五条大橋

謡蹟めぐり  橋弁慶 はしべんけい

ストーリー

比叡山西塔の武蔵坊弁慶は、五条の天神へ丑の刻詣をしています。丁度今夜が満願なので出かけようとすると、従者が、昨夜五条の橋で十二、三の少年が通行人を小太刀で斬り廻り、その強さといったらまるで化け物なので、危ないから今日の参詣はやめた方が良いと言います。そこで弁慶も一度は思いとどまりますが、やはり聞き逃げしては物笑いの種になると、変化退治を覚悟します。
さて、五条の橋の化け物というのは、腕だめしに屈強の者の通るのを待っている牛若丸のことです。明日は鞍馬山へ帰る身の上の牛若丸、今宵を最後と橋の上で待っていると、武装した弁慶が現れます。そして斬り合いとなりますが、牛若丸の強さには剛勇無双の弁慶もまったく歯がたちません。弁慶は相手の名を尋ね、降参し、改めて主従の契りを結んで九条の邸にお供します。(「宝生の能」平成12年12月号より)

五条大橋と牛若丸、弁慶像 京都市下京区 (平19・3記)

五条大橋は京都市下京区の五条通、鴨川に架かっている。その橋のたもとに牛若丸と弁慶の像がある。可愛らしい人形の像である。
五条大橋は往時は今の松原通りに架かっていたが、天正年間に秀吉が現在の位置に移したが橋の名前はそのままにしたという。

五条大橋 五条大橋 京都市下京区 (平7.9)

五条大橋人形 牛若丸、弁慶の像 京都市下京区 五条大橋 (平7.9)

五条天神 京都市下京区天神前町 (平19・3記)

弁慶が丑の刻詣でをしたという北野の天満宮は、現在の五条天神で下京区の松原通りと西洞院通りが交叉するあたりにある。桓武天皇の平安遷都にあたり、大和国宇陀郡から天神(あまつかみ)を勧請したのが始まりという。創建の頃は社域も広く、社殿も広壮であったが、度々火災にあい、現在は周囲のビルに埋まれている。

五条天神 五条天神 京都市下京区 (平8.4)

山鉾「橋弁慶」 京都市祇園祭 (平19・3記)

京都の祇園祭山鉾巡行は有名であるが、その中に「橋弁慶」の山鉾があったので紹介する。

橋弁慶山 橋弁慶山 祇園祭 京都市 (平13.7)


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