土蜘塚

謡蹟めぐり  土蜘 つちぐも

ストーリー

源の頼光は、このところずっと病床にあります。侍女の胡蝶が、典薬頭(てんにゃくのかみ)からの薬を持って見舞に来て心から慰めますが、頼光は、今はただ死期を待つのみと悲哀に沈んでいます。
その夜も更けた頃、誰ともわからない僧形の者が頼光の枕辺に忍び寄ってきて声をかけます。そして、汝の悩むのは我が仕業なりと言って、蜘蛛の本性を現し、千筋の糸を投げかけます。頼光は、枕辺の膝丸の名刀を抜いて化生の者を切りつけ、追い払います。
物音に驚いて駆けつけた警固の独武者(ひとりむしゃ)は、頼光の話を聞き、化生の者を退治すべく出かけます。数人の従者を連れて、おびただしく流れている血の跡をたどり、とうとう土蜘蛛の古塚をつきとめます。一同力を合わせ、その塚を突き崩すと中から土蜘蛛が現れます。そして、糸を繰り出して武者達を苦しめますが、遂に斬り伏せられます。(「宝生の能」平成10年1月号より)

一言主神社「土蜘の塚」 奈良県御所市森脇   (平4・8記)

平成元年5月、教授嘱託会の謡曲名所めぐり「大和路の旅」に参加した折、奈良県御所市森脇、葛城山の麓にある一言主神社を参詣した。
50段ほどの石段を上がると社殿があり、その右側に「土蜘の塚」がある。これが土蜘の胴の部分で、足の部分は200米程先の鳥居の百度石の傍らにあり、頭の部分は社殿の下になっているとのことである。
宮司さんの説明によれば、当社は第21代雄略天皇が狩をされた時、目の前に現れて、一言を交わし合った神を奉祭したのが始まりとのことである。この神さまに一言祈れば必ず聞き届けてくれるとの信仰があり「いちげんさん」と呼ばれて親しまれ、全国に89の末社がある由で合格祈願の絵馬が目につく。「謡がうまくなりますように」と祈ってくればよかった。

一言主神社 一言主神社 (平8.9)

土蜘塚 土蜘の塚 一言主神社 (平8.9)

北野天満宮、土蜘の塚 京都市上京区馬喰町 (平4・8記)

京都市内、北野天満宮境内の東向観音の墓地にも土蜘の塚がある。後述する頼光の邸址からも近く、頼光に斬られた土蜘もこのあたりまでならなんとか逃げてこられたようにも思う。
小さいけれども由緒ありげな古い石塔であるが、祟りがあるため何回か移転したそうである。
北野天満宮は謡曲でも「右近」「菅原道真」にも関係ある謡蹟である。
東向観音は北野天満宮とともに開創された古寺とのことである。

北野天満宮 北野天満宮 (平5.9)

東向観音 東向観音 (平5.9)

土蜘塚北野 土蜘の塚 (平5.9)

頼光関係の謡蹟

頼光は 謡曲「満仲」に出てくる多田満仲の長男である。多田源氏発祥の地は現在の兵庫県川西市のあたりである。満仲は清和天王のお御孫、経基の長男で、摂津の多田に住み、多田源氏の祖となった。その系譜は次のとおりである。

                       (摂津源氏)
                      ┌ 頼光  ・・・・ 頼政
                       │(大和源氏)
            (清和源氏)(多田源氏 )  ├ 頼親
   清和天皇 ─ ○ ─ 経基 ─ 満仲 ─  ┤(河内源氏)
                      ├ 頼信 − 頼義 − 義家
                      │
                      └ 源賢(美女丸)

川西市には多田神社があり、父満仲はもちろん、頼光も弟頼信とともにここに祀られている。しかも、この多田神社を建立したのは満仲の子、美女丸(後の源賢)である。満仲と美女丸、孝寿丸のことは「満仲」に詳しいので、謡蹟としての多田神社や同じく川西市にあり、満仲、美女、孝寿丸の墓のある満願寺については「満仲」の項で触れることとする。

