以上に掲げたほか、弘法大師開基と伝えられる寺とか、温泉、井戸開発に関する伝説は非常に多いようである。私が訪ねた所を簡単に紹介する。
蓮華峰寺は弘法大師が大同3年比叡山にならって建立した小比叡と呼ばれる古刹である。境内には弘法堂があり、本尊は宗祖弘法大師座像の一木造りで多くの信者を集めている。また「独鈷水」というのがあり説明には「6尺4寸の石屋に弘法大師像を安置、大同年中、唐より帰国の折り、大師所持の独鈷を投げたところ空中に飛び去り、1個はこの地に、1個は大和の室生寺と紀伊の金剛峯寺に落下し、三大霊地といわれ蓮華峰寺の発祥の地点である。これを受けて飲むと病がなおるといわれてきた。」と記されている。
蓮華峰寺 新潟県小木町 (平7.6) 弘法大師が比叡山にならって建立した
弘法堂 蓮華峰寺 (平7.6) 本尊は弘法大師像の一木造りという
独鈷水 蓮華峰寺 (平7.6) 大師が唐から投げた独鈷の一つがこの地に落下、寺発祥の地となる
標高約100メートルにあり、間口6間、高さ20尺の海蝕洞である。その奥行きは不明であるが、外海府の岩屋口洞窟まで続いていると言われる。古くから摩崖仏、八十八仏、観音堂等を建造し、広く霊場として親しまれている。洞窟の壁に刻まれている摩崖仏は弘法大師作と伝えられる。
岩屋山石窟 新潟県小木町 (平7.6) 古くから霊場として親しまれている
摩崖仏 新潟県小木町 (平7.6) 洞窟の壁に刻まれている摩崖仏は弘法大師作という
大谷観音で知られ、また大谷石採掘場跡が陥没したことなどでも有名になったが、この寺も弘法大師開基と伝えられる。
大谷寺 宇都宮市 (昭63.7) 弘法大師開基と伝えられる
この寺は足利氏の邸宅跡として国の史跡に指定されており、周囲に土塁と濠をめぐらし鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えている。この寺のすぐ近くには足利学校跡の史跡もある。
この寺に祀られる大黒天は弘法大師が作られたといわれ、足利市の重要文化財に指定されており、足利七福神めぐりの元祖とされている。
鑁阿(ばんな)寺 足利市家富町 (平8.1) 寺の近くに足利学校跡の史蹟がある
大黒天 鑁阿(ばんな)寺 (平8.1) ここに祀られる大黒天は弘法大師作と伝えられる
名草の弁天さまは、弘法大師が水源農耕の守護として弁財天を祀ったのが始まりと伝えられる。伝説では大師が足利に布教をしながら山伝いにまいると、白い大蛇に出会った。「これは弁財天のお使いに違いあるまい。道案内してくれるだろう」と、あとをつけていくと、やがて清水の流れるところの大きな岩の前に出た。すると大蛇は、私の役目は終わりましたとでもいいたそうに、岩の穴の中にはいっていった。大師は岩の前にすわり、経文を唱えて弁財天を勧請し前に祠を建てたのが名草弁天の始まりといわれている。この名草弁天は国指定の天然記念物、名草の巨石に鎮座しており、近くには弁慶の手割石と称するものもある。
名草弁天 足利市名草上町 (平8.1) 弘法大師が弁才天を祀ったのが始まりという
ここの本尊も弘法作と伝えられる。
成田不動(新勝寺) 千葉県成田市 (昭58.1) ここの本尊も弘法大師作という
行基開基の寺であるが、この弘法護摩の窟は弘法大師修行の跡といわれる。
弘法護摩の窟 千葉県鋸南町 日本寺 (平6.11) 弘法大師修行の跡という
弘法開基と伝えられ、境内には柳の井戸がある。弘法大師が鹿島の神に祈願をこめ、手に持っていた錫杖を地面に突き立てたとこ、たちまち噴出したもので、関東大震災や昭和20年の大空襲のとき、この良質の水がどれほど一般区民を救ったか知れないという。また境内には福沢諭吉や越路吹雪の墓もある。
善福寺 港区元麻布 (平6.1) 弘法開基と伝えられ、境内に柳の井戸あり
柳の井戸 善福寺 (平6.1) 大師が錫杖を地面に突き立てたところ、水が噴出したという
ここも行基菩薩開基の寺といわれるが、弘法大師東国巡錫の折、龍神に祈念し霊泉を得たので、以来これを弘法大師加持水と称したという。また新田義貞が鎌倉攻めのときこの寺に戦勝を祈願したといわれる。
山口観音 所沢市上山口 (平6.1) 大師が龍神に祈念し霊泉を得た
弘法大師はここでも修行したと伝えられる。
元善光寺 長野県飯田市市場 (平7.11) 弘法大師ここでも修行したという
弘法籠居の跡と伝えるが、七世紀後半から八世紀中頃までに営まれた古墳のようである。
大師窟 静岡県伊豆長岡町 (平7.4) 弘法籠居の跡とつたえる
この神社の宝物館には弘法自作と伝える弘法大師像がある。
箱根神社 神奈川県箱根町 (平3.6) この神社の宝物館に自作と伝える弘法大師像がある
修禅寺は弘法建立と伝え、独鈷の湯は病気の父を桂川で洗っている少年に同情して、弘法が独鈷で岩を砕き、温泉を出して病気の父に入浴させ病気を治したのが起源という。
修禅寺 静岡県修善寺町 (平7.4) この寺も弘法建立と伝えられる
独鈷の湯 静岡県修善寺町(平7.4) 弘法が独鈷で岩を砕き湯を出したという
独鈷の湯の碑 静岡県修善寺町(平7.4) 独鈷の湯の碑とともに独鈷を模した碑もある
弘法大師は天の邪鬼(あまのじゃく)と賭けをして、夜が明けるまでにこの海岸から大島まで橋を造ることとなった。あともう一歩で完成というところで、天の邪鬼は鶏の鳴き声を真似して啼いた。大師は夜が明けたと思い架橋を中止したため橋杭だけがこのような姿で残ったという。
橋杭岩 和歌山県串本町 (昭58.9) 弘法が天の邪鬼と賭けをして橋を作ることとしたが、夜が明けたと思い中止したので橋杭だけ残ったという
弘法大師は嵯峨天皇から工事なかばの東寺を勅賜され、東寺を真言密教の根本道場と定めた。源平の争いで伽藍は荒廃したが、文覚上人が復興につとめ、頼朝の援助を得て伽藍の修理、再建が行われた。つづいて弘法大師の御影堂(大師堂)が造営され宗教活動も活発になった。
東寺 京都市南区九条町 (平6.9) 弘法大師は東寺を真言密教の根本道場と定めた
ここにも大師堂があり、弘法大師像が安置されている。
神護寺 京都市右京区 (平5.11) 大師堂あり弘法大師像が安置されている
二尊院から念仏寺にかけて化野と呼ばれるあたりは、むかし死骸を風葬としたところという。弘法大師が死者を弔うために建立したのがこの寺といわれる。
化野(あだしの)念仏寺 京都市右京区 (昭53.9) 弘法大師建立という
1000年の昔、弘法大師が道に迷われた時屋島寺へ御案内した狸である。屋島の太三郎狸、佐渡の国三郎狸、淡路島の芝衛狸と並び日本の三名狸である。
ダサブロー狸 高松市 屋島寺 (平6.9) 道に迷った大師を案内した狸という
善通寺市のどのあたりかはっきりしないが、民家の軒下に「弘法大師お杖の井戸」とあるのを見てカメラを向けてみた。
弘法大師お杖の井戸 善通寺市 (平6.9) 偶然発見したのでカメラに収めた
西林寺は第48番の札所となっている。この寺の境内に弘法大師の遺跡として「杖の渕」が立派に整備されていた。
西林寺 松山市高井町 (平6.9)境内に「杖の渕」がある
杖の渕 西林寺 松山市 (平6.9) 弘法大師の杖で水が出るようになったのであろう