護摩堂と清水

謡蹟めぐり  高野物狂5 四国88ケ所、弘法大師謡蹟

四国88ケ所を巡拝して        (平14・8記)

平成12年9月から平成13年3月にかけて、3回に分けて近畿ツーリストのバスツアーに参加し、家内とともに念願の四国88ケ所を巡拝することが出来た。
88ケ所のうちかなりのお寺については、それまでにすでに参詣しており、本稿において紹介したものもあるが、今回改めてこの時に巡拝した全部のお寺を振り返ってみた。

伝説によれば四国88ヶ所は弘仁6年(815)弘法大師42歳の時に開かれたといい、他方、大師の入定後、高弟真済がその遺跡を遍歴したのがはじまりともいう。また本稿中にも紹介したように衛門三郎が自己の非を悟って四国の霊地をめぐったのが遍路のはじまりともいわれる。いずれにしても大師入定後、大師に対する信仰は間もなく起り、平安時代の末ごろには大師ゆかりの地を巡拝することがおこなわれていたものと推察される。

四国88ヶ所の寺は全部弘法大師開基の寺なのではないかと漠然と考えていたが、調べてみると弘法大師開基の寺が41、行基開基が28、その他が19となっている。行基開基がかなりの数になっているのは意外であったが、案内書などを読んでいると、行基開基であってもその後弘法大師が修復したものも多く、直接間接に弘法大師が関与しているようである。現在88ケ所のどの寺にも本堂とともに大師堂があり、巡拝の人々も必ず双方に巡拝、読経している。その意味では88ケ所全部のお寺が弘法大師関連の謡蹟といっても過言ではない。写真も撮ってきたので、全部を掲載しようとも考えたが、あまりに頁数が多くなるので、次のものを除き割愛することとした。

衛門三郎と大師像

前述のとおり衛門三郎は大師の後を追って20回廻っても大師に逢うことが出来ず、逆に廻ればと考えて逆に廻り、ついに現在12番札所のこの焼山寺で病に倒れたが死の直前、大師に巡りあうことが出来た。大師が墓標として立てた三郎の杖が根づいたという杖杉が高くそびえ傍らには杖杉庵があるという。是非立ち寄りたいと願っていたが、団体旅行では仕方ない。杖杉庵のそばを通過した時、大きな杉、杖杉庵らしい建物、衛門の大師の像が見えたのでカメラのシャッターを切った。あまりよく写らなかったが参考までに掲げてみる。

杖杉と杖杉庵 杖杉と杖杉庵 徳島県神山町 焼山寺 (平12.9) 大きな杉が杖杉、建物が杖杉庵と思われる

大師と衛門像 衛門三郎と大師の像 杖杉庵 (平12.9) バスの中からの撮影

また香川県多度津町の77番札所通隆寺にも衛門三郎と弘法大師の像があるのを偶然発見した。その経緯はよく分からないが写真を掲げてみる。

道隆寺大師と衛門像 衛門三郎と弘法大師像 香川県多度津町 通隆寺 (平13.3) ここに建てられた経緯はよく分からない

慈尊院 和歌山県九度山町

今回の旅では四国88ケ所の巡拝の後、船で和歌山県に渡り高野山に参詣したが、その途中、弘法大師の母堂を祀る慈尊院に立ち寄った。丁度桜の花が美しく咲いていた。ビデオでこのお寺の概略の解説があり、さらに母の玉依御前の像を拝観することができた。境内には弘法腰掛けの石や孝行松があった。

慈尊院腰掛け石 弘法腰掛け石 慈尊院 (平13.3)

慈尊院孝行松 孝行松 慈尊院 (平13.3)

弘法大師関連謡蹟 つづき (平14・8記)