小童寺・頼光寺  兵庫県川西市 (平成9・5記)

小童寺はやはり美女丸の源賢の創建と伝えられるが、境内には頼光の四天王といわれた渡邊綱、坂田金時、平井保昌、卜部季猛の墓があるが、肝心の頼光の墓は見つからなかった。また、川西市に頼光寺とちう名のお寺もあるので訪ねてみたが、ここでも頼光のお墓らしいものを見出すことは出来なかった。

小童寺 小童寺 (昭和60.9)

渡辺綱の墓小童寺 渡邊綱の墓 小童寺 (昭和60.9)

四天王の墓 卜部季猛、平井保昌、坂田金時の墓(昭和60.9)

頼光寺 頼光寺 (昭和60.9)

この近くには、多田神社のほかに、「小童寺」「頼光寺」「満願寺」など、ゆかりの寺がある。「小童寺」はやはり美女丸の源賢の創建と伝えられ、境内には幸寿丸、美女丸、仲光や、渡邊綱、平井保昌の墓がある。
「満願寺」にも、美女、幸寿、仲光の供養塔があり、また坂田金時の墓もある。金時は幼名を金太郎といい、足柄山で頼光に出会い主従の契りを結ぶ。
「頼光寺」という名のお寺もあるので訪ねてみたが、頼光のお墓らしいものを見出すことは出来なかった。

若宮八幡宮  京都市北区雲林院町 (平成9・5記)

若宮八幡宮は京都における頼光の邸址といわれる。

若宮八幡 若宮八幡宮 (平6.4)

昌林寺 (頼光・四天王の墓) 西宮市津門西口町 (平19・2記)

この寺は多田清和源氏の祖といわれる多田満仲の子の美女丸が、自分の至らなさに身代わりになった藤原仲光の子の孝寿丸を弔う為に建てられたもので孝寿院昌林寺と称する。
また、美女丸の長兄に当たる源頼光が父の満仲より不動明王の尊像を授かり、源賢僧都より霊験毒酒の秘策を受け、大江山に登り酒呑童子を退治したという話も残っている。
境内に美女丸、孝寿丸、頼光、綱、保昌の墓が並んでおり、また、金時手植えの松がある。

昌林寺 昌林寺 西宮市 (平16.5)

金時手植えの松 坂田金時手植えの松 昌林寺 (平16.5)

渡辺綱の墓小童寺 渡辺綱の墓 (平16.5)

平井保昌の墓 平井保昌の墓 (平16.5)

卜部季武の墓 卜部季武の墓 (平16.5)

頼光の墓 源頼光の墓 (平16.5)

頼光松  大阪府池田市 伊居田神社  (平19・2記)

頼光一行は前述の昌林寺に寄り毒酒の秘策を授かった後、池田市の伊居田神社に参拝、祈願して植えたという頼光松の古木が境内に保存されている。

頼光松 頼光松 伊居田神社 (平12.8)

頼光鳥居 佐賀県呼子町 田島神社 (平19・2記)

この鳥居は源頼光が肥前守として都より下向の際に寄進したものという。田島神社には「俊寛」に登場する「松浦佐與姫」を祀る佐與姫神社がある。

頼光鳥居 頼光鳥居 佐賀県呼子町 田島神社 (平11.11)

金時神社 神奈川県箱根町仙石原 (平19・2記)

坂田金時の生誕地は御殿場近くの小山町の金時公園で、ここにも金時神社がある由だがまだ訪ねていない。箱根町仙石原にも金時神社があり金時を祀る。近くの金時山は金時が金太郎とよばれたころに住んでいた所という。近くに金時のマサカリという大きなマサカリが岩の上に置かれていた。

金時神社 金時神社 箱根 (平9.10)

金時のマサカリ 金時の大マサカリ 金時神社 (平9.10)


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