五郎足跡石

謡蹟めぐり  小袖曽我4 曽我兄弟謡蹟 その他の地

その他の地域 (平8・1記)

法乗院、曽我五郎足跡石   江東区深川 法乗院

立派な閻魔堂があり、中には真新しい閻魔大王の像が安置されている。五郎は敵を求めてここまで来たといわれ、境内には曽我五郎の足跡石がある。

法乗院 法乗院 江東区深川 (平6.12) 境内に五郎の足跡石がある

五郎足跡石 曽我五郎足跡石 法乗院 (平6.12) 五郎は敵を求めてここまで来たという

菅谷舘跡、畠山重忠の像   埼玉県嵐山町 菅谷舘跡

畠山重忠は謡曲「調伏曽我」の中で立衆の一人、頼朝の家臣として箱根権現参詣に同行している。曽我兄弟が幼い頃工藤祐経は兄弟が武道に励んでいることを聞き、行く末に恐れを抱いて頼朝に讒言し、「河津に謀反あり」として、河津の荘は召し上げとなり、7歳と5歳になった兄弟二人を鎌倉由比ヶ浜に引き出し斬首しようとした。このとき畠山重忠はじめ主だった家臣が処刑を止めるよう諌言し、頼朝も兄弟の助命を許したという。
埼玉県嵐山町には畠山氏の舘跡が「菅谷舘跡」として整備保存されており、小高い丘の上には重忠の像が建てられている。

菅谷館跡 菅谷舘跡 埼玉県嵐山町 (平6.7)兄弟の恩人畠山重忠の館跡

畠山重忠像 畠山重忠の像 菅谷舘跡 (平6.7) 小高い丘の上に重忠の像がある

国上寺  新潟県分水町

曲中「あらふしぎや、祐成は只今来りぬ。国上の禅師は寺にあり」の国上の禅師房は曽我兄弟のもう一人の弟。寺というのが新潟県弥彦山の近くにある国上寺である。
縁あって16歳のころから国上寺に上がり出家、仏道修行に励んでいたが、曽我兄弟に討たれた祐経の妻子が禅師房を召し出すよう頼朝に訴えた。
このため禅師房は鎌倉に連れられたが、斬罪になるとの風聞により、相模国甘縄の地で讀経念仏の末自ら命を絶ったといわれる。時に18歳であった。
このことは「禅師曽我」に詳しい。

国上寺 国上寺 新潟県分水町 (平3.10) 兄弟のもう一人の弟、国上の禅師がいた寺

その後訪ねた謡蹟 (平14・10記)

正眼寺  神奈川県箱根町

箱根湯本の旧道沿いにある正眼寺は兄弟の修行の跡で、庭に曽我五郎槍突石が建てられている。病気で静養した五郎が病後の力を試すため槍で突いた石という。
兄弟の死後虎御前がここに移り住んで跡を弔ったといい、丘の上の曽我堂は虎の建立で中に十郎、五郎の木像が安置されている由である。
境内には曽我兄弟の供養塔がある。
また、箱根町芦ノ湯の国道に沿ったところに曽我兄弟と虎の墓がある。

五郎槍突の石 五郎槍突の石 神奈川県箱根町湯本 正眼寺 (平8.5)

曽我堂 曽我堂 神奈川県箱根町湯本 正眼寺 (平8.5)

兄弟供養塔 曽我兄弟の供養塔 正眼寺 (平8.5)

兄弟と虎の墓 曽我兄弟、虎の墓 箱根町芦ノ湯 (平8.5)

延台寺・法虎堂(鴫立庵)・虎御前化粧の井戸  神奈川県大磯町

大磯町大磯に十郎の愛人虎御前が開いたという延台寺がある。寺の縁起によると、虎御前の生い立ちは大要次のように記されている。
宮内判官家長は、平治の乱に加担して都を追われ、本国をのがれて身を隠し、海老名源三季貞の館に足をとどめていた。平塚に遊び傾城、夜叉王とわりない仲となり、生まれたのが虎御前である。父家長が長いわづらいの後没し、身寄りもないまま山下長者の許へ養女としてもらわれていった。
虎女は成長するにつれて、容姿は花のごとく色香はますます加わり、艶名は遠くまできこえた。虎女と十郎とのそもそものなれそめは建久2年11月、虎女17歳、十郎は20歳であった。足かけ3年の短いえにしで、建久4年5月28日、曽我兄弟は敵の工藤祐経を討って本懐をとげ、若い命を終った。虎女は明け暮れ涙に沈みつつ、兄弟の菩提を弔った。剃髪して「禅修比丘尼」と称し、兄弟の遺骨をたずさえて信濃の善光寺に向った。のち、曽我の里に帰り念仏三昧にあけくれたが、大磯のことが忘れかね、十郎とのなつかしい思い出の地に帰って、当寺に庵を結んだと伝えられる。
寺には宝物館があり、虎御石が安置されている。この石は虎女の成長に伴って大きくなったと言い、また曽我十郎祐成の身代りの石とも呼ばれ、石の面に矢きずと刀きずの跡がある。十郎が虎女の許に通った夜、工藤祐経の差し向けた刺客に襲われ、太刀で斬りつけられ、矢を射られたが、この石が身代りとなって命を救われたという。
宝物館にはこのほか曽我兄弟の木像、虎女の木像等がある。
また寺の入口には、曽我兄弟霊像・身代り虎御石の碑が建っており、境内には虎御前が十郎祐成との恋の成就を祈願したといいう虎御前祈願の龍神がある。

