐘の中に逃げ込んだ安珍を、恨みの火焔で焼死させた。」となっている。

安珍唄念仏踊り(白河市無形民俗文化財)

毎年3月27日の「安珍忌」には、大勢の土地の人々が集まり、安珍堂前で安珍の冥福を祈り、歌と踊りで供養するという。
踊りは根田に数百年伝わるもので、鉦、太鼓を打ち鳴らして扇をもって舞う。もとは豊作祈願の念仏舞踊で、農耕の慰労を兼ねた大衆健全和楽だったもの。
歌舞伎などで知られる娘道成寺の物語を美しく歌い込んだもので「白河根田安珍唄念仏踊り」として知られる。昭和32年日比谷公会堂の「全日本民謡舞踊コンクール大会」で優秀賞に輝き、昭和41年白河市無形民俗文化財の指定を受けた。最近は、昨年の「ふくしま未来博」に出演したほか、各地の催しやコンクールなどに出演しているという。
今回私達の安珍堂参りを歓迎して、「根田安珍唄念仏踊保存会」のメンバー20人余りの人達が、安珍堂前でこの踊りを披露してくれた。

安珍の墓

安珍堂から数百米離れた所に安珍の墓がある由だが、バスが入れないので割愛された。

安珍生誕地碑 安珍生誕之地碑 (平14.5)

安珍堂 安珍堂  (平14.5)

念仏踊り 安珍唄念仏踊り   (平14.5)


−ニュース−

曲目一覧

サイトMENU

Copyright (C) 謡蹟めぐり All Rights Reserved.