鵜戸神宮全景

謡蹟めぐり  和布刈 めかり

ストーリー

長門の国早鞆明神に仕える神主が、例年通り十二月晦日寅の刻に和布刈の御神事を行おうとしていました。
夕闇迫る神前に供物をする人がいるので、神主が問いかけると海女と漁夫だと答えます。そして昔、豊玉姫と契りを結んだ彦火火出見尊が姫との約束に背き姫の産屋をかいま見て以来、海と陸に境ができたが、早鞆の神祭の日は神慮により海の宝、海藻も心のままになる、と語り、また二人は天つ乙女と龍神であることを明かし姿を消します。
時過ぎて音楽が響き、月光と妙なる香の中竜女が現れ舞を舞います。寅の刻には天地鳴動して沖より竜神が現れ、海底をうがち夕潮を退けたので海底の砂が平々となります。神主がこの間に松明をかざし、鎌で和布を刈り取り神前に供えると、風雨は鎮まり潮は元の様な海となり竜神は竜宮に跳び入ります。(「宝生の能」平成9年12月号より)

和布刈神社  北九州市門司区 (平11・8記)

早鞆の明神は門司の早鞆の浦にある和布刈神社である。天照大神、彦火火出見(ひこほほでみの)尊、鵜鴿草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、豊玉姫を祀る。
有名な和布刈神事は仲哀天皇の9年、神社創建以来続く神事の由である。毎年冬至の日に和布(わかめ)繁茂の祈念祭をもって始まり、旧暦12月1日には松明を作り、奉仕の神職は1週間前から別火に入り潔斎に入る。旧暦正月元旦午前3時頃、神官3人は衣冠を正し、鎌と桶を持ち松明で社前の石段を照らして下り、退潮を追って厳寒の海に入り和布を刈る。これを神前に供えて祭典を行い明け方近くに終り直会でお開きになる。
早鞆の浦は早鞆の瀬戸、関門海峡の東端で、潮の流れは8ノットにも及ぶという。海峡には今では関門橋が掛けられ対岸は壇の浦の古戦場となっている。
曲中に門司の関守と謡われる門司が関址は和布刈神社の鳥居の前に碑が建っている。

和布刈神社 和布刈神社 北九州市門司区 (平3.10)

早鞆の瀬戸 早鞆の瀬戸 (平3.10)

門司関址 門司関址 北九州市門司区 (平3.10)

彦火火出見尊、豊玉姫関係の神話と古蹟 (平11・8記)

曲中に「地神第四代、彦火火出見尊と、豊玉姫」が登場し、両者契りを結んで出産に至ることは前述の通りである。

天照大神から神武天皇に系譜は次のとおりで(略)、彦火火出見尊は天照大神から数えると第四代にあたり、豊玉姫はその妻である。両者の間に生まれたのが 鵜鴿草葺不合命で神武天皇の父となる。また、豊玉姫の妹の玉依姫は鵜鴿草葺不合命の妻となる。
さらに彦火火出見命は「山幸彦(やまさちひこ)」、兄の火照命は「海幸彦(うみさちひこ)」としてよく知られ、この神話を他流では「玉井」として取り上げている。

「桜川」の項で木花開耶姫(このはなさくやひめ)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)をとりあげ、両者の間に彦火火出見命ほか2名が生まれたこと、及びその古蹟を紹介した。
ここでは海幸彦、山幸彦、豊玉姫、玉依姫から神武天皇にいたる謡曲に関係ある神話を取り上げ、古蹟を紹介することとする。(参考文献 岩波文庫「古事記」、講談社文庫「日本書紀」、中央文庫「日本の歴史」、講談社文庫「日本史人物その後の話」、木本誠二「謡曲ゆかりの古蹟大成」等)

木花開耶姫が燃えさかる火のなかで産んだのは、火照(ほてりの)命、火折(ほおりの)命、彦火火出見命の三人であった。
火照命は海幸彦といい、彦火火出見命は山幸彦といった。山幸彦は兄に幸(獲物をとる道具)を交換しようと乞い、やっと許されて釣り針を得て魚を釣りにいったが、一魚も得られないばかりか、釣り針をなくしてしまった。弟は剣をつぶして500本、千本の釣り針をつくり償おうとしたが、兄はどうしてもその罪を許さなかった。
山幸彦が途方にくれているうと、塩推神という海に詳しい神が通りかかり、海の道を通って綿津見神(海神)の宮殿に行くように教えてくれた。宮殿の入り口の桂の木に登って待っていれば「その海神の娘が見てどうすればいいか考えてくれるでしょう」というのだ。
教えに従ってその宮殿に行くと、そこには海神の娘のうつくしい豊玉姫がいて従女と水を汲んでいるところであった。姫は山幸彦を恋しく思いまぐわいして父の海神に彼を紹介した。海神は手厚くもてなし、山幸彦は姫とともに3年の間その宮に居ついてしまった。

