渡邊綱産湯の井戸

謡蹟めぐり  羅生門 らしょうもん

ストーリー

丹後の国大江山で鬼神を退治して都へ帰った源頼光は、その時の面々を館に集めて、酒宴を催しいろいろ話し合っていた。この時頼光は一同に向って、近頃都で面白い話はないかと所望すると、先ず保昌の語るところは、近頃羅生門によなよな鬼が出て人を取るという噂があると。
側にいた綱がこれを聞いて王城に近い所にさようなことはある筈がないと言い、口論の末、綱は頼光から印をいただいて、その夜ただちに馬にまたがってただ一人、二条の大宮から南に雨の仲を九条表に駒を走らせた。
雨はますます烈しく、風も強く吹いて物凄く、駒もおののいて立ちすくみ進まない。綱は馬をおりて羅生門の石段に上がって印を立ておいて帰ろうとすると、俄に化生の者が現れ、後ろから綱の甲をつかんで引き戻すのであった。
綱はたちまち太刀を振るって斬ってかかれば、鬼神はますます怒り狂うを綱は少しも騒がず、遂に鬼神の腕を斬り落とし、恐れをなした鬼神は黒雲に隠れ去り、綱はめでたく武名をあげたのである。(謡本より)

羅生門 、東寺・西寺ほか   (平12・5記)

平安京の昔、都の中央を貫通する朱雀大路(今の千本通りにあたる)と九条通との交差点にあたり、平安京の正面として羅城門が建てられていた。門は二層からなり、瓦ぶき屋上の棟には鴟尾(しび)が金色に輝いていた。この門は平安京の正面玄関であるとともに凱旋門でもあった。
しかし平安時代の中後期、右京の衰え、社会の乱れとともにこの門も次第に荒廃し盗賊のすみかとなり数々の奇談を生んだ。その話に取材した芥川龍之介の小説による映画「羅城門」は、この門の名を世界的に有名にしたが、今は礎石もなく、わずかに明治28年建立の「羅城門遺址」の碑が残るのみである。
京都文化博物館には、羅生門の模型が陳列されており、往時の羅城門の有様を偲ばせてくれる。

羅生門跡 羅城門址碑 京都市南区 唐橋羅城門町 (平8.10)

羅生門模型 羅城門模型 京都文化博物館 京都市中京区菱屋町 (平6.11)

平安遷都の後、羅城門の東には東寺、西には西寺が建立された。東寺は現在もその威容を誇り平安の景観を偲ばせているが、当時同じ規模といわれる西寺は現在「史跡西寺跡」のの石標を残すのみである。

東寺五重塔 東寺 五重塔 京都市  南区九条町 (平8.10)

西寺跡 西寺跡 京都市南区唐橋門脇町・唐橋西寺町 (平8.10)

曲中の二条大宮通りは徳川家康が二条城を築いたため消滅してしまった。
また渡辺綱は東京の三田綱町が生誕地で、三井クラブ庭内に渡辺綱産湯の井戸がある。

二条城 二条城 京都市中京区二条城町 (平5.9)

渡邊綱産湯の井戸 渡辺綱の産湯の井戸 港区三田綱町 (平10.8)


−ニュース−

曲目一覧

サイトMENU

Copyright (C) 謡蹟めぐり All Rights Reserved.