亀池

謡蹟めぐり  弱法師 よろぼし

ストーリー

河内の国高安の里に住む左衛門通俊は、ある者の讒言を信じて、わが子の俊徳丸を追放しましたが、それを後悔してある年の二月、功徳のため天王寺で七日間の施行を営みました。彼岸の中日、そこに弱法師と呼ばれる盲目の青年が施行を受けようと、杖にすがり我が身の不運を嘆きながらたどり着きます。
通俊は、この若い盲人を見て、汝も施行を受けよと施物を与えましたが、この時散りかかって来た梅の花も弱法師の袖に留まったので、通俊はこれも施行であると言えば、弱法師は乞食の身ながら梅の匂いに気持ちを通わす清純な心の持主で、天王寺の来歴などを語ります。日暮れになると、弱法師は入り日の方角の西方浄土を拝み、難波の浦の美しい景色の数々を心眼に受けとめて悟りきった様子です。
通俊はこの弱法師こそが、忘れ得ぬわが子と気づき、父と名乗り、俊徳丸の手をとって故郷へ帰るのでした。(「宝生の能」平成12年2月号より)

四天王寺 大阪市天王寺区   (平12・4記)

舞台は大阪の四天王寺で、天王寺とも言われる。
曲中に「仏法最初の天王寺の石の鳥居ここなれや・・」と謡われるように、石の鳥居があり、その傍らには「大日本仏法最初四天王寺」と書かれた碑が建っている。また鳥居の中央に高さ1.5m、横1.1mの鋳銅製箕型の扁額があり、「釈迦如来転法綸所当極楽土東門中心」と浮彫風に鋳出している。
このように天王寺の西大門は昔から極楽の東門と信ぜられ、昔はこの門前が波打際だったことから夕陽が西の海に入るのを見て浄土を偲ぶ信仰があった。彼岸の中日には太陽が真西(極楽の方角)へ落ちるので、天王寺の西門で落日を拝む風習が中世で盛んだった。これが本曲で言う「日想観」である。
また「萬代にすめる亀井の水までも・・」と謡われるように境内には亀池があって、沢山の亀が甲羅を干していた。

四天王寺 四天王寺 大阪市天王寺区 (平2.6)

天王寺石の鳥居 石の鳥居 四天王寺 (平2.6)

西門石の鳥居 西門石の鳥居の落日 四天王寺 絵はがきより
春秋の彼岸の中日には太陽がこの門の真ん中に落ちるので、落日を拝む日想観が行われる。

亀池 亀池の亀 四天王寺 (平2.6)

聖徳太子関係謡蹟    (平19.8記)

「これによって上宮太子、国家を改め万民を教え、仏法流布の世となりて普く恵みを弘め給ふ、其の後当寺を御建立あって・・」と謡われる上宮太子は聖徳太子のことであり、この四天王寺を建立された。
聖徳太子は敏達天皇3年(574)、用明天皇の第一皇子として生誕、厩戸の皇子と呼ばれた。生誕地は明日香村の橘寺である。当時崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の対立が激しく、遂に両氏の間に戦端が開かれ、用明天皇2年(587)蘇我馬子は物部守屋を攻め滅ぼした。この過程で蘇我側の太子も苦戦を強いられ、加古川市にある円長寺は守屋に追われた太子が隠れた場所と伝えられる。
太子はその後推古女帝の摂政となり、蘇我氏と結んで憲法十七条を制定した。

橘寺 橘寺 奈良県明日香村 (平8.9)

円長寺 円長寺 加古川市 (平7.9)

聖徳太子は多くの寺院を建立したが、そのうち私の訪ねた所を紹介する。

最も有名なのは法隆寺である。ここの東院が太子の住んだ斑鳩の宮の跡でもあり、特異な八角堂の夢殿はよく知られている。法隆寺近くの中宮寺や法起寺も同様であるが、中宮寺ではここに安置されている如意輪観音像の微笑みにすっかり魅せられたことを思い出す。

法隆寺 法隆寺 奈良県斑鳩町 (平13.7)

法隆寺夢殿 法隆寺 夢殿 奈良県斑鳩町 (昭56.6)

中宮寺 中宮寺 奈良県斑鳩町 (昭56.6)

如意輪観音 如意輪観音像 中宮寺 奈良県斑鳩町 案内書より

法起寺 法起寺 奈良県斑鳩町 (平13.7)

奈良県明日香村に大官大寺址の碑が残るが、ここにかっては南都七大寺の一大安寺の前身の大官大寺があった。かっては官寺の首位にあった寺で、東大寺に次ぐ大建築であったという。この寺も聖徳太子が平群(へぐり)に建立した熊凝精舎が草創と伝えられる。
京都烏丸の六角堂、右京区の広隆寺、近江の西教寺、長命寺、百済寺、洛北の寂光院(写真は「大原御幸」)、宝塚市の中山寺(写真は「満仲」)、加古川の鶴林寺などすべて太子建立の寺と伝えられる。また、京都清涼寺にある聖徳太子殿は奈良法隆寺の夢殿を模したものという。

大官大寺址 大官大寺址碑 奈良県明日香村 (平8.9)

六角堂 六角堂 京都市中京区堂之前町 (昭58.9)

広隆寺 広隆寺 京都市右京区 (平12.8)

西教寺 西教寺 大津市坂本 (平13.11)

長命寺 長命寺 滋賀県近江八幡市 (昭63.9)

百済寺 百済寺 滋賀県東近江市百済寺町 (旧)愛東町 (平13.11)

鶴林寺 鶴林寺 加古川市 (平7.9)

聖徳太子殿 聖徳太子殿 京都市右京区 清涼寺 (平12.8)

日本の政治、文化、宗教に大きな足跡を残し大化の改新の前駆的役割を果たした太子は推古30年(622)49歳で薨去、大阪府太子町の叡福寺境内にある聖徳太子廟に祀られている。

叡福寺 叡福寺 大阪府太子町 (平10.9)

聖徳太子廟 聖徳太子廟 叡福寺 大阪府太子町 (平10.9)

淡路絵島 兵庫県淡路町  (平19・8記)

曲中に「淡路絵島須磨明石、紀の海までも、見えたり見えたり」と謡われている。絵島は淡路島の北端淡路町の岩屋港にある高さ20メートルの島で、明石海峡の荒波に岩肌を削られた浸食模様が美しい淡路島屈指の景勝地である。

絵島 絵島 兵庫県淡路町 (平12.9)


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