延台寺 宝物館 延台寺 神奈川県大磯町 (平8.2)

虎御石 虎御石 延台寺 神奈川県大磯町 (延台寺縁起より)

兄弟の木像 曽我兄弟の木像  延台寺 神奈川県大磯町 (延台寺縁起より)

虎木像 虎女の木像  延台寺 神奈川県大磯町 (延台寺縁起より)

兄弟霊像 曽我兄弟霊像・身代り虎御石の碑  延台寺 (平8.2)

虎御前祈願 虎御前祈願の龍神  延台寺 (平8.2)

延台寺に近い西行法師で有名な鴫立庵の境内に法虎堂が建っており、堂内には有髪僧体の19歳の姿を写した虎御前の木像が安置されている。

法虎堂 法虎堂 神奈川県大磯町 鴫立庵 (平8.2)

虎御前木像 虎御前の木像 鴫立庵 大磯町 (平8.2)

大磯の北部、旧東海道筋に虎御前化粧(けはい)の井戸がある。鎌倉時代の大磯の中心はこのあたりにあり、虎御前も朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧をしたので、この名がついたといわれている。
またこのあたりは化粧(けはい)坂と言われ、化粧坂公園近くには「化粧坂の物語」と刻まれた石碑があり、次のように記されている。
「 建久四年五月二十八日曽我兄弟は降りしきる雨の中で父の仇を討ったが、兄の十郎は討たれ、弟の五郎は召し捕られてしまった。十郎の愛人虎御前はこれを悲しんで緑の黒髪を断ち切って尼となり、兄弟の冥福を祈った。わずか十九歳の虎女に涙したか、以後此の日には必ず雨が降り、虎が雨と名づけられ俳句の季語にもなっている。虎御前の住んでいたあたり、化粧坂といわれ鎌倉時代の歓楽街であったという。 」

虎御前化粧の井戸 虎御前化粧の井戸 神奈川県大磯町 (平8.2)

化粧坂付近 化粧坂付近 神奈川県大磯町 (平8.2)

御所五郎丸屋敷跡碑  鎌倉市

鎌倉市腰越・津の大きな住宅団地の一角に、五郎時致を捉えた御所五郎丸屋敷跡の碑が建っている。

御所五郎丸屋敷 御所五郎丸屋敷跡の碑 鎌倉市腰越・津 (平8.2)

曽我兄弟、鬼王、団三郎の墓碑  千葉県八日市場市

千葉県八日市場市山桑に曽我兄弟と鬼王、団三郎の墓碑がある。曽我兄弟の従者、鬼王、団三郎はここが出身地といい、兄弟はここで生まれ育った。兄弟の死後遺骨を携えてこの地に帰り後世を弔ったという。この後裔といわれる鬼王家が今もあり、庭には曽我兄弟、鬼王、団三郎、虎、少将の墓もあるというが、まだ訪ねていない。

兄弟鬼王墓 曽我兄弟、鬼王、団三郎の墓碑 千葉県八日市場市高桑 (平8.12)

虎塚、十五郎穴 茨城県勝田市

茨城県勝田市中根に虎塚と十五郎穴がある。伝承によると十郎の愛人虎御前が兄弟の生前、ともにここに住んでいたといい、兄弟の没後もこの地に住み生涯を終えたという。
虎塚は前方後円の古墳で、昭和48年の調査では石室が発見され、遺体一体の遺骸とともに太刀や鏃などが出土し、七世紀中頃に勢力のあったこの地の豪族の埋葬例が明らかになったといい、年二回一般に公開されているとのこと。また、十五郎穴は奈良時代に作られたお墓とのことである。

虎塚 虎塚 勝田市中根 (平13.6) 虎御前が十郎・五郎と住んでいたとの伝承がある。

十五郎穴 十五郎穴 勝田市中根 (平13.6) 虎塚と同じ伝承があるも奈良時代のお墓の由


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