(注) 鹿児島県薩摩半島の南端、開聞岳一帯は海神の国で、池田湖畔の近くにある玉井址は、海神の邸宅の門のあった所で、水を汲みにきた豊玉姫がここにいた山幸彦に心をひかれ、姫の案内で海神の宮殿に導かれたという。
ここに近い牧聞(ひらきき)神社(開聞神社)は薩摩一の宮で、天照大神を主神とし、豊玉姫も合祀される。その南の長崎鼻には竜宮神社がある。

開聞岳 開聞岳 鹿児島県開聞町 (平7.11)

玉井社 玉井址 鹿児島県開聞町  (平7.11)

牧聞神社 牧聞神社 鹿児島県開門町 (平7.11)

竜宮神社 竜宮神社 鹿児島県開門町 (平7.11)

山幸彦は、釣り針のことを思い出して海神に訴えると、海神は海の大小の魚どもを呼び集めて問うた。すると一匹の鯛がのどに何かが刺さって物が食べられず困っていることがわかった。その鯛ののどを探ると、はたして釣り針が見つかったので、これを山幸彦に奉った。海神はさらに、故郷へかえって兄に釣り針を返してもなお、聞き入れられないときの用心にと呪文を教え、潮の満ちひきを自由にする「潮満珠(しおみつたま)」「潮干珠(しおひるたま)」をさずけた。
山幸彦はそれをもらって一匹の鰐に乗って故郷に帰った。兄の海幸彦はなおも山幸彦をゆるさなかったが、山幸彦は海神からもらった潮満珠と潮干珠を交互に使って、海幸彦を何度も溺れさせては、その都度たすけてやったので、海幸彦は降参して弟の山幸彦の家来として仕えるようになる。

(注) 竜宮界から帰着した所は、宮崎の名勝青島とも言われ、島内の青島神社は、命と姫を祭神としている。社前に玉の井が祀られ、命夫婦はここからやがて鵜戸に向ったという。

青島 青島 宮崎市青島 (平7.11)

玉の井 玉の井 青島神社 (平7.11)

青島神社 青島神社 宮崎市青島 (平7.11)

海神の娘の豊玉姫はあとから追いかけてきて、海辺のなぎさに鵜の羽をもって葺草(かや)として産殿を造り、山幸彦の子を産もうとしていた。姫は「侘国(あだしくに 他の世界)の人は産むときになれば、本(もと)つ国(もとの国)の形をもって産むなり。願わくは妾(あ)をな見たまいそ」といって八ひろもある鰐の姿になった。山幸彦はそれを覗き見し、驚いて逃げたので姫は「いとはずかし」といって、子を産みおいたまま海にかえっていった(この御子が鵜鴿草葺不合命(神武天皇の父)である)。これが海と陸との相通わないことの始まりである。
その時姫は王子の養育を妹の玉依姫に委ね乳房を置いて行ったのが乳岩となり、玉依姫はこの岩から出る水で飴をつくり王子を養育し、後にその妃となり神武天皇はじめ四王子を産むこととなる。

(注) 鵜鴿草葺不合命の生誕地は、日南市の鵜戸神宮とされ、神殿が建てられている大洞窟が産殿址で、社殿裏にお乳岩や産湯の跡がある。

鵜戸神宮全景 鵜戸神宮全景 宮崎県日南市 (平7.11)

鵜戸神宮内部 鵜戸神宮(洞窟内)  宮崎県日南市  (平7.11)

お乳岩 お乳岩 鵜戸神宮 (平7.11)

産湯の跡 産湯の跡 鵜戸神宮 (平7.11)

また、同じく日南市の宮浦には、玉依姫を祀る宮浦神社や玉依姫稜もあり、遠く千葉県一宮町の玉前神社、東庄町の東大社も玉依姫を祭神として祀る。

宮浦神社 宮浦神社 宮崎県日南市松浦 (平7.11)

玉依姫稜 玉依姫稜 宮崎県日南市松浦 (平7.11)

玉前神社 玉前神社 千葉県一宮町 (平6.11)

東大社 東大社 千葉県東庄町宮本 (平8.12)

なお、彦火火出見命(山幸彦)を祀る神社も多い。本項に掲げた和布刈神社、青島神社のほか、「小袖曽我」で掲げた箱根神社も命と豊玉姫を合祀する。鹿児島県隼人町の鹿児島神宮は命の皇居跡とされ、命と豊玉姫を祭神とし、御祭神が海の国で受けられた潮満珠、潮干珠も宝物として保存され、毎年8月7日、七夕祭には陳列される由である。

