羽衣松1

謡蹟めぐり  羽衣 はごろも

ストーリー

ある春の日、三保の松原に住む白龍という魚師が釣にでかけます。浜辺まで来ると、一本の松の木に美しい衣が掛かっているのを見つけます。白龍は持ち帰り家宝にしようとしますが、そこへ一人の美しい女性が現れ、自分のものだから返してほしいと懇願します。
その女性が天人であり、その衣が天の羽衣であることを聞かされた白龍は、それほど珍しい物なら国の宝にしようと返そうとしませんでしたが。が、天人の深く悲しむのを見て、天人の舞楽を舞ってくれたら返そうと持ちかけます。
羽衣がなくては舞えないと天人が言うと、白龍はさきに羽衣を返すと舞わずに帰ってしまうだろうと疑いますが、「天に偽りはない」という天人の言葉に最後は説得され返します。そして羽衣を身につけた天人は、月宮殿の生活の面白さや松原の春の景色を讃える舞を舞い、天空へと帰って行きます。 (「宝生の能」平成10年2月号より)

三保松原付近の謡蹟 静岡県清水市三保  (平10・3記)

羽衣といえば三保の松原である。万葉集にも歌われた景勝の地。
   風早のみほの浦わをこぐ舟の  船人よどむ浪たつらしも
と詠まれた万葉の歌は本曲の冒頭に引用されている。

天女は羽衣を浦風にたなびかせながら、三保の松原や浮島が原、愛鷹山を眼下に眺めつつ、富士の高嶺を越えて天つみそらに霞にまぎれて見えなくなるのである。
白砂青松の三保の松原に立って漁師白龍のように、富士山の彼方に消えてゆく天女を想像してみたいと願ってきたが、たまに行ったのでは富士山はなかなか姿を見せてくれない。買い求めた絵はがきの中にイメージぴったりのものがあったので代用させていただく。

三保松原富士 三保の松原と富士山  静岡県清水市 絵はがき

ここには昭和52年から3回ほど訪ねたが、天人が衣を掛けたという羽衣の松も訪ねるたびに枝ぶりが薄くなっているようで残念である。ここには最初に訪ねた時の写真を掲げる。

羽衣松1 羽衣の松 三保の松原 (昭52.1)

羽衣の松の傍らには羽車神社と称する小祠が祀られている。天から羽衣の松を目当てに降りてきた神様が、ここでいっぷくして御穂神社に入られるのだという。
御穂神社は海岸から少し離れたところにあり、大己貴命(大国主命)と三穂津姫命を祀る。羽衣伝説のモデルという意味もあるらしいという。神社の宝物として「羽衣の裂(きれ)」があり、天女の羽衣の一片で漁師白龍の手に留められたものという。推定1200年以前のもので、西域から渡来して逸品という。また「羽衣の笛」は東遊駿河舞いの時に吹奏されたものという。

羽車神社 羽車神社 (平9.2)

御穂神社 御穂神社 (平9.2)

漁師白龍は伯梁とも記され、松原からそれほど遠くないところに、伯梁の邸址と伝えられる伯梁神社があり、伯梁井戸もある。
松原の中には、ヨーロッパで羽衣を舞い、日本の羽衣の松に憧れながら若くして死んだフランスの舞踊家ジグラリス夫人を偲ぶ記念碑が建っている。

白梁神社 白梁神社 右手に井戸がある (平9.2)

羽衣碑 羽衣の碑 (平3.5)

愛鷹山、浮島ケ原  静岡県沼津市  (平10・3記)

曲中に謡われる愛鷹山と浮島ケ原はまだ多少は往事の面影を留めているように思われる。天人は上空から眺めたのであろうから、またこれと違った素晴らしい風景だったに違いない。富士山を航空機で上空から眺めた写真は「花月」の項に掲げた。
空を飛ぶということは、往事では夢のまた夢でその思いを天狗や天人に託したのであろうか・・・

愛鷹山 愛鷹山と浮島ケ原と富士山 沼津市 (平9.2)

