芭蕉かんまんじ

謡蹟めぐり  芭蕉 ばしょう

ストーリー

唐土楚国の瀟水という所に山住まいする一人の僧がいます。毎夜読経をする頃に、不思議にもこの庵のあたりに人の足音がするので、今夜はその名を尋ねてみようと待ち受けているところに、年闌けた女性が現れたので素性を尋ねます。
女は近くに住む者であるが結縁のために来ると言い読経の聴聞を願うので僧はこれを許します。僧はその信心の深さに感じ入り、女を庵に招き入れ懇ろに薬草喩品を読んで聞かせます。女は、女人草木も成仏できることが頼もしいと喜び、実は自分は庭の芭蕉の仮の姿であると言って消え失せます。
深夜になると芭蕉の精がまた現れ、非情の草木もまことは無相真如の顕現で、仏教の哲理を示し、世の無常を表しているのだと言い、しみじみとした舞を舞ってみせますが、吹きすさむ風のために、女の纏える衣も引き千切られ、女の姿も遂に打ち破られ、やがて姿を消します。(「宝生の能」平成13年11月号より)

書籍とインターネットで探る「芭蕉」謡蹟 (平19・3記)

小倉正久著「謡曲紀行」(白竜社刊)

小水という地名は見当たらないが、湖南省を南北に流れる河・湘江のほとりではないかと思われる。その支流に瀟水(小水)があり、この二つの流れを中心に瀟湘八景の名勝(平沙落雁、遠浦帰帆、山市晴嵐、江天暮雪、洞庭秋月、湘瀟夜雨、煙寺晩鐘、漁村夕照)がある。ここの事であると思われる。

瀟湘八景と日本の八景

http://www2u.biglobe.ne.jp/~miken/landsc/hakkei.htm

八景のはじまりは、11世紀の北宋時代、中国に遡る。湖南省の洞庭湖に面した瀟湘(しょうそう)地方で、宋迪(そうてき)が選んだ「瀟湘八景」である。ここに見られるように、古来から多くの画家が地域の風土を写実し、伝えるために風光明媚で代表的な景観を選んだ。その手法のひとつに「八景」があるとみてよいだろう。日本では、室町時代「近江八景」が選ばれる。琵琶湖の南西方面で、近衛政家が瀟湘八景に倣って選んだといわれる。その後江戸時代に入って、神奈川県金沢の景勝地から「金沢八景」が選ばれる。明の僧・心越禅師による。
私たちの暮らす、長野県にも多くの八景がある。有名なところでは「木曾八景」「馬籠八景」。近くでは「善光寺八景」というものもある。ちなみにgooのホームページ検索で「八景」でヒットする数は6700件にのぼる。もちろん全て景観的な八景とは言わないが、言葉としても頻繁に利用されていることがわかる。このなかで地域景観に由来する八景を探ってみた。
こうした八景の多くは、地域再発見、観光振興などを目的に最近になって選ばれたもののようだ。また、「水戸・日立の八景」ウェブページでは、日立市内だけで10の八景(川尻八景、田尻八景、滑川八景、東河内八景、会瀬八景、諏訪八景、大久保八景、河原子八景、久慈八景、坂下八景)、さらにこれを茨城県の常北地方に広げると37の八景が確認されているという。これらは江戸から明治期にかけての選らしい。
瀟湘八景を原型にした日本の代表的な八景に「金沢八景」がある。こうした著名な八景は、夜雨、晩鐘、落雁、晴嵐、帰帆、夕照、秋月、暮雪で構成されている。それぞれの主題の意味は、夜雨(水辺の夜の雨)、晩鐘(山寺の晩鐘)、落雁(田に降り立った雁の群)、晴嵐(朝靄に煙る松林)、帰帆(港に帰る漁船)、夕照(夕日に照らされた遠くの山)、秋月(水面に映る秋の月)、暮雪(夕暮れの雪景色)。また浮世絵版画では、多くの人たちに知られ、親しまれてきた八景を見ることができる。

芭蕉の写真 (平19・3記)

写真は秋田県象潟町(きさかた町、現在にかほ市に編入)の蚶満寺(かんまんじ)で写したものを掲げた。
象潟の町はずれ、鬱蒼として樹木の中に静かに佇むこの寺は、俳人芭蕉が旅した最北の地、象潟の古刹である。境内には芭蕉の像、芭蕉の歌碑(象潟や雨に西施がねぶの花)のほか、北条時頼公のつつじ、西行法師の歌桜、猿丸太夫姿見の井戸、神功皇后袖掛けの松など謡曲に関係のある史跡が沢山ある。

芭蕉かんまんじ 秋田県象潟町蚶満寺境内の芭蕉  (平16.6)


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