鹿児島神宮 鹿児島神宮 鹿児島県隼人町 (平7.11)

古事記、日本書記では「彦火火出見命」関連の神話はここで終り、次は「神武天皇−東征」の項に進む。

初め日向の国の高千穂宮にいた神武天皇は、兄五瀬(いつせの)命とはかり「どの地を都とすれば安らかに天下を治められようか、やはり東邦をめざそう」と日向を出発する。途中、宇佐、筑紫、安芸、吉備を通過、瀬戸内海を東進して難波に至り、そこで長髄彦(ながすねひこ)と戦って五瀬命を失う。
神武の軍は南に迂回して熊野に入ったところを化熊に蠱惑されるが、天津神の助力によって危地を脱し、天津神の派遣した八咫烏の先導で熊野・吉野の山中を踏み越えて大和の宇陀に出る。
ここで兄猾(あにうかし)、弟猾(おとうかし)を従わせ、以後、忍坂(おさか)の土雲八十建(つちぐもやゝそたける)、長髄彦、兄磯城(えししき)、弟磯城(おとしき)らの土着勢力を各地に破り、大和平定を成就する。
さらに別に天下っていた饒速日(にぎはやひの)命も帰順して、神武は畝傍の橿原を都と定め天下を統治するに至った。

(注)神武天皇の古蹟も各地にあるようだが、私の訪ねたのはまだ次の5ケ所だけである。

神武天皇頓宮跡 神武天皇頓宮(仮宮)跡碑 和歌山県

神武天皇聖蹟跡 神武天皇聖蹟碑(東征上陸地)

神武天皇上陸地 神武東征上陸地 和歌山県新宮市三輪ちかく (平10.3)

橿原神宮 橿原神宮(神武天皇即位の地)  奈良県橿原市畝傍 (平8.9)

神武天皇御陵 神武天皇陵 奈良県柏原市畝傍 (平8.9)

さて海(竜宮)に帰った豊玉姫にも、残って王子を養育する筈の玉依姫にも後日譚が伝承されている。姉妹ともに竜宮に帰り、父の綿津見神から領地を与えられたようである。豊玉姫を祀る豊玉姫神社の由来にはおよ次のように記されている。

「 海神綿津見神に二女あり、姉の豊玉姫は川辺に、妹の玉依姫は知覧に封ぜられることとなり、衣の都(今の開聞の辺)を御出発になった。
その経路は鬢水峠(鬢の毛の乱れを整えられた処)、御化粧水(この水にて化粧された)、宮入松(正式に行列を正し休憩された処)を経て、取違(姉妹の神様が行く手を違えられた処)にお泊まりになった。ここで玉依姫は川辺が水田に富むことをお知りになり、急いで玄米のままの朝食をお炊きになて川辺へ先発された。
平常のように白米をお炊きになった豊玉姫はおくれてしまったので、やむなく妹姫の宰領されることになっていた知覧へ向かい、上郡に宮居をお定めになって、知覧を宰領されたという。
ここで姫神は民生を撫育された後崩御遊ばしたので、郷民は御遺徳を慕って城山(のちの亀甲城)の麓に社殿を建立し、鎮守の神として崇敬したのが、この神社のはじまりであるといい伝わっている。
のちに父神・夫神・妹神の三柱も合祀申し上げたのであるが、慶長十五年(1610)時の領主島津忠允公が現在の地を寄進して、遷宮したといわれている。(中略)
豊玉姫は御顔が玉の如く御立派な方で、み子をお産のときも、産殿の屋根もまだ葺き終えないうちに、軽々と御安産遊ばされたので妊婦は、当社を信仰崇拝すれば、必ず安産で、その上美形の子を生むと信ぜられ婦人の崇拝は殊に厚い。
また豊玉姫、豊玉彦、玉依姫は共に海を司る綿津見の神であらせられ、航海や船出の折は、当社を崇敬し護符を受けて身につくるときは、絶対安全と幸福が得られるものと、漁業の方面に特殊の信仰がある。  」

(注) 豊玉姫神社は鹿児島県知覧町にあり、この町にはまた豊玉姫稜もある。また知覧町に隣接する川辺町には、玉依姫を祀る飯倉神社があり、玉依姫手植えといわれる川辺の大樟が境内に聳えている。

豊玉姫神社 豊玉姫神社 鹿児島県知覧町 (平7.11)

豊玉姫稜 豊玉姫稜 鹿児島県知覧町 (平7.11)

飯倉神社 飯倉神社 鹿児島県川辺町 (平7.11)

川辺の大樟 川辺の大樟(玉依姫手植えという) 飯倉神社 (平7.11)


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