琵琶の名手藤原師長は、渡唐の志を立てて都を出て、須磨の浦で風景をめでる汐汲みの老夫婦に出会い宿を乞います。塩屋に案内した老夫婦は高名な師長の琵琶を所望します。師長が一曲を弾じ始めると、俄に時雨が降って軒の板屋を叩きます。老人は立って苫を取り出して屋根を葺くので、師長が不審がると、こうして琵琶の音と雨の音を調和させたのだと説明します。
師長は唯人ならぬ老婦人に大いに感じ、且つ驚いて逆に演奏を頼むと、老翁は琵琶を、老媼は琴を弾じます。あまりの見事さに自分の未熟を悟り、渡唐をやめて密に都へ立ち帰ろうとしたところ、老夫婦はこれを引き留め、我らは村上天皇と梨壺女御だと明かして消え失せます。やがて村上天皇が現われ、下界の龍神を呼び寄せて海底に沈んでいた獅子丸という琵琶を取り寄せて秘曲をつくされ、師長にこの名器を与えて舞を舞うのでした。(「宝生の能」平成12年8.9月号より)
昭和60年6月渡雲会の春季大会で、能「絃上」の「師長」役を演ずる機会を得た。この曲は役の数が多いが、この時はシテ方の役、地謡ともプロの先生方を除いては全部KDDのメンバーで演じられたのが印象に残っている。
参考までに、番組を再現してみよう。
渡 雲 会 春 季 大 会
昭和60年6月2日(日)午前9時始
於 宝 生 能 楽 堂
東京都文京区本郷1ー5ー9
− 能 −
鬼神 武田 孝史
姥 太田 延男
師長 高橋 春雄
後シテ 秋元 亮一
前シテ 長島 経治
絃 上 ワキ 森 常好
大鼓 亀井 忠雄 太鼓 大江 照夫
小鼓 幸 昭弘 笛 藤田大五郎
間 野村万之介
佐藤 信顕 寺井 良雄
宝生 英雄 石川 恭久 高橋 章
後見 渡邊 三郎 地謡 小嶋 郁文 大坪十喜雄
小林与志郎 児玉栄太郎 金井 章
小林 一 亀井 保雄
ワキ方、囃子方、後見、間狂言の方々はもちろんプロの方ばかりであるが、シテ方では鬼神の武田孝史さんを除いた4名、すなわち前シテの老翁は長島経治さん、後シテの村上天皇は秋元亮一さん、ツレの老嫗は太田延男さん、ツレの師長は私とすべてKDDメンバーであり、また、地謡前列の児玉栄太郎、小嶋郁文、石川恭久、佐藤信顕の4名の皆さんも同様にKDDメンバーである。
能 「絃上」 師長役の筆者 (昭60.6)
能 「絃上」 前シテ(老翁)は長島経治さん、ツレ(姥)は太田延男さん (昭60.6)
能 「絃上」 後シテ(村上天皇)は秋元亮一さん、ツレ(鬼神)は武田孝史さん (昭60.6)
神戸市須磨区関守町に村上天皇を祀る村上帝社がある。近くにある琵琶塚は師長の名器「獅子丸」を埋めた所と伝えられている。本曲の物語のように村上天皇にまつわる伝説から、この地に村上天皇を祀り神社としたものと思われる。また、この地にはもと前方後円の墓があり、その形が琵琶に似ているのでこのような伝説に結びついたとの言われている。
村上帝社 神戸市須磨区関守町 (平12.9) 本曲のシテ村上天皇を祀る
琵琶塚 村上帝社 (平12.9) 名器「獅子丸」の琵琶を埋めた所という
曲中に「名には絵島といひながら」と謡われる絵島は淡路絵島のことで、歌枕として他の曲にも謡われる。現在は明石海峡大橋が完成しここを素通りすることも多くなったと思われるが、橋が出来るまでは明石から船に乗ると淡路島の岩屋港に入るので、この港の入口に位置するこの絵島は旅人の目に珍しく映ったものと思われる。
淡路絵島 兵庫県淡路町 (平12.9) 本曲はじめ多くの曲に謡われる