衣掛けの杉

謡蹟めぐり  三輪 みわ

ストーリー

大和国三輪山の麓に庵室をかまえている玄賓僧都のもとへ、毎日樒と閼伽の水を持って来る女があります。一度素姓を尋ねてみようと玄賓が待っていると、やがて女は訪れ、秋の夜寒をしのぐ衣を賜り給えと請います。玄賓が快く衣を与え、その住居を問うと、女は「我が庵は三輪の山本恋しくは訪い来ませ杉立てる門」の古歌をひき、杉立てる門を目印においでなさいと言い残して姿を消します。
玄賓が女の言葉を頼りに草庵を出て、三輪明神の近くまで来ると、不思議なことに二本の杉に先程女に与えた衣が掛かっており、その裾に一首の歌が書いてあります。それを読んでいると、杉の木陰から御声がして、女姿の三輪明神が現れます。そして和歌の徳を讃え、三輪山の杉にまつわる昔話を聞かせ、天照大神の岩戸隠れの神話を物語り、神楽を奏しますが、夜明けと共に消え行きます。(「宝生の能」平成9年10月号より)

大神神社 桜井市三輪 (平5・2記)

平成元年5月、教授嘱託会の謡曲名所めぐり大和路の旅に参加し大神神社を参詣する機会を得た。
日本最古の神社で、三輪山そのものを神体としてまつるため、神殿はなく拝殿しかない。拝殿の前には衣掛けの杉があり、謡曲三輪に知られる玄賓僧都の衣を掛けられた神木であると記されている。周囲十メートルもある大木であるが、現在は根の部分のみが残され、屋根をかけられて保存されている。この杉はもともと拝殿右にあったが、安政4年7月24日夜、落雷にあって途中でボキリと折れ、高さ一丈の幹と根は残ったという。それも明治37年に腐朽して倒れた。神木とあって根株を堀り、現在の形で保存しているとのこと。

三輪山と鳥井 三輪山と三輪明神の鳥居 桜井市三輪 (平8.9)

大神神社 大神神社 桜井市三輪 (平8.9)

衣掛けの杉 衣掛けの杉  大神神社 (平8.9)

参拝の後拝殿の前で記念撮影し、すぐ次の目的地の淡山神社に向かったので、玄賓庵を訪ねたり、有名な「山の辺の道」を散策する余裕はなかった。

(補足) 平成11年3月記

 平成8年9月、念願の「山の辺の道」を散策、古代の神話や歴史の一端に触れるとともに、名所めぐりの時には訪ねることが出来なかった「玄賓庵」、三輪大神神社の摂社「檜原神社」、三輪神社の周辺などを訪ねることが出来た。

山の辺の道、玄賓庵、檜原神社

大和盆地が低湿地であった古代において、東方の三輪山、巻向山、竜王山の山並の麓に沿って、三輪から奈良に至る大和では最も古い交通路、これが「山の辺の道」である。
私は自転車を借りて、天理市の石上神宮から桜井市三輪の大神神社までの山の辺の道を散策したが、自然の景観もさることながら、その中に点在する古墳や御陵、神社やお寺、それに桜井市が建立したという40有余の有名人の書になる万葉歌碑等に大きな感銘を受けた。もっと時間をかけて、この地に伝わる神話や伝説を味わい、大和三山や二上山、葛城山、金剛山を眺め、私の好きな万葉歌碑などを巡ってみたいものである。

  ワキの玄賓僧都は、平安時代の初めに南都第一の碩学とうたわれたが、世俗を厭い、晩年は三輪に近い檜原谷に玄賓庵を建て隠棲した。現在檜原神社のあるあたりでもあろうか。三輪の大神神社から檜原神社までは直線距離でも1.2キロほどある。現在は「山の辺の道」として整備されているが、当時は道もない寂しい所だったに違いない。
曲中に「三輪の山本道もなし、檜原の奥を尋ねん」とある。シテは女の身でありながら道もない遠く、寂しい山中を通いつめたのである。当時の玄賓庵での僧都の暮らしは曲中に
 「 山頭には夜孤輪の月を戴き、洞口には朝一片の雲を吐く、
   山田もる僧都の身こそ悲しけれ、秋果てぬれば、訪ふ人もなし」
と謡われるように、夜は山の頂に月が照り、朝は岩穴からちぎれ雲を吐くような所で、秋も終れば用のない山田の案山子のように、訪ねる人もない悲しい身であった。
玄賓庵は明治時代に現在の所に移された。檜原神社から300メートルほど大神神社に寄った所である。ささやかな門をくぐると、檜原谷から移築された旧玄賓庵と、新しく建てられた玄賓庵がある。

旧玄賓庵 旧玄賓庵  桜井市茅原 (平8.9)

玄賓庵 玄賓庵本堂  桜井市茅原 (平8.9)

旧玄賓庵のあった檜原谷には檜原神社があるが、この神社は大神神社の摂社(本社に付属し本社に縁故の深い神を祀った神社)であり、三輪山につらなる檜原山をご神体とし、天照大神を祀る。
現在伊勢にある皇大神宮の起源は、崇神天皇六年に宮中に祀られていた神鏡を、皇女豊鍬(とよすき)入姫をして大和の笠縫邑(かさぬいむら)に祀らせたのがその始めで、姫は大神に奉仕し、これが斎宮の始まりという。後年の垂仁天皇二十六年に皇女倭姫が五十鈴川上流の今の場所に宮居を定めたのが伊勢皇大神宮の始まりである。笠縫邑(かさぬいむら)の社は檜原神社として大御神をひきつづきお祀りしてきている由。この神社が「元伊勢」といわれる所以である。
本曲の最後にも
  「思へば伊勢と三輪の神、一体分身の御事今更なにと磐座や・・」
と謡われているが、その意味が少しはわかってきたような気もする。

檜原神社 檜原神社  桜井市三輪 (平8.9)

しるしの杉、おだまき杉、おだまき塚

本曲クセの部分で「三輪」の名の由来が語られる。
「 大和の国に永年住む夫婦が、ある夜の睦言に女が夫に夜でなければ通ってこないのは不審であると問うと、夫は晝は恥ずかしい姿が見えてしまうだろう、これからは来るまいとしみじみ語った。女はさすがに別れを悲しみ、帰る所を知ろうと苧環おだまき(つむいだ麻糸を中が空洞になるように円く巻いたもの)の糸に針をつけ裾に綴じて跡を慕って行った。長い糸を手繰って行くと山の麓の社の杉の下枝に止まっている。何と浅ましいことだ、これが契った人の姿であったかと驚いたのであった。残った糸が三わげ(三巻き)だったので三輪のしるしの杉というようになった。 」

このしるしの杉が大神神社の境内にあり、近くの若宮社にはおだまき杉もある。また苧環おだまきを三輪残った糸とともに埋めたというおだまき塚が、一の鳥居近くにあるというので探してみたが、なかなか見付からずかなり離れた中箸あたりでようやく見付けることが出来た。

しるしの杉 しるしの杉 大神神社境内 (平8.9)

おだまき杉 おだまき杉  桜井市馬場 若宮社 (平8.9)

おだまき塚 おだまき塚  桜井市中箸 (平8.9)


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