平成8年1月にそれまで訪ねた大師関連の謡蹟をまとめてみたが、その後訪ねた所も上記の高知県謡蹟と四国88ヶ所の他にもいくつがあるので、順序不同で紹介する。

西新井大師、大師尊像 足立区西新井

大師がこの地を通ったところ悪疫流行しているのを見て、21日間護摩を修ぜられて悪疫を終息せしめたという。その徳を慕ってやまない人々が、大師自ら刻んだ観世音菩薩像と御大師様尊像をお祀りしたのがこの寺の起源という。現在境内に建つ弘法大師立像は、開宗千百年の記念に東京千住睦講により諸国巡錫のお姿を現したものである。

西新井大師 西新井大師 足立区西新井 (平9.4) 大師が刻んだ観世音菩薩像などを祀ったのが起源という

西新井大師大師尊像 弘法大師立像 西新井大師 (平9.4) 開宗1100年を記念して建立

弘法の池、護摩堂、弘法大師の清水、倶利伽羅不動尊  石川県、富山県

石川県鳥越村には弘法の池がある。弘法大師が旅の通すがら通りかかった老婆に水を所望すると、老婆ははるばる沢まで降りて、五体にしみわたるような冷たい清水を汲んできた。胸を打たれた大師が手にした錫杖で地面を一突きするとたちまち泉が沸き出したという。池の前には大師の像が安置されている。
富山県上市町には護摩堂と弘法大師の清水がある。当時付近の山野は猛獣毒蛇の巣で、人々が被害を蒙り困り果てていたが、大師がこの地に来て住民の苦しみを憐れみ、護摩を焚いて野獣の放逐を祈った。以来この地を護摩堂と称するようになったという。小さなお堂が建ち拝観させていただいたが、村人により大切に保存されている。また弘法の池と同じような物語が伝えられ、弘法大師の清水として今も清水がこんこんとして湧き出ている。
富山県小矢部市の倶利伽羅不動尊は弘法大師が諸国をめぐられる途中、この地で紫雲光明の中に不動明王のお姿をおがまれ、また、一体の不動明王像をお刻みになり奉安されたという。

弘法の池 弘法の池 石川県鳥越村 (平9.6)

護摩堂と清水 護摩堂と弘法の清水 富山県上市町 (平9.6) 左の方が弘法の清水である

護摩堂内部 護摩堂内部 富山県上市町護摩堂 (平9.6) 内部もよく整理され美しく保たれている

弘法大師の清水 弘法大師の清水 護摩堂 (平9.6) 今日も住民の飲料となっているという

倶利伽藍不動尊 倶利伽羅不動尊 子矢部市砺波山 (平9.6) 弘法大師が不動明王の像を刻み安置したという

立木観音 大津市南郷

大師行脚の折、当地を通ったところ、この山に光を放つ霊木があった。不思議に思って近寄ろうとすると、白い鹿が忽然として現れ、大師を脊に乗せて大河を渡り霊木の前に導き白鹿はたちまち観世音と化現し光明を放って虚空に消散した。大師はその霊木に向かい立木のまま自分の丈にあわせて、五尺三寸の聖観世音の尊像を刻み、その余材をもって毘沙門天、広目天、大師の真影を刻み、堂宇を結んで安置したという。

