謡蹟めぐり  張良 ちょうりょう

ストーリー

漢の高祖に仕える張良は、或る夜夢の中で不思議な老人に出会い、五日後に下?(かひ)の土橋で兵法の奥儀を伝授してもらう約束をします。下?に出向くと老人はすでに来ていて、時間に遅れたことを咎め、五日後にもう一度来いと言って消え失せます。張良が今度は早暁に行って、ついに願いがかなうであろうと思っているところへ、威儀を正した老人が馬で急いでやって来て黄石公と名乗ります。黄石公は張良が早く来たことを褒めますが、今一度彼の心を試そうとして、履いていた沓(くつ)を馬上から彼方の川の中へ蹴落とします。張良はすぐさま飛び下りて、流れる沓を拾おうとしますが、激流に阻まれて果たせません。そこへ大蛇が現れて沓を拾い、張良にいどみかかってきますが、張良はあわてもせず剣を抜いて沓を奪い、黄石公に履かせます。その働きを見て、黄石公は秘伝の巻物を張良に与えます。(「宝生の能」平成10年10月号より)

書籍、インターネットで探る張良謡蹟 (平成19・2記)

小倉正久著「謡曲紀行」(白竜社刊)

狭西省臨潼県鴻門堡村鴻坡に鴻門宴遺跡がある。秦朝末期に項羽が軍隊を駐屯させた所で、項王営とも呼ばれる。秦朝滅亡後、楚の項羽と漢の劉邦が天下の覇権を争う直前、項羽は鴻門の地で宴を設け、劉邦を招き宴にことよせて殺害しようとしたのである。項羽の従兄弟・項荘と部下の笵増が剣舞を舞い、すきを見て刺そうとする。項伯も素早く剣を抜き劉邦を庇う。劉邦の武将・張良は樊?と策をめぐらし、劉邦に厠に行く振りをさせ脱出させる。張良と項羽は互いに虚々実々の駆引きをし、劉邦は危ういところを逃れることが出来た。以後こううは劉邦と戦い、ついに劉邦が天下をとろに至った。・・・
鴻門の地には、会見の場に両軍の将軍の像と、会の状況が人形で作られている。

鴻門の会の遺跡

http://www.iijnet.or.jp/xipec/sight/meisho/sight44.htm

秦の始皇帝陵から約六キロ離れた西南に鴻門堡村という小村があり、この村は歴史上に発生した重大事件【鴻門の会】の遺跡の所在地です。鴻門は黄土大地を切り開いた洞窟状の地形です。村人は祖先から何世代もずっと、今に至るまでこの地に住み続けていますが、この黄土大地の姿は変化なく、昔の面影のままです。
1984年から鴻門の会の遺跡の発掘調査が行われ、銅剣、矛、建築材料などが出土しました。これらは非常に歴史的価値の高い物で、幕営、項王営、城壁を復元し、展示室も建設されました。幕営の中では項羽と項目は東向き、範増は南向き、張良は西向き、劉邦は北向きに座していますが、張良は樊會を呼びに出かけたので、席は空いています。・・・
南側の展示室には鴻門の会と関係のある人物連環画、雕塑像、出土品などが展示されています。北側の展示室には項羽、劉邦の関係者の等身像がそれぞれ五つずつ並んでいます。また項王営には城壁、覇王井、虞美人井が復元されています。
住所: 西安市臨潼区新豊鎮湾鴻門商城南200m

張良廟

http://zuiyue.air-nifty.com/blog/2003/12/post_28.html

ここは、西安から漢中に向かう途中、留[土貝]と言うところにあります。何でも張良が修行していたところだそうです。今でも結構な山奥ですが、かなり立派な廟です。こんなところから、長安の様子をつかんでいた(ように見える)張良は、まさに「運籌帷幄之中、決勝千里之外」という言葉がぴったり来るなあ、と感じさせるロケーションにあります。あと、曲がりくねった竹も見ることができます。


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