猩々の像台座

謡蹟めぐり  猩々 しょうじょう

ストーリー

中国のかね金山の麓に高風という親孝行者がいました。ある夜受けた夢のお告げのままに、揚子の市で酒を売ると、次第に富貴の身となりました。
さて、市ごとに高風の店にやって来ては何杯も酒を飲むが、一向に顔色の変わらない、という不思議な客がいます。名前を尋ねると海中に棲む猩々だと答えたので、今日、高風は潯陽の江(揚子江)のほとりに酒壷を置き、猩々が出て来るのを待っています。
やがて波間より猩々が現れます。月も星も光り輝き、芦の葉音や打ち寄せる波音、吹き渡る浦風の奏でる天然の秋の調べに機嫌良く猩々は舞い出します。そして高風のこの世に珍しく素直な心を賞し、又今迄の酒の返礼に、と酌めども尽きぬ不思議の酒壷を高風に与えます。更に盃を交わす内に、さすがの猩々も酔い臥してしまい・・・と、そこで高風の夢は覚めますが、猩々の酒壷は手許に残り、家も長く栄えました。(「宝生の能」平成12年12月号より)

潯陽の江  (平1・6記)

「謡曲大観」によると、本曲の舞台である潯陽の江は中国江北省九江付近の古称で、白楽天の「琵琶行」で名高い所とのことである。
   潯陽江頭 夜 客を送る  楓葉・荻花 秋 瑟瑟
から始まる616語からなる長句の歌である。
この詩は「長恨歌」とならんで、白詩の双璧といわれている。
謡曲「経政」のなかの名句「大絃な・・・小絃な・・」も、この詩の次の句から引用されている。
   大絃なそうそうとして 急雨の如く  小絃な切切として 私語の如し
楊子江の悠々たる流れ、白楽天の名詩を思い浮かべながら、酒を称える「猩々」の一節を謡いましょう。

 
(註記) 「琵琶行」について  (平8・5記)

今回、平成1年に書いた一文を読み、本題の「猩々」と直接の関係はないが、角川書店発行の山田勝美著「中国名詩鑑賞事典」を取り出し、改めて白楽天の「琵琶行」および「長恨歌」の詩を読み直して感銘を深くした。

「琵琶行」の一節は前述のように「経政」に引用されているが、「長恨歌」の一節
    天に在っては 願わくは 比翼の鳥と作らん
    地に在っては 願わくは 連理の枝と為らんと
の句も、「楊貴妃」や「班女」に引用されている。
双方の詩の原文・解釈の全文を紹介したいところであるが、あまりに長いので、「琵琶行」の出来た背景を記した著者解説のみを掲げてみる。少しでも興味を覚えたら是非原文を一読することをおすすめしたい。

「 [解説]
この詩の作られた背景は、後に引く序文に明らかである。元和十年(815)白楽天は宰相にさからったため、江州司馬に左遷された。その翌年の秋、友人の船出を溢浦口(ぽんぽこう)に見送った時、月白く風清き夕べ、舟中で琵琶をかなでる者がある。その音色は高く澄んで、都長安ぶりの調べである。その人のおいたちを聞いてみると、もとは長安の名だたる歌姫で、その昔、琵琶を穆・曹という二人の師匠に学んだが、年とともに色香も衰えたので、商人の妻として身請けされたとのこと。そこで再び酒を注文して宴を開き、快く数曲をひかせてみた。ひき終わってから、哀れな様子で、若い時代のおもしろおかしかったことを語り、それにひきかえ、今はおちぶれて田舎をさすらっている身の上であるとのこと。自分は小役人として、田舎まわりをすること二年だのに、平気で暮らしてきたが、考えてみると、浮き草稼業の左遷の身であることに気がついた。そこで長句の歌を作り、これを琵琶ひきの女に贈るしだい、すべてで六百十六語から成り、題名を「琵琶行」というと。いわば中国版の「女の一生」とでもいうべきもの。 」

「猩々」の碑  秋田県十文字町  (平8・5)

山川出版社発行の「秋田県歴史散歩」なる書物をめくっていたら、秋田県十文字駅前に「猩々の碑」があるとの記事を発見した。
「猩々」の舞台は中国は揚子江のほとり、潯陽の江で日本にその謡蹟がある筈はないと思っていただけに珍しいことと思い、秋田県に小野小町の謡蹟を訪ねた際に足をのばしてみた。駅前にあるのですぐ見付かった。

案内板には次のように記されている。
「        猩々の道標
むかし、この辺一帯は狐や狸の住む十五野という広い野原であったので、今の国道13号線に増田浅舞線の交わった十字路で雪の降る日や酒に酔った人など、道に迷うものが少なくなかった。
増田町通覚寺14世住職天瑞師、この十字路(丹尾旅館前)に自分で彫った石像に
   猩々の左はゆざわ 右よこて うしろはますだ まえはあさまい
と戯歌を刻んで文化8年(1811)に建て、それからは道に迷う者もなくなったとのことである。
台座の文字は天瑞師が自ら刻んだ木版を拡大したもので、原石像とともに現在も保管されている。
      1961年9月   十文字地方史研究会   」

なかなか立派な猩々の碑であり、能舞台の猩々を思わせる像と酒壷があり、酒壷には上記の道標の文字が刻まれている。また、天瑞師自ら刻んだという台座の文字がなかなか読みにくいが、名文のようである。一字一字拾って読もうとするがなかなか難しい。断念するのも残念なので秋田県十文字役場に電話をかけ、教育委員会の土井さんという方に教えていただきながら、ようやく次のとおりにまとめることが出来た。

 「 西は湯沢千躰仏迄一里千百間余  東は横手かぢ町塚まで二里千六百間余

                   猩々の左はゆざわ 右よこて
   猩々の像    酒壷の絵 
                   うしろはますだ まえはあさまい

   南は増田御札迄千四百五十間余  北は浅舞十王堂迄二千九百間余
 
この猩々の酒を楽しむや止まる時は操巵動則提壷無思無慮陶々としてたのしむ、酔て妄念更になく縷々たる至誠の心起れば万善の感ずる所清浄ならずといふ事なし、心すなをなるにより此壷にいづみをたたへさづくる人多ければ常に心清浄なるに依て和語にしゃうじゃうと名付くものならんか、今この酒をたのしむ人此猩々の如くならんず、下心もちたまうべし
     文化八のとし         東流山叟 誌
         平鹿郡増田十文字         追分也  」

酒どころの秋田にこのような猩々の碑を発見、心あたたまる思いである。

猩々の像 「猩々」の碑 秋田県十文字町 (平6.8)

猩々の像台座 「猩々」の碑 台座の碑文 (平6.8)

書籍とインターネットで探る「猩々」謡蹟 (平19・2記)

小倉正久著「謡曲紀行」白竜社刊

潯陽は九江の古名。江西省九江市附近を流れている大河は長江。昔は上海から長江を遡る船便が停泊する港町で賑わった。白楽天の「琵琶行」で賑わった。白楽天の「琵琶行」の詩で有名な甘棠湖(かんどうこ)・烟水亭(えんすいてい)が近い。長江の河岸には古い潯陽楼という三階建の楼閣がある。楼上からの長江の眺めは雄大で、白居易、蘇東坡らが詩に詠んだ。九江のメインストリートを潯陽路という。

インターネット

「猩々」「潯陽」などで検索してみたが、謡蹟に関するものを発見出来なかった。


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