中山道

謡蹟めぐり  望月 もちづき

ストーリー

信濃の国の住人安田庄司友春は、従兄の望月秋長と口争いの末殺害されました。友春の家臣小沢刑部友房は、自分も狙われているということを耳にしたので、一時難を避けるため守山の宿に足を留め、ここに甲屋という旅宿を設けて暮らしています。そこに夫が討たれた後、頼りとする術がないので一子花若と流浪の旅を続ける友春の妻が来かかり宿をとったところ、宿の亭主が昔の家来の小沢刑部友房であることを知り、再会を喜びます。
そこへ偶然、主人友春の敵である望月秋長が宿泊します。そこで友房は今宵こそは仇を討たねばならぬと心に定め、なにくわぬ顔で望月を歓待し、花若の母を盲御前に仕立てて花若とともに座敷に出し、曲舞を謡わせたり、花若に八撥を打たせたりした末、自分も獅子舞を舞います。そして望月が居眠ったすきを見ておどりかかり、花若と二人で敵討ちを成し遂げます。(「宝生の能」平成13年3月号より)

守山の宿、甲屋の址 滋賀県守山市守山町 (平11・9記)

琵琶湖の南岸、琵琶湖大橋のあたりが守山市、往時「守山の宿」があったところで、ここの守山町中央通り下村氏宅前に「甲屋之址」の碑が建っている。

この「甲屋之碑」を訪ねて守山市の中山道守山宿とおぼしきあたりを随分歩き廻ったことを思い出す。案内絵図を頼りに確かにこのあたりにあるはずと思って探すのだが、なかなか見つからない。

甲屋1 「甲屋之址」碑(車の陰) 滋賀県守山市守山町 (平6.9)

甲屋2 「甲屋之址」碑 滋賀県守山市守山町 (平6.9)

結果的にはこの碑の前に自動車がとまっていたため、なかなか見つからなかったのである。駒札に「謡曲「望月」と甲屋」と書いてあるのを見つけ、漸く車の陰に碑のあるのを発見した次第である。駒札に書かれた説明によると、甲屋は徳川の末期頃まであったが、火災のため焼け、その址に碑が建てられ由緒を物語っているとのこと。

江戸時代、江戸日本橋から守山まで67の宿場が定められたというが、守山は東下りの第1番目の宿場で、「京立ち守山泊まり」で旅人に知れわたっていたとのことである。現在でも往時を偲ばせる町並みや、道標が残っている。写真に示した道標は、守山宿の中心部の三叉路に建っているもので、「右、中山道並美濃路 左、錦織寺四十五町このはまみち」と刻まれたおり、真宗木辺派本山錦織寺参詣の道しるべとして西念寺講中が延亭元年(1744)に建てたものという。

中山道 守山の宿の面影を残す中山道 守山市守山町 (平6.9)

道標 「右中山道・・」の道標 守山市守山町 (平6.9)


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