立木観音 立木観音 大津市南郷 (平13.11) 弘法大師が霊木に聖観世音を刻んだのが起源

白鹿と大師像 白鹿と大師像 立木観音 (平13.11) 白鹿の脊に乗り霊木に向かう大師

須磨寺の弘法岩五鈷水、東山寺  兵庫県

神戸市の須磨寺の境内に平成12年「弘法岩五鈷水」という手水処が設置された。傍らの説明によると、平成12年初頭、この場所に手水処(手や口のお清めの場所)を建立することを計画した。そして弘法大師御宝前で祈ること21日、清浄で豊富な水が山内で湧出することが判り、その水をお大師さんにちなんで「五鈷水」と名付け、大きな五鈷を石の台座に置いた手水処にすることにした。ところがある雨の朝、手水処建立の予定地に立っていると、山のような僧形がぼんやりと浮かんできた。これは五鈷を持つのはお大師様だという思いが浮かび、その浮かんできた姿を描き、そのような石を求めて四国各県を訪ね歩いた。そしてまた祈ること14日、若き日の大師様もご修行なされた四国の霊峰石槌山の麓より、人の手の一切入っていない高さ2メートル、重さ約13トンの大岩が見付かった。一目見てこの大岩こそあの雨の朝に浮かんだ僧形でありお大師さんであると確信し「弘法岩」と称して当山にお迎えしたとのこと。
そう言われて見ると僧の形に見えてくるから不思議である。
兵庫県淡路島一宮町の東山寺も弘法大師開基の寺といわれ、本尊千手観音像は大師の作と伝えられる。

五鈷水遠景 弘法岩五鈷水(遠景) 須磨市 須磨寺 (平12.9)

五鈷水近景 弘法岩五鈷水(近景) 須磨寺 (平12.9)

東山寺 東山寺 兵庫県淡路島一宮町 (平12.9) 弘法大師開基の寺

明王院 福山市草戸

福山市の明王院も弘法大師開基と伝えられる美しい寺である。

福山明王院 明王院 福山市草戸 (平11.9) 弘法大師開基の寺

明王院五重の塔 明王院五重の塔 明王院 (平11.9) 美しい五重の塔もある

宮島弥山、大聖院  広島県宮島町

日本三景の一、天下の名勝、安芸の宮島の中心をなす霊峰弥山(みせん)は弘法大師の開創になり、その山容が唐の須弥山(すみせん)に似ていることから弥山と命名され、自ら一百日間の求聞持の秘法を修せられた所という。
大聖院の境内は広く、勅願堂、大師堂、観音堂などの堂塔が建ち並び庭園もまた素晴らしい。弥山の頂上付近には消えずの火や求聞持堂があるという。ここから弥山の頂上までの通もあるようだが、とても歩けそうもないので、紅葉谷駅からロープウエイに乗り獅子岩駅で降りる。そこからでも頂上までは急な坂道が1キロほどあるというが覚悟を決めて歩く。少し歩くと求聞持堂がある。弘法大師が求聞持の秘法を修した所と伝える。傍らに錫杖の梅がある由だが見逃してしまった。更に進むと不消霊火堂(きえずのれいかどう)がある。大師修行の護摩の火が1190余年、昼夜燃え続けているとのこと。閼伽井堂は修行に用いた水の出たところである。文殊堂、観音堂、三鬼堂等を経て漸く頂上にたどり着く。頂上からの景観は壮観雄大で言葉に言い尽くせない。かっては海軍兵学校の生徒は必ずこの弥山まで登ったと聞いたことがある。永年の夢を一つ果たしたようで誠に壮快である。

宮嶋大聖院 大聖院 広島県宮島町 (平11.9) 弘法開基の寺

宮嶋求聞持堂 求聞持堂 広島県宮島町弥山 (平11.9) 弘法大師修行の場所

宮嶋霊火堂 不消霊火堂 弥山 (平11.9) 大師修行の時より燃え続けているという

宮嶋閼迦井堂 閼伽井堂 弥山 (へい11.9) 修行に用いた水の出たところ

神門寺、影向石(いろは石) 出雲市下塩冶町

出雲市下塩冶町の神門(かんど)寺には、弘法大師がここで「いろは歌」を作った所といわれ、境内には影向石(いろは石)がある。このことからこの寺は「いろは寺」とも呼ばれている。また、南北朝の頃出雲の国主であった塩冶判官高貞公の墓がある。

神門寺 神門(かんど)寺 出雲市下塩冶町 (平9.9) 弘法大師はここでいろは歌を作ったという

神門寺いろば石 影向石(いろは石) 神門寺 (平9.9) 何か刻まれているようだが読み取れない


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