余呉湖の羽衣伝説 滋賀県余呉町 (平19・3記)

滋賀県琵琶湖北方にある余呉湖にも羽衣伝説がある。ここでは松の木でなく柳の木に掛けたとして羽衣に柳があり、天女の像も建てられている。ここの伝説では菅原道真は天女の子としてここで生まれたとされ、北野神社跡の碑も残されている。
案内板には次のように記されている。

「 天女の衣掛柳
往古、天の八乙女が白鳥となって此の所に舞い降り、柳の木に羽衣をかけて水浴中伊香刀美という人が白犬を使って天女の羽衣をかくした。天女は羽衣が無くては天に帰れず仕方なく伊香刀美の妻となって二男二女を生んだ。その子孫が伊香地方を開発した祖と伝えられる。
又別の説によると余呉の豪士桐畠太夫の妻となり一男を生んだ。その後天女は羽衣の隠し場所を見つけて天に帰った。残された幼児は母恋しく泣き続けた。
ここより一キロほど北に夜泣石がある。その泣き声が法華経のように聞えるので菅山寺の僧が引き取り養育した。菅原是清卿が菅山寺を参詣した切その子を養子として引き取られた。京都で成人された方が後の菅原道真公である。又この柳は中国系のものである。学問の神として祀る菅原公はこの衣掛柳の古説と北野神社の旧蹟は余呉町の旧蹟として保存している。 」

天女の衣掛柳 天女の衣掛柳 滋賀県余呉町 (平13.11)

天女の像 天女の像 滋賀県余呉町 (平13.11)

北野神社址 北野神社跡の碑 滋賀県余呉町 (平13.11)

羽衣の松 愛知県豊川市 (平19・3記)

愛知県豊川市の建設省豊川放水路管理所横の公園内にも「羽衣の松」がある。四代目の松とのことでそれほど大きくはない。傍らの説明板には次のようにしるされている。

「 郷土の伝説 羽衣の松
その昔、一人の天女がこの前を流れる豊川で、水遊びをしていた時、通りかかった若者、岸辺の松にかけられた羽衣を見つけ持ち帰ってしまいました。
天女は羽衣を返してもらいたい一心から、若者のお嫁さんになり、やがて子供も生まれ幸せな毎日を送っていましたが、ある日、若者が留守の間に羽衣を見つけたら、天に帰ってしまいました。
その時天女は葉を食べると病気が治るという片葉の茶の実と人形を、かわいい子供への形見として残していったと語り継がれています。
なお、この松は、岸辺の松の四代目として植えられたものです。また、形見の人形といわれるものが現在も地元に残されています。
     豊川市教育委員会  」

そして生まれた子が生長し、弓の名人として名を馳せ、「星野勘左衛門行明」と名乗るようになったという。今も行明町が町名として残り、彼が建立したといわれる行明寺や彼をまつる行明神社が近くにある。

羽衣の松豊川市 羽衣の松 豊川市  豊川放水路管理所公園  (平18.4)

行明寺 行明寺 豊川市柑子町 (平18.4)

行明神社 行明神社 豊川市行明町 (平18.4)

羽衣の像 新潟県佐渡両津市 佐渡能楽の里能楽館 (平10.3記)

平成9年新しくオープンされた佐渡能楽の里の能楽館に、等身大の羽衣の天人の像がある。三保の松原と富士山を背景にした天人の舞姿は能舞台とはひと味違った雰囲気を醸し出している。
能楽館にはこの羽衣のほか、井筒、熊野、八島、高砂のシテさんの等身大の像があり、舞台では「道成寺」のロボットによる演能が楽しめる。すぐ前には本間家の能舞台があり、すこし離れた真野町の「佐渡歴史伝説館」もある。佐渡は日蓮や「檀風」関係の謡蹟とともに謡曲愛好者には無視できない所になりつつあるようである。

羽衣天人像 羽衣天人の像 佐渡能楽の里 能楽館 (平9.6)


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