泉涌寺

謡蹟めぐり  舎利 しゃり

ストーリー

出雲国美保の関の僧が、都を見に京都へ上り、唐から渡ったという十六羅漢や仏舎利を見ようと、東山泉涌寺にやって来ます。寺男の案内で、仏舎利を拝んで感激していると、寺の近くに住むという男がやって来て、一緒に舎利を拝みます。そして、そのありがたいいわれを語っていましたが、にわかに空がかき曇り、雷光がひらめくと、里人の顔は鬼と変り、自分はこの舎利を望んでいた、昔の足疾鬼の執心であると言い、仏舎利を奪い、天井を蹴破って虚空に飛び去っていきます。
僧は、物音に驚いて馳けつけた寺男から、釈迦入滅の時、足疾鬼という外道が釈迦の歯を盗んで逃げたが、韋駄天という仏が取り返した、という話を聞きます。そして、二人で韋駄天にいのるとやがて韋駄天が現れ、足疾鬼を追いつめ、仏舎利を取り返します。足疾鬼は、力も尽き果てて逃げ去ります。(「宝生の能」平成13年11月号より)

泉湧寺、舎利殿、仏牙舎利塔、「舎利」謡曲駒札
京都市東山区泉湧寺山内町 (平8・4記)

本曲の舞台泉湧寺は弘法大師が天長年間(824〜34)、この地に草庵を結び法輪寺としたのが寺の起こりという。健保6年(1218)に月輪大師が大伽藍を造営して再興し、落成のときに泉が湧き出たので、泉湧寺と改称したと伝える。皇室と関係の深いことから「みてら」とも呼ばれる。

舎利殿は本堂の後にあり、中に仏牙舎利塔が納められている。仏牙舎利塔は一般には拝観できないので、泉湧寺発行の冊子から写真を掲載させていただいた。正面左が韋駄天、右が月蓋長者とのことである。天井には狩野探幽の龍の図があるとのこと。

舎利殿の前には謡曲史跡保存会が設置した案内が立てられていたので、その内容を紹介してみよう。

「         泉湧寺と謡曲「舎利」
泉湧寺は泉山と号する真言宗泉湧寺派の大本山ですが、古くから皇室の香華院として知られ四条天皇の仁治3年、ここに月輪稜が設けられたのを初めとし、後水尾天皇から仁孝天皇に至るまでの天皇・皇后・親王等25稜5灰塚9御墓の後月輪稜が営まれています。本尊は釈迦・弥陀・弥勒の三尊ですが、舎利殿には堂内に韋駄天立像があり、謡曲「舎利」では、足疾鬼が、舎利殿に飛び上がり、舎利を奪って虚空に飛び去ったところ、この寺を守護する韋駄天が、これを追いつめ、仏舎利を取りかえすという話になっています。「太平記」に載せられている説話にもとづいたものですが、泉湧寺の仏舎利が天下に二つとない霊宝として尊崇をあつめてきたことは古書にもしるされているので、これらを素材につくられたのでしょう。 謡曲史跡保存会  」

泉涌寺 泉湧寺 京都市東山区泉湧寺山内町 (平5.11)

舎利殿 舎利殿 泉湧寺  (平5.11)

仏牙舎利塔 仏牙舎利塔 舎利殿 (泉湧寺発行冊子より)

舎利駒札 「舎利」謡曲駒札 舎利殿 (平5.11)

泉湧寺の境内は広く、多くの寺院、塔頭が建ち並んでいるが、謡曲に関係あるものだけでも、この舎利殿のほかに
 楊貴妃観音堂(「楊貴妃」関連)
 今熊野観音寺(「田村」関連)
 即定院(那須与市の墓「八島」関連)
等がある。

泉湧寺の隣は「自然居士」の項で述べた「東福寺」があり、その塔頭にも「龍吟院」のほか「小野小町」関連の「退耕庵」がある。「小鍛治」の「伏見稲荷」もすぐそばである。紅葉の季節も素晴らしかったが、桜や新緑の頃もまた格別と思われる。


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