呉服神社

謡蹟めぐり  呉服 くれは

ストーリー

時の帝に仕える臣下が、摂津の国住吉に参詣し、更に浦伝いに西宮に向かおうとして呉服の里を通りかかったところ、一人は機を織り、一人は糸を引いている二人の女があります。その様は常に里人とも見えないので不審に思って尋ねると、応神天皇の御代に、立派な御衣を織りそめた呉服織、あやはどりという二人の女で、今まためでたき御代を迎えて、再びここに現れ来たのだと答えます。そしてここを呉服の里と呼ぶのも、我等がこの所に住んでいた故であるといい、更に綾織の由来を説き、応神天皇の御代に、呉国の勅使が、綾女糸女の二人を伴れて日本に渡り哀龍の御衣を織って帝に奉った事などを語り、夜明けを待つようにといって姿を消します。やがて臣下が松陰に旅寝して奇特を待っているところに呉服の霊が現れ出で、めでたき君の御代を寿ぎ、綾を織り、舞を舞って帝に捧げ、喜びをなして終わります。(「宝生の能」平成12年11月号より)

呉服神社 大阪府池田市     (平14・4記)

本曲の舞台呉服の里とは現在の大阪府池田市である。
日本書紀には応神天皇のころ、呉の国から織物の技術を伝えるため呉織(くれはとり)、穴織(あやはとり)らの縫工姫(きぬぬひめ)が摂津の国、武庫の津に着いたという記述がある。池田市に伝わる織姫伝説では、この後二人が猪名川を上がって猪名の港(唐船が渕)に着き、同地に織物の技術を伝えたとされている。呉織は139歳まで生き、その遺体を納めたとされる姫宮の跡が現在の呉服神社であるという。

呉服神社 呉服神社 大阪府池田市 (平12.8) 応神天皇と呉織を祀る

姫宮 姫宮 呉服神社 (平12.8) 呉織の墓という

伊居田神社 大阪府池田市     (平14・4記)

伊居田神社は正式の名を穴織宮(あやはみや)伊居田(いけだ)神社といい、呉服神社の妹宮で、応神・仁徳二帝と穴織を祀る。境内には穴織の墓の姫宮(梅宮ともいう)がある由であるが、残念ながら見付からなかった。
同じ池田市の建石町にある星の宮は穴織が暗夜に機を織った時、星が降りて白昼のように照らした星の御門の跡という。
また池田市西本町にある寿命寺は、呉織、穴織とともに渡来して唐船が渕に沈んでいた薬師如来を、行基が引き揚げ安置した寺という。

伊居田神社 伊居田神社 池田市 (平12.8) 応神・仁徳両帝と穴織を祀る

星の宮 星の宮 池田市 (平12.8) 穴織が暗夜に機を織った時星が降り照らした

寿命寺 寿命寺 池田市 (平12.8) 渡来時に沈んだ薬師如来を引き揚